数年前まで、お母さんの涙を見たのは おばあちゃんとおじいちゃん(母方の両親)が死んじゃった時くらい でも、ここ3年くらいで泣いてるのを2回見た。 1回目は抗がん剤治療を始めると私に伝えてくれた時。 「髪がね、抜けちゃうんだ」って。 「髪がなくなってもどうなってもお母さんはお母さんだよ」と伝えたけど、涙の理由はそこじゃなかったのか 「もう少しで一緒にいられなくなっちゃう」 って分かった涙だったのかな。 そうしたら伝える言葉は何か違うものになったのかな。 2回目は、家事分担
洗濯物 洗い物 料理 風呂洗い ゴミ出し 今やってること 妹も手伝ってくれるけど、働きながらやってること やる気がなくなってできない日もあるのに、そんな日母にはあっちゃいけない。 これを20年間ずっとお母さんは1人でやり続けてた。 癌治療しながら、パートしながら。 ほんとに強いと思った。 私と妹を育てながら、 毎日朝早くから夜遅くまで家事をして、 昼間から夕方は働いて、 父親の料理とか身の回りのこともして、 自分の癌の治療もして、 時には父のDVにも言葉の暴力にも耐えな
こんにちは。 昨日の記事を読んでくださった方、 今日の記事を開いていただいている方、 ありがとうございます。 実家暮らしであまり環境に変化はありませんが、 社会人になって2ヶ月以上経ちました。 私以外のみんなは10時とか11時に起きることが多いので、 毎日8時に家を出る私とは会うこともないし、 「いってきます」と伝えることはほぼなくなってしまいました。 でも、今日は母が仕事に行く私に見送りを。 たまたま起きてた母は 「たまには見送りさせてね」って布団を剥いで。 『あと
はじめまして。 こちらの日記を開いていただきありがとうございます。 日記はほぼ初めてで、何を書いたらいいか分からず、少し皆さんの記事を読んでみました(笑) 不慣れですが、許していただけたらと思います、、 タイトルの通り、母の最期までの日々を覚えておきたいと始めることにしました。 私は23歳社会人1年目。 母は治す手立てが尽きた末期癌患者。 父親は酒癖が悪く、DV気質。 妹は遠くないうちに来る母の死を受け入れられず。 自分の記憶を残しておきたいとともに 母に残りの時間で