ハチャメチャ脳みそ暴露タイム【心の内編】

また少し、話すのが下手になってしまった。

言葉を紡ぐことをサボっていたわけで、それは当たり前のことである。

だから今日は自分の脳内にあるものをそのまま出力してみようと思う。
独りよがりな記事で、醜いところもあるかもしれない。
それでもよければお付き合い願いたい。


生きることが大変すぎる。
下手なだけかもしれないし、どこかにいい手段や方法があるのかもしれない。
私の机の上に積まれた本に答えや最適解が載っているのかもしれない。

見つけるのが下手なだけかもしれない。

下手なことが多いだけかもしれない。

でもそれがいちばんモヤモヤしてわだかまりとして残っていて、自分がそれらをほどくメソッドをいっぱい見落としてきたことを分かっている。

本だけではなく、23年間の人生という範疇においても。特に。

23年間生きてきた分の「生きるためのハウトゥー」が少ないような気がする。

そりゃ、そうかもしれないけど。

自分に期待しすぎなのかなと感じるときもいっぱいある。
それと同じくらいの大きさで自己否定をしているものもたくさんあると思う。
わからない。みんなそうだと言われてしまうかもしれない。

「自分は大した人間ではない」
「自分の代わりはたくさんいる」
「思っているほど他人は自分を見ていない」

この言葉たちに苦しめられている。
真に受けて、裏に含まれている大事な意味も分かっている。

「等身大の自分を受け入れる」
「あまり自分ひとりにプレッシャーや責任を感じすぎなくていい」
「他人の視線や評価を気にしすぎなくていい」

多分こういうことだと思っているけど、なんとなく私は

「あなたはちっぽけです」
「あなたは特段必要な人間ではありません」
「あなたに興味を持つ人はそんなにいません」

みたいな変換をしてしまう。

実際自分はそういう人間だと思う。

そんな自分に対して、自分自身が大きな期待をしている気がする。
自分を守っているかのような、庇っているかのような。
いいことではないと思う。

本心を言えば、「誰かのため」になりたくて、「誰かのため」に生きたいし、目標になりたい。誰かに対して何かいい影響を与えられる人間になりたい。
難しいや。自分のためにすら生きられない、自分を愛せない人間が「誰か」を意識して生きるのはあまりに無責任だと思う。
でも、きっと同じ思いや考えをしている人がいたら「そんなことないのにな」と思う気がする。

きっとこの人も同じようなことを思っているんだろうな。

そういう場面は多くある。

でも、その人は少なくとも私より周りから必要とされている。
気のせいではないと思う。

「あなたの居場所はここにもあるのに」

まあ、伝わらないと思うが。

自分は、少なくともこのnoteは居場所であると思っている。
Xも居場所のひとつ。

他の居場所やコミュニティは少し息苦しいところがある。
でも今はひとりになれない。

そんな弱い自分に憎しみすら感じる。

誰かといないと生きていけない気がしてしまう。

自立して、自分のことは自分でできるようになりたい。

この気持ちすら息苦しい。


この気持ちが誰かの島に行きつけばいいな。

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