カフェで隣に座る中年男性に父を思う
朝食を外に食べに出かけることがある。
私が住む東海地方は、モーニングの文化が盛んで、カフェや喫茶店ではモーニングの時間だとコーヒー1杯の値段でパンや卵やサラダがついてくる。
お気に入りのお店のうちのひとつは、オシャレだけど開かれた雰囲気で、子ども連れも多い。若いカップルや、女性グループもたくさんいる。
店内は、美味しい朝食から始まる1日への喜びに満ち満ちており、私もついつい、隣のテーブルの赤ちゃんにニタニタ微笑みかけてしまうのだ。
隣に座るのが赤ちゃんだったらよい。
うるさくても、駄々をこねて泣き叫んでいても、なんだか広い心でいられる気がする。
しかし、時には隣に来ると不快になる客もいる。
うるさい中年男性だ。
この間隣に座っていた客は、50代から60代くらいの男性で、大きな声で喋り、食事の音も粗雑だった。
なんだか顔も赤らんでいて、ろれつもあまり回っておらず、昨日の酒が抜けていないのか、はたまた朝から1杯引っかけているのか。
朝の爽やかな朝食風景とは対照的な空気を醸すオヤジだった。
せっかくの朝食も、親父のクチャクチャした咀嚼音を聞きながら食べるのでは気分が悪い。
連れの女性は、そのオヤジの娘にあたるくらいの年齢であろうか。
その女性に向かって、オヤジは熱心に話しかけているのであるが、返事もそこそこに適当に流しているようにも見えた。
(声大きいよ、と注意すればいいのに。)
その女性に対してもイライラしてしまった。
しかし、もしかしたらこの女性も、このオヤジが周りに冷たい目で見られていることに気づいているのかもしれない。
私が、父親と二人で朝食を食べに行ったらどうだろう、と想像してみる。
父親と朝から食事に出掛けたことはないが、この女性とオヤジのように見えるのだろう。そして、きっとこんな風に周りに煙たがれるだろう。
うちの父親も、声は大きい方だ。
さらに、外食しても「これは冷凍品」などとケチをつけるところは、父親の嫌いなところのひとつだし、それが周りの客に聞こえて不快にさせたこともきっとあっただろう。
もうすぐ還暦を迎える父であるが、歳をとったら周りに迷惑をかけることもあるかもしれない。
いや、もうすでにかけているかもしれない。
もちろん、全てのおじさんがうざいオヤジになるわけではないが、うちの父はうざいオヤジコースだと思う。
隣に座ったオヤジに対し、正直「こんなオヤジが来る店じゃねーだろ」と思ってしまった。
そしてまさに、自分の親がそんな老いたオヤジになりつつある年齢。
自分の父親が、なんてことないカフェに行くことで煙たがれるだなんて、考えたくない。
色んなお店に食事に連れて行ってあげたいし、新しいものを見せてあげたい。モーニングのワクワクも伝えたい。一緒に食べたい。
もしかしたら、さっきの女性もそんな気持ちだったのだろうか。
私もお父さんに声大きいよって言えないかもなあ。
さっきのオヤジを許容することは、将来の父親を許容すること、してもらうことなのだ。
隣にうるさいオヤジが座ったらうざってえなあとは思うけど、これからは眉間に寄るシワをゆるめて、父親との朝食を想像してみようと思う。
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