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大企業の発展―アメリカ編ー

今回から、第2次産業革命ので誕生した大企業の成り立ちについて紹介したい思います。今回はアメリカ編です。アメリカは経済大国の始まりがこの時期に見るころができます。

アメリカの大企業

アメリカの大企業ー消費財から工業製品に至るまでーは以下のような特徴がありました。

・株式の持ち分によって成り立っていた
・大企業は、川上・川下の垂直統合よりも、水平方向的な拡大をしており、ますます事業活動を組織内で統合しようとしており、多国籍企業となっていた。

そして、このころから所有と経営の分離が謳われるようになりました。このころの取締役会から、社外からの登用も見られるようになります。会社の所有者は、この取締役会には入っていましたが、経営能力がそこまであるというわけではありませんでした。そのため、常勤で働く傍給経営者が登用され、自社の戦略的意思決定や後継者などを決定するようになったのです。

以上のことが伴い、企業規模の大きな変容が見られるようになります。例えば、USスティール社は従業員10万人を抱え、GNPの約7%を担いました。またこのころに誕生した大企業として、スタンダード・オイル、デュポン、レミントンなどが挙げられます。
また、世論と政策のこの流れを後押しもあり、人口増と消費者購買力の向上で活気にあふれていました。しかし、数々の大企業が大きな力を持つようになるにつれて、多くの小規模の企業の企業家が「反トラスト」を主張するようになります。大企業の大きな力が市場機会を奪うのではないだろうかという懸念の声があがるようになったのです。そして1912年、ウドロー・ウィルソン政権の際にクレイトン反トラスト法が制定されます。この法律は以前にあったシャーマン反トラスト法を強化したもので、この法律の制定により連邦取引員会(大統領直属の独立機関として、不正競争、過大広告、独占禁止に関する業務を担当する)を創設されました。この法律は大企業に大きな規制をかけたようなものですが、逆に大企業の成長を後押ししました。つまり、企業が企業合同(価格操作やカルテル協約)を法的に禁じた結果、企業合併が大幅に増えたのです。1895年から1903年の間に平均すると、毎年300社がどこかの会社に買収されました。この買収で誕生した新たな大企業は、官僚的な組織を取りました。つまり、以前まで存在していた地域的な視野しかもたず、非公式なやりかたをしていた小規模な組織から、公式に定義された機構をもつ全国規模の複雑な組織への移行が見られたのです。このような現代的な制度の誕生は1880年から1990年代の間で見る事ができます。
また、大企業が成長しつづけることができたのは、しっかりと整備された教育制度と研修制度がアメリがにあったためです。アメリカの大学(MITやコーネル大学)は技術者を育てる新たなカリキュラムを19世紀後半に設立しました。これらの大学は、GEやGMとのつながりがあり人材の輩出をしていました。また、ビジネススクールも重要なプレーヤーたちを送り出します。学生たちはそこで、巨大な規模で統合されたビジネス集団の戦略や経営慣行に慣れ親しんでいました。1914年まで30のビジネス・スクールが存在し、毎年1万人の卒業生を輩出していました。

反トラスト法は、アメリカの競争への信頼と権力の集中への不安を反映しています。しかし、実際の市場は3社から5社の大企業で支配される寡占のs状態にあり、純粋な競争というものは稀有なものでした。アメリカの企業は、寡占状態のもと、企業は市場占有率とその結果生じる収益を求めて、職能的・戦略的なレベルで競争していたのです。

いかがだったでしょうか。アメリカでの大企業の出現に伴う変化というものが見て取れると思います。おもしろいことに、大企業の出現によって、小規模企業が時代遅れの存在となることはなかったという点です。というのも、小規模企業は、特化した市場に自分の居場所をもつことで、大企業と共存をすることができました。小規模企業の主たる優位性はその柔軟性にありました。この柔軟性は、差別化のもと優れた特徴をもつ商品の製造を可能にし、市場と消費者のニーズの変容に機敏に対応するため、製品系列を素早く改変できるようにしました。この時期のアメリカでは、大企業の成長は、小規模企業の数の増大と手を携えて進行していたのです。

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