見出し画像

敬意

実家の父が最終章を迎えている。

一緒に住んで生活してみないと「老いる」ということがどんなことなのかわからない。
いや、父と同じ90近くにならないと本当にどんなことなのかは実感できないだろう。

寝たきり寸前のフレイルMAX。

腰と右膝の痛みがひどくて、自力で立つこと、移動することができない。
座っていても常に体勢を変えないと腰と膝が痛くてじっと座っていられない。
歩行器にもたれかかってリビングからトイレに行くのがやっと。
「あいたた」「きつい」1日何度もこの言葉を発する。

あれだけシャープな頭をしていた父でも物忘れが多々出てきて、一日中探し物をする。
一つ一つの動作が遅い、
一回座ったら立つのが大変。
ご飯の時に頻繁に咳き込み、真っ赤な顔で苦しみ始める。

父は2日に一度透析に通っているが、9時にお迎えが来るのに6時に起きて準備をしている。

パジャマを脱いで、普段着に着替えることから大変な作業。
腕が上がらないから上手く袖を通せない。前屈みができないので、靴下を履くのは一番大変。着替えに30分かかる。

介護のために実家に帰ると朝から晩まで両親に呼ばれる。「あれとって」「これとって」から始まって、「ここに置いたはずの〇〇がない、探してくれ」「トイレのドアを閉めて、電気を消して、ズボンを上に上げてくれ」「つまようじを取ってきてくれ。」「お茶が飲みたい。」…

服の脱ぎ着のお手伝い、三度のご飯の準備と後片付け。服を脱がせてシャワーを浴びさせ、体と頭を洗ってあげて、体を拭いて服を着せる。そのあとドライヤーで髪を乾かす。お風呂だけで1時間。
風呂に入らない日は、リビングに熱いお湯を張った洗面器とタオルを持ってきて、服を脱がせ、ホットタオルで体全体、髪の毛を拭き、手足を直接洗面器につけて指と指の間まできれいに洗う。湿布を貼りかえる。歯磨きをしてあげる、ベッドに寝かして布団をかける。
日用品の買い出し、病院(4.5軒)への付き添い…

生きることってこんなにも大変なことなんだとつくづく感じる。

孫の世話をするときもかなりのエネルギーを吸い取られるが、介護はそんなものの比ではない。
自分がお風呂に入る気力もなくなる。

父も5年前までは公園をウォーキングして、車に乗るのが大好きなので、よくドライブをしていたものだったが、ここ1ヶ月で急激に筋力がなくなった。

今はもうろくしていても、父にも若くて輝かしい過去があった。

新聞記者として、「ペン」で世の中の人たちに多くの情報、トピックを与え、世論をリードし、才能のある無名な人たちにライトを当てて背中を押してきた。

父の若い頃は持ち運び可能なレコーダーがなく、話を録音することができなかったので、警察や役所の会見がある時には、人の話を速記(あいうえお…を簡単に記号化したもの)でバーっと記録していた。

それがなんともかっこよくて、私も父に速記を習って、中学、高校の授業を速記で書いていたこともある。文字で書くより速く記録できるのだ。

父は日記を書く人だったが、日記も速記で書いていた。人に見られても記号で書かれてあり誰も読めないので、日記は寝床の近くの棚の中に無造作に置かれていた。

父がいない時に、速記で書かれた日記をこっそり読もうと試みたが、文字にもクセがあるように、父の速記の記号にはクセがあり、自分だけにしかわからないもっと簡略化された記号を使っていたので解読不能だった笑

80年代中旬、自宅に突然ワープロが届いた。
新聞社もワープロで文章を書く時代になって、機械に慣れるために練習するのだと。「お前たちも自由に使っていいぞ!」

キーを叩いて文字を打ち込むと液晶画面に文字が現れ、内蔵してあるインクでプリントもできていた。

自分の打った文字がきれいに綴られて一行ずつプリントされて出てくる瞬間の感動はすごかった。

ワープロの時代が終わり、パソコンが普及し始めたら、父はすぐにパソコンを買い込み、ほぼ独学でマスターした。

筆王で住所録を作り、年賀状はパソコンで表裏ともプリントする。干支のイラストもパソコンで自分でデザインしていた。

私の名刺もパソコンで作ってくれた。

4年前、あまりにもスマホを欲しがるので、誕生日プレゼントにスマホを買ってあげた。簡単スマホでなくて普通のスマホだ。

キーを打つのがめんどくさいし、打つのが遅いので、自分で音声入力機能を見つけて、音声入力している。滑舌が悪くてきれいに変換できないのを、スマホのせいにしている笑

母が料理をしないので、Uberで料理を注文している。日本でUberを注文する人の中で最高齢ではないかと思う。

LINEもマスターして、ビデオ通話をかけてくるし、面白いことがあると写メってラインで送ってくる。

身体が不自由でもその中で楽しみを見つけて毎日忙しそうだ。


先日、山田太一の「男たちの旅路」というシナリオ本を購入した。以下、その中の「シルバーシート」という短編のセリフ。

⭐︎人間はして来たことで、敬意を表されてはいけないかね?いまは、もうろくばあさんでも、立派になんにんかの子供を育てた、ということで、敬意を表されてはいかんかね?

⭐︎年をとったにんげんはね、あんた方が小さい頃、電車を動かしていた人間です。踏切を作ったり、学校をつくったり、米を作っていた人間だ。あんたがころんだ時、起こしてくれた人間かもしれない。しかし、いまは、そんな力がなくなってしまった。すると、もう、誰も敬意を表することがない。

⭐︎そういう過去を大切にしてやらなきゃあ、人間の一生ってぇのは、なんだい?年をとりゃあ、誰だっておとろえるよ。めざましいことはできないよ。でもね、この人はなにかをして来た人だ、こうこうこういうことをして来た人だってんで、敬意を表されちゃいけないのかね?それがなけりゃ、次々ただ使い捨てられて行くだけじゃないの!

⭐︎年寄りのね、本当に無念な淋しい気持を、あんたはまだわからない。あなたの20年後ですよ。20年後には、今の私たちと同じです。

いろんな葛藤があった後での今の私だからこれらのセリフが胸に突き刺さる。
今の私は父の最終章と向き合う覚悟ができている。

これまで楽しかった日々を共有させてもらってありがとうの気持ちで、最期まで敬意を持って接していきたい。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?