研究レポート ”第一黄金期ユベントスvs第一黄金期リバプール" 1985.5.29 【90分動画あり】

1984/1985シーズンのUEFAチャンピオンズカップ決勝ユベントスvsリバプールのカード。ユベントスは初の欧州王者を、リバプールは2年連続5度目の欧州王者を狙う対戦となった。

○ユベントス (1-0) リバプール●

得点者:58分 プラティニ [PG] (JUV)

┃スタメン┃

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ユベントスはW杯1982優勝のイタリア代表主力4人に加え、フランス代表のプラティニとポーランド代表のボニエクが加わったメンバー。プラティニが2年後に引退を迎える、年齢は29-30歳のシーズン。

【フルマッチの動画】

リバプールは4-4-2で、70年代80年代にかけて同じような4-4-2として、当時欧州王者にもなっていたノッティンガムやリーズユナイテッドのイングランド勢、ハンガリー人監督を迎えたバイエルンミュンヘンもそのような布陣であった。

1970W杯ごろまでのブラジルの4-2-4の改変と考えたならば、アウトサイドのFWのスペーシング改変、対面相手と対峙距離を取ったスタートポジションの4-4-2のと言える。すぐロストし互いに攻め合うというよりは、ジワジワ攻める・ジワジワ守るものを増やしたサッカー。

スポットの当たる選手としては、2トップに入ることも多かった7ダルグリッシュ。リバプールで同じ背番号7であったケビン・キーガンと似たような起用法で、FWまたは攻撃比重のセンターハーフ。90年にかけてのACミランのドナドーニも攻撃的センターハーフで起用されていて背番号も同じ7。

 一方のユベントスは、76-86の長期政権で黄金期をつくったトラパットーニが監督。

6シレアを最後尾に置いた10人のマンツーマンディフェンスで、相手布陣にマッチアップで当てた配置。最後尾の6シレアも遠隔的に見つつ、3カブリーニ、4ボニーニ、8タルデッリは相手とスペーシングを持って、遠隔の対峙と近接マークを使い分け相互負担している。2ファベッロ、5ブリオはガチガチの近接マークの追尾が基本。

4ボニーニが7ダルグリッシュにつくが、10プラティニはカウンター残り意識の5分5分ぐらいのマーク体制で、守備に奔走しない。その場合は、相手との対峙距離を取りながらの"相手と同数ディフェンス"でシュートや突破を防ぐ。

この4-4-2に対する1-4-2-3とも取れるセット体形は、1970W杯決勝のイタリア代表とブラジル代表とほぼほぼ一緒。4-2-4のブラジルに対し最後尾に1人余らせたマンツーマンディフェンス。しかし、このユベントスの時代のマンツーマンでは、個別のマークのほかに、相手との対峙距離を取る選手が増え、よりカバーし合う意識が強まっているように見える。

ユベントスは相手に合わせたセット体形を組むものの、決して相手依存すぎることはなく、問題はユベントスの相手が4-3-3であろうと4-4-2であろうと、カウンター残りのプラティニに合わせて残るのかどうかで、試合の色合いが変わってくる。

ユベントスの攻撃面では、3人のFWのローテーションが多く行われ、その横の入替わりに加えた縦断のモーションが入ってくる。チャンス演出のパスは主にプラティニ。

┃補足(選手特徴)┃

左利き: 3カブリーニ、7ブリアスキ? (JUV)、3ベグリン (LIV)

┃ナンバリング┃

イタリアのクラブのリベロは背番号6番が多い。イタリア代表のW杯予選やフレンドリーマッチでもだが、W杯の登録ではあえてなのか6にしてない。ユベントスのシレア、ユベントスのトリセラ、ナポリのレニカ、ACミランのF・バレージ等。他の欧州勢と一緒でバックスの右端が2で、左端が3が多い。

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