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大企業の発展:遅れてきた国編

今回は、経済成長が遅れてきた国の大企業について深掘りします。その国とは、フランス、ロシア、そして日本です。イギリス、アメリカ、ドイツが先陣を切って大企業というものが誕生したのに対し、後進的に経済成長した国の特徴には何があるのでしょうか。

フランス

フランスは、先進的な国と後進的な国の中間点的な位置づけになります。フランスが大企業の世界的な流れに乗り遅れた理由として、フランスの大企業は、同族によって支配されており、彼らが大量生産・大量物流への投資を遅らせていたということが挙げられます。

しかし、1900年代初頭には、現代的な大企業がフランスでも登場するようになります。フランスの鉄鋼業は、原材料の希少さと市場の狭隘さのせいで、ドイツのものと比べて規模は小さいものでしたが、非常にダイナミックに活動していました。フランスが成功した企業は、繊維、ガラス、セメント、出版、輸送機器、そして楽器といった分野で見られます。

こうした企業は、ドイツの企業とほぼ同規模であった特徴があります。フランスは産業革命の流れに乗り遅れたものの、イギリス、ドイツ、アメリカと同じ流れを辿りました。

ロシア

ロシアにおける大企業の歴史は、1917年の10月革命以前にその起源があり、他に遅れて固有の特徴が見られます。その固有の特徴とは、地方の企業家精神を鼓舞するともに助成金を支給し、全国市場に役立つ企業を保護するために関税を使ったというところです。ロシアの場合、国家が直接経済に介入しました。

地方、あるいは海外の企業家精神で誕生した企業は、冶金、機械、石油、ゴム、輸送機械、造船所といった資本集約的な産業部門です。この点は、他の工業国と同じ道を辿っています。また、カルテルの結成に関して、ロシア政府は一切の介入をしませんでした。

上記の例をみるように、ロシアの大企業の誕生の裏には、大きな政府がありました。

日本

1868年の明治維新以降、政府は積極的に推し進め、自身が、鉱業、セメント工場、ガラス工房、造船所といった分野で企業を興し、管理するという仕事を引き受けました。政府は、外国人専門家を数多く招き、助成金を与えます。政府がこの上ない工業化への推進をしますが、日本の産業発展における唯一のものではありませんでした。

政府は自身が興じた大企業が管理できなくなることを理解しはじめ、そうした企業を民間企業に引き渡すようになります。この民間企業らの企業家精神が大きな役割を演じます。彼らがいわゆる財閥と呼ばれる人たちです。

財閥とは、三井、三菱、住友といった裕福な相続にとって所有、支配されていた、多角経営を旨とする企業集団です。彼らは、金融、海運、国際貿易に、機械輸入に集中して多角化し、日本の飛躍的な成長の道を切り開らきました。

しかし、日本の経済成長が遅れた理由は、国内市場の狭隘さと最適な技術を育成できなかったことが、先進国と同等の効率性を獲得することを妨げていたことが挙げられます。


いかだったでしょうか。3回を通して、アメリカ、ドイツ、フランス、ロシア、日本を見てきましたが、日本の経済発展の特異さがよくわかると思います。政府が事業を起こして、その拡大を民間が担ったという例は、非常に稀有です。経済成長を考えるときは、相対的に考えるのもいいのですが、日本の経済発展の歴史から、独自の方法を考えてみるのもいいかもしれません。
では、また次回。

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