慟哭

慟哭、この言葉にあまり聞き慣れないという人もいるのでは無いだろうか?

慟哭=「悲しみに耐えきれずに声を上げて泣くこと」

きっとあなたも一度や二度ぐらい、慟哭したことがあるでしょう。

私は俳優活動でいじめに遭い、その後も体が、心が悲鳴をあげてもその悲鳴を無視して無理をしていたあの頃、幾度となく慟哭した。

時には居酒屋のトイレで、時にはバイト先の雑居ビルの屋上で慟哭した。

きっとあの時、僕は
「僕はこれだけ頑張っているのに、どうしてみんな僕を否定するの、誰か気付いてよ。助けてよ。」

そんなことを心の内で叫んでいたんだと思う。

でもその叫びは、届かなかった。

何も達成出来ず、何も残せず、

ただボロボロになって、演技レッスンに出かけようと家を出た瞬間、僕はもうこれ以上無理だと悟った。

あれから、僕はほとんど泣かなくなった。

泣いて何とかなるならいくらでも泣く。
気付いてくれる人がいるならいくらでも泣く。

泣いたところで誰にも届かないし、誰にも気付いてやもらえない。

きっとそんな言葉でがんじがらめになってしまったのだろう。

けれど、もう3年ぐらい前だったと思うけど、

僕が唯一この地球上でただ一人親友だと思える存在の前で

僕は思い切り泣けた。

「もう誰も裏切らないで欲しい、見捨てないで欲しい」と吐露しながら泣きじゃくる僕を

電話越しだったけど、親友はきっと温かく見守ってくれていた。

僕には親友がいたこと、この事が僕にとって唯一幸いだった事じゃないだろうか。

あなたにはそんな存在がいるだろうか?

常に前向きである事、上を向くことが正しい風潮なんてクソ喰らえ。

下を向いたっていいじゃない。

下には借金抱えて精神障害でまともな生活とは程遠い、僕みたいな人間がいる。

自分より下の人間を見たらきっと自然と前向いて、上を見上げて、空の美しさに気がつくはずだよ。

雨だったり曇り空だったとしても、責任は取らないけどね。

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