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第2次世界大戦から第3次産業革命

今回は、第二次世界大戦直後の経済情勢について紹介します。
イノベーションが本格的に謳われるようになったのは、まさにこの時期です。

第2次世界大戦が勃発した時点において、全体として「大企業」は技術革命の一つの主要な産物であり、それはいまや経済成長のプロセスにおいて決定的な役割を果たしていました。

この時の大企業は3つの特徴があります。
それは、複雑な組織構造、互いに利害が対立する企業家・経営者・株主・従業員・地域社会・政府といった行為者の存在、そして研究開発が担う戦略的役割の重要度の上昇です

この時から、イノベーションの重要性が認識されるようになりました。イノベーションのプロセスは制度化され、化学とエンジニアリングのネットワークが結びつくようになりました。
企業で研究開発に従事する人々は、自分たちを教育してくれた教授や教師との関係を引き続き維持しており、このことが産学の連携を維持を助けていました。このイノベーションの制度化の過程は、特にアメリカやドイツといった「経済のリーダー」において、よく展開されたものです。
こういったことは、化学、石油、ガラス、通信、ゴムといった分野でみらえました。

研究開発は重要な戦略的資源となり、化学と関するより深い知識と優れた技術を保有することは、国内レベル、国際レベルの成功を達成しようとする企業にとって極めて重要なものでした。
この技術が最先端なものであればあるほど特許での保護が必要になりました。これによって、企業は外部委託できない「慎重な扱いを必要とする資産」を抱えるようになりました。また、研究開発と生産やマーケティングといった他の部門との相互関係の重要性もこのころから認識されるようになります。

研究開発コストは、多くの企業に予算という側面において、負の影響を与えたのは事実です。特に基礎研究に対する投資は、不確実性が高く、投資を回収するのに相当の時間がかかりました。しかし、こういった投資に対して、行政の支援に入ったり、研究開発に従事する労働者のインセンティブを与えるシステムが構築されたりと、結果として研究開発部門は企業、産業、国を全体として推し進めるものとなりました。

研究開発の質的転換がみられたいくつかの国は、「国のイノベーションシステム」をつくりあげます。こうした国では、多くの機関がイノベーションの推進するために、より生産的に協働していました。
ドイツでは、技術的なスキルと工学が奨励され、1930年代には、ヨーロッパの中で最も進んだ技術水準に到達することができました。
同じように、アメリカでは、最も洗練されたイノベーションシステムが構築されます。アメリカでのR&D活動の投資は、科学技術の応用に向かっていました。
このような投資は、研究室に直接投資されるか、気前のよい奨学金を用意する形で行われました。
R&D活動をする機関は、大学などの学術機関だけでなく、民間の研究所でも行われます。こういった研究機関は、大学からの委託で研究していました。
さらに、政府が独自にプロジェクトを実施するようにしています。
これらのプロジェクトは3つのレベルで行われました。

第一に、研究機関と大学の研究所のための基金規定
第二に、特定の資金調達戦略(主に軍需品の調達によって、行われるもので、これらの契約者は特殊な技術開発に従事していました)
第三に、基礎研究と応用研究を行う連邦政府の機関を通じて行われるもの

こういったプロジェクトと通して、アメリカは研究と通じて国力の増大を狙っていました。

技術によって方向付けられた産業

第2次世界大戦は、研究開発に対して、大きな需要をもたらします。
大戦で、アメリカの研究開発に関する投資は、1940年から1945年間に、8000万ドルから13億ドルに増大します。アメリカ政府は、科学研究研究開発局を設立し、公的資金を研究機関に供給し、民間企業が研究集約的産業と技術集約型産業におけるアメリカの競争力の強化しようとしました。
例えば、新素材(プラスチックや合成繊維)といったものは、この軍需におよって誕生したものです。新素材(プラスチックや合成繊維)といったものは、この軍需におよって誕生しました。
同様のイノベーションは、多くの国で個々別々に出現します。このことは、より優れた代替物の誕生に貢献します。その好例が、レーダーです。レーダーは戦間期に誕生し、応用化が進み、最終的には必要不可欠なものなりました。この技術は、イギリス、ドイツ、アメリカで同時に開発されています。また、ジェットエンジンもドイツとイギリスで開発が進み、1940年代には試作品として普及するようになります。
大戦末期には、「ビック・サイエンス」と呼ばれる分野への投資が強化されます。「ビック・サイエンス」への投資は、軍事関連の研究プログラムと、純粋に商用目的の民間企業のプログラムの合流を促進します。
民間企業はこの有利な環境下において、研究開発に多額の投資が行い、イノベーションの促進に貢献しました。

新しい産業革命を導いた新しい産業

第2次産業革命の波は、「化学」にありました。しかし、第三次革命は、物理学と、空間、時間、そして既存の物質の限界を超えようとする取り組みの中に見出すことができます。
これらは、インターネット、ジェットエンジン、大量航空輸送、原子力エネルギーといった技術と産業です。
これらの新しい産業の創造は、新しい市場機会と3つのビジネス領域における急進的な変化を伴わせました。

一つ目の領域は、通信です。それはインターネットと遠隔通信システムが含まれます。大規模通信ネットワークは、PCの普及と、携帯電話の技術システムの構築に貢献しました。
二つ目の領域が輸送です。これは、第2次世界大戦の航空技術の進歩がもたらしました。ジェットエンジンが市民権を得て、民間にも普及したときに、大規模な航空輸送時代が到来しました。
三つめの領域が物理材料の領域です。原子力やバイオテクノロジーといった分野で大きなイノベーションが見られました。

また、第3次産業革命においてカギとなった要素は、半導体やマイクロチップといった、GPT(一般汎用技術)の普及です。半導体は、遠隔通信、家電、医療機器、工作機械、兵器において必要不可欠なものでした。これらが後にPCやインターネットの開発の起因になります。
最初のトランジスタは、AT&Tの研究所であるベル研究所のショックレーらのグループで開発されました。彼らは、1956年にノーベル物理学賞を受賞しています。この技術は、電話システムの発展に貢献しました。
このショックレーの技術の応用し、IC(集積回路)を開発したのが、テキサスインスツルメンツ社とフェアチャイルドセミコンダクタ社です。このイノベーションは、マイクロプロセッサの開発に繋がります。
この汎用性が世間に普及し始めると、最初はミサイルと宇宙開発での利用がされます。その後、民間にも普及し、1970年代初頭には、PCの開発に必要不可欠なものになりました。


いかがだたでしょうか。
第二次世界大戦は大量の技術投資が行われ、それに伴うイノベーションの伝播が起こったということが見て取れます。そして、技術がものをいう時代はここから始まったのかもしれません。

では、また次回。

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