自分の弱さをみせて、人に頼ること。

 今日は雨が降っています。でも少し外に出ることができて、家族以外の人とおしゃべりをすることもできました。なかなかいいぞ、うんうん、という気分です。本当に少しずつですね。

 去年の手術をきっかけに動けなくなってから、どうしても人に頼ることをしなければいけなくなりました。まずは家族に頼ることになりますがそれだけではなく、社会的なつながりの人たちにこの状況を伝えないといけないんですよね。
 
・PTAの役員さんたち(役員会に出られないです、と伝える)
・ご近所の登校班のお母さんたち(なんとなく朝、見送りのときにしていたおしゃべりができなくなって心配をかけるので、状況を伝える)
・娘の習い事つながりのお母さんたち(お迎えに行けなくなりました、と伝える)
・当時勤めていた職場の人たち(どうにも出社できません、と伝える)
などなど。

 体がつらい上に、自分がこんなに弱ってしまってなにもできないんです、ということを話さなければいけないことが本当につらかったです。弱い自分なんて見せるものじゃないと思ってやってきたせいで、「つらいんです」「できません」「代わりにお願いします」というような言葉を発することさえ苦行のように感じました。でもそう感じてしまうのは、つらいときでもつらくないときでも、すっと軽く人を頼ったり(もたれ合いになるのではなくて)、気軽に助け合うということをあまりにも避けてきたからだな、とわかりました。私一人で生きているわけじゃないのだから、お互いさまということをもっともっと当たり前に受け止めておくべきだったと思います。もちろん手術前も、いろんな人と助け合ったりしてきたと思うけれど、本当は頼ったら迷惑なんじゃないかとか、そんなことを考えてしまって、ただただありがとう、という気持ちを持っておけばよかったんだと今は思います。

***

 そして夫と娘、実母と義母にはもう言葉ではいいつくせないほど頼りました。迷惑をかけてはいけないと特に思っていた夫と娘に、盛大に、一生分(おおげさ?)頼りました。お母さんは元気で明るくしていなくちゃ、と思ってきたけれどそんなことを言っている場合ではなくなり、どうしても涙が止まらないときはその姿を見せるしかありませんでした。今はだいぶ元気になったけれどまだ完璧に元気ではないので、日によって調子がいい日と悪い日がありますが、そんな状態の私をみても動じないでいてくれます。深刻にならず、やり過ごしてくれるので、そんな二人をみて「まぁいいか」と思わせてくれるのが最高の薬です。

 こうやって振り返ってみると、この出来事はたくさんの側面をもっていて、その中の一つが「弱さをみせて人を頼る」ということだったんじゃないかな?と思っています。私が強がって人を頼らずやっていくことばかりをしてきたから、そろそろバランスとりなさいよ!という意味で、これまで絶対に避けてきた道を歩くような流れになっているんじゃないかと思うのです。やっぱりこの世界は陰陽でできていて、そのバランスをとって中庸を保つ方向に、清濁併せ吞む方向に進むようになっているのでは?と。そう考えるとしっくりきて、少し気持ちが落ち着くんです。なんだ、私は弱ってしまったのではなくて、私の中にある強さと弱さを認めて、それを外(人)にも出す、本当はそんな風に生きてみたくて今、この道を歩いているのかもしれない。だからこうやってnoteにも書いて、いろんな人に私の弱さを出しているのかもしれない。そんなことを思っています。

 落ち着いた雨の午後に、こんなことを考えていました。あまり深く考えず、ふとした思いつきでこんな風にnoteを書いていけたらいいなと思います。今日も読んでいただいてありがとうございました。

 それにしてもよく雨の降る春ですね!


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