見出し画像

身体のサインに気付く


先日、あいにくの天気の中山の方に行ってきました。
と言っても登ったわけではなく車で走っただけですが…。
大して人に会わず、気分もスッキリしました。
やはり自然の中にいると落ち着きます。


今日のテーマは「身体のサイン」。

身体からのサインも色々ありますが、一番分かりやすいのは「痛み」ですね。


痛みは物理的に炎症が起きていてそこに感覚情報が生じて感じるわけですが、そこに意識がフォーカスされることで認識は何倍も増幅される要素があります。
さほど強い炎症が起きていなくても意識のフォーカスが強ければより強く痛みを感じます。

逆にフォーカスが弱ければあまり感じません。
つまり痛みというものは物理的な要素だけでなく、どれだけ意識を向けるかで感じなくなったり何倍も強調されて感じたりするものだということです。
これは自分の体験に置き換えればよく分かる話で、すごく痛いところがあっても気が逸れるとあんまり感じなくなることは誰しも経験があると思います。
逆に気になってしまうと、とことん痛く感じてしまう。
そう考えると痛みはとても不思議な機能だと感じます。
その時々によってうまいこと調整してしまう。
聴覚におけるカクテルパーティー現象も同じ要素だと思います。
騒がしい場面でも自分の意識を向けた会話が聴こえる、という現象です。
心と身体というものは本当によくできているなぁと感心します。


また、痛みって人によって感じ方の違いががあまりにも大きいなぁ、と思うのです。
いろんな方に触れると、「大して硬くないなぁ」と思ってもすごく痛がったり、「メチャメチャ硬いなぁ」と感じても全然痛くない…という方がいたりと千差万別です。
これは個人差がとても大きいように思います。

どうしてその差が生まれるのか。
先天的なものもあると思いますが、武道や格闘技などの経験の有無は非常に大きいように思います。
武道や格闘技はいちいち痛いと言っていられない要素が強いです。
多少の痛みは我慢するのが当たり前の世界。
当然痛みに対する感受性は低くなります。
少しの痛み刺激に敏感に反応していても大変ですが、全く反応できなくてもとても困ります。
痛みに鈍感な方は自分で気づかない内にかなり症状が進んでしまっていることが多いように思います。
痛みだけでなくじぶんの心と身体が発するサインに耳を傾けることがとても大事なことだと思います。

しかし自分の感覚をないがしろにしてしまっている人がとても多い気がします。
確かに日々忙しくて自分の声を聴いていられないこと、あると思います。
でもそれがずっと続くと当然病気になります。
いろんな病気がありますが、自分の訴えを無視し続けてきた結果生じているものがとても多いように感じます。


改めて自分の心身が感じていることに耳を傾ける。
そして自分の望みを素直に叶える。
それだけで解消できることは沢山あると思います。
なんのために生きているか考えてみると、自分が心から望んだことを叶えるためなんじゃないかと思います。
それは人によって千差万別でしょうが、誰でも必ずある。
私もようやく見えてきたところです。

限りある人生の中で自分がやりたいこと、皆さんもぜひ見つめてみてください(^-^)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?