Fragmental Image Game (A)
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Fragmental Image Game (A)

現在、ぼくは「メディア表現におけるリサーチ/アーカイヴ」について、できるだけ多くの視野から俯瞰し、試行錯誤している。ただメディアと言っても、正直ぼやっとした媒体で、捉えづらいし、まだまだ論文としても構想段階の荒いテキストでしかない。

この論文は、IAMAS(情報科学芸術大学院大学)主催によるメディア表現学研究のプログラムの報告書内に掲載された文章に、加筆と図版を追加した改訂版となっている。(まだ整備中。順次更新していきたいと思う。)
https://www.iamas.ac.jp/report/artlabo-gifu-hashima/  

今回のプログラムでのぼくの役割は、当初アーカイヴに向けた「計画」という立場で、羽島市役所の再利用に向けた組み立てとそれに至る思考を整理したテキストをまとめて、アウトプットすることだった。結果、アーカイヴの総体として「ミュージアム」という機能を仮定し、5つの章(A〜E)を設定し、短いテキストの断片で18の節でまとめた。

A. ミュージアムの先 

B. モール/ホール /アネックス──パブリシティのためでしかない装置

C. 都市、建築の道具、装置もしくは装飾 

D. 動員するためのアーカイブ

E. 羽島市庁舎空想ミュージアム計画
── Hashima Institution

0 0 0 イメージゲーム
 磯崎新による「イメージゲーム」は、『建築文化』1985年10月号の特集で発表され、後に建築論集のタイトルにもなった論文である。その主旨は、建築の設計が、これまでの全建築史のアーカイブにファイルされている断片的な浮遊するイメージを拡張し引用する、シミュレーションのゲームでしかなくなっているのではないか、といったもので、「つくばセンタービル」(1984年)や「Palladium」(1985年)を中心に、このゲームの臨界について、語られている。

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 この言説は、決して建築設計のそれ自体ではなく、作品としてのパブリシティや記名性についての磯崎独特のフィールド故の思考の混迷を表しているようにも、「イメージゲーム」化した混迷の最中にあったポストモダンの建築や芸術への危惧だったようにも、見える。

いまだに混迷の中にある現在、改めて「イメージゲーム」的な素材の断片を「コミュニティ・アーカイブ」への自身の興味から拾い集め、ささやかに整理してみたい。

A. ミュージアムの先 

0 0 1  広義のミュージアム
アンドレ・マルローの「空想美術館」(注1)はミュージアム/アーカイブの境界を再考させる。写真を併置することによって、今まで比較されてこなかった作品を一同に会することができる。次世代のミュージアムについて語られる中で、アーカイブも切れない関係にあるだろう。現在のミュージアムで言えば、街に開かれたコンビニのように(注2)気楽に入れるタイプが主流となリつつあり、逆に言えばどこでもミュージアムになってしまうというテーゼにもなる。これは、マルローの「空想美術館」と呼応し、ミュージアムと並べてアーカイブについて再考しなければならないように思う。現代に至るまで、「複製」による作品への接触(アクセス)が容易になり、「模倣」や「引用」によるアーカイブ的なディスプレイの方法論が見出された。「精神生理学研究所」は、複製物を作品と位置づけ、オリジナルとコピーの関係、作品と作品に付随する資料の境界を曖昧にし、ミュージアムとアーカイヴの境界に問いを投げかけている。一方、現在において複製されたイメージは、デジタルデータに置き換えられる。等価に扱われるイメージの中にどのような差異を見いだし、複数のコンテクストを読み込んでいけるのかが、ここでいう広義のミュージアムの鍵となる。


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注1)あらゆる芸術作品の図版を並べることで、空想上の美術館であるように見立てたことに由来し、複製技術の発達により作品を比較できるようになり、現実の美術館の代用ではなく、美術館において実現不可能な芸術作品の配列を、複製物を通して可能にした。それによって生まれる知的作業を通して、芸術作品の新たな解釈を促すものなのである。

注2)「第三世代美術館のその先へ:五十嵐太郎、村田麻里子」のなかで、金沢21世紀美術館を「訪れる人を緊張させる神殿とは違い、ガラス張りの空間で気軽に入ることができるという点でコンビニ的と言えるかもしれない」と表現する。

0 0 2 エスノグラファー/アーキビストとしてのアーキテクト
約100年前、関東大震災後の焼け野原に建てられたハットやシェルターを、「民芸」に通ずる人々のありのままの営みやその道具を生産する小屋として、採取(サンプリング)した。

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元来、家は生業だけでなく、商いや祭事などおおらかな営みの生産がある複合的な用途を持っていた。2017年に中島と発表した「Alternative Greenhouse」注3)のプロジェクトでは、農地に建てられた素人仕事による空間を採集(サンプリング)している。畑仕事のためだけではない、趣味や嗜好、生活が入り混じる固有な造られ方に倣ったアーカイヴ的な実践によって、過去を参照し(アーカイヴ)、採集(サンプリング)、再編集(リミックス)する、過去と現在の双方向へのまなざしをもつことができるのではないだろうか。

注3)日本建築設計学会 Architects of the Year 2017「越境プロジェクト」の作品・展示。
(http://www.adan.or.jp/news/event/1832)

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0 0 3 保存/破壊衝動とテロリズム
昨今のモダニズム建築への保存(もしくは破壊)運動は、メディアを利用した一種のテロリズムでしかない。大阪メトロのリニューアル(注4)についても、提案した主体はあくまで「大阪メトロ」となっていることや、計画とは言い難い貧弱なイメージから見ても、関心を向けるテロ=炎上が目的だったのだろうと想像する。このダサい/かっこいいのような議論でしかない保存/破壊衝動によるテロの熱から一歩引いた、史料体としてのアーカイブについて問い直さなければいけない。 近現代建築資料館のようなまだまだアクセスの悪い媒体でしかないアーカイブは、95年以後のデジタル世代のひとつの課題でもある。つまり、二項対立的な保存か解体ではなく、本当の意味での史料化とアクセスを可能にすることではないだろうか。

注4)大阪市高速電気軌道株式会社(通称:大阪メトロ)が発表した中長期的な地下空間の改革ビジョン。岸政彦氏や柴崎友香氏など、多数の建築家も反対を表明し、1万8千超の反対署名が集まった。

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0 0 4 いま、何を保存すべきか。
ソーシャルメディアという存在によって、歴史的な意味合いや系譜が引き剥がされたサイン(Sign)として何でもない事物が「インスタ映え」もしくは「炎上」することによって注目を浴びてしまうことがあったり、聖地巡礼もその最たる例である。歴史的に素晴らしい建築であっても、単なる活用案の提示だけでは、放置され「都城市民会館」(菊竹清訓、1966年)のように解体の決定がされかねない。






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