「ミニ先生」

Twitterで論争があった「ミニ先生」について持論を述べます。

「ミニ先生とは」
どうやら学力上位の児童が、学力下位の児童に教える行為。
のことを指すようです。

結論から言うと私は推奨派です。
理由はいくつかあります。

一般社会でも「わからないこと」があった時には「わかる人」に聞き、教えてもらうことが問題解決の最適解だと思います。
あらゆる職業で「わからないことがあったら聞いてね」と、最初は上司や先輩に言われるのではないでしょうか。
「わからないこと」を「わからない」と言える力は人生において極めて重要だと思います。

また、「教える」側にもメリットがあります。
今まで何となく理解していたけれども、説明しようとすると難しい。
有名な「ラーニングピラミッド」でも、人に教えることは理解を深めるという概念は語られていますよね。

ではここからは「反対派」の意見を見て、一つ一つ具体的手法で解決していきたいと思います。

「いつも教えられる子に劣等感が生まれる、格差が生まれる」

これに関しては、学級経営、授業のスタイルによりけりだと思います。
私の授業スタイルでは、答えが決まっている学習以外でもかなりの割合で児童同士が交流することがあります。
明確な正解のある教科は「算数」・「理科」、明確な正解がない教科は「国語」・「社会科」・「道徳」、そして学力依存のない特殊な位置づけに「家庭科」・「体育」・「図工」。
これだけ様々な教科で交流をするので、いつも同じ児童が「ミニ先生」になることは過去ありませんでした。
社会科や道徳などではLDの児童が本質に深く迫ることもありました。
家庭科、体育、図工では学力が低い子が持ち前の技術で教える側に回ることもありました。

この概念は「知識伝達型」、「講義形式」を基本とする先生の学級経営で「算数」・「理科」のみで児童間交流を行う場合に出てくるのではないのかなと思います。

またどの教科でも教えられる側に回る子への配慮はどうなるんだ。
と、思われた方もいらっしゃるでしょう。
辛辣な言い方になってしまうかもしれませんが、そういった児童は社会生活を送る上で何らかの支援を受けながら生活をする可能性が現実的に高いと思います。「教えてもらう」ことへの抵抗感を払拭していくことが、その場凌ぎのプライドを守るよりも大切なのではないかと思います。
それすらも嫌がる児童、となるとかなり対象は少なくなってきます。ここまで絞り切れば担任一人でも支援可能でしょう。


「答えだけ教えてしまう子がいる」

これに関しても対策可能です。
算数の時間に限定しましょう。
私は「ミニ先生」とは言いません「ギルド方式」という名称を使っています。そもそも学力の面で「ミニ」と言うのであれば、私より教え方が上手い子もいます。身長体重など質量的な問題で言うのであれば私よりも大きい児童は「ビッグ先生」と言えばよいでしょうか。

スペースやツイートで紹介しておりますが、私は早く課題を終える子、いうならば「トップランナー」は、自分で選択して学習を進めるという方式をとっています。
本筋に戻します。希望者はギルドに登録をします。
ギルドに登録できるのは試験に合格した児童のみです。
試験を受けるか受けないかは、その子の委ねます。
自分の学びを深めたい。休憩したい。など、あくまで多様な選択肢の一つでしかありません。
試験は担任に問題の解き方を説明して、いくつかの質問に答えることができれば合格です。不合格になった子も何度でもチャレンジができます。
そして、教えられる側は「派遣依頼」を出します。
ジャムボードを使い、「派遣可能講師」一覧を表示します。
「派遣依頼」の児童の進度や理解度によってギルドマスター(笑)が派遣講師を決めます。必ず、担任が決めます。指名はできません。

以前、行きしぶりの児童が出た時に保護者の方からお怒りの電話がかかってきた際に「うちの子が教えてあげようとしたのに、うるさいと言われて断れれて傷ついた。子ども同士で教えるシステムはどうなんですか?」と言われた際にもこのシステムを事細かに説明したら納得していただけた。

要するに何となく「わかる人教えてあげて」とふわっとした感じで何となく導入すると色んな軋轢を生みます。リスクがあるのは認めます。
ただ、システムがしっかりしていれば「答えだけ教えてしまう」ということが発生することはなくなると思います。


「どうせ教えてもらえるから」という待ちの姿勢がみられる。

こちらもギルド制なので「派遣依頼」を断るということができます。
担任がヒントを出して、頑張ってみてね。というパターンもあります。
その子の力量を見てですね。
もっと言うと「友達に教えてもらうのは嫌だ」という子は「派遣依頼」を出さなければいいだけです。


教師の力量不足を子どもに責任転嫁させている

確かに「知識伝達型」を主とする先生の場合はそうでしょう。
私は学級をファシリテートする方向から授業を展開していくので、児童に知識を伝えることは最低限。あとは、子ども同士が交流の中で生み出していくことが多いので、一斉授業で子どもに十分な理解を促せていないという点では力量不足なんでしょうね。

私は海外の教育機関やスポーツクラブをモデルとしたコーチングを中心とした指導スタイルなので向いているのかもしれません。弱者の戦い方とでも言っておきましょうか。


結論として…
「ミニ先生」と呼ばれるシステムの良し悪しは教師のスタイルによってメリットデメリットが大きく変わって来るのではないか。
きちんとシステムを構築せず、安易に導入すると人間関係を壊す、できているフリをする児童が増える。

と、締めさせていただく。

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