はじめにSNSやtwitterでの議論を見ると、安倍政権の評価には賛否両論があるが、倫理や高潔さに無関心な人たちの発言も多くあり、衝撃を受けている。我々の社会を構成する基盤ともいえる「公正」「正義」といった社会の健全性を保つために不可欠な理念をズタズタにしたことで、日本に深い亀裂が生じている。 現政権が7年8か月の間に起こした様々な疑惑や事件に対して我々は目を背けず、追及しなければならない。説明責任に対して不誠実に対応し、国民の関心を逸らすやり方は、政権自体が、「ご飯論法」
レイ・ブラッドベリは、1920年アメリカ生まれの作家。20代はじめからSFや怪奇小説の専門誌に短編を書きつづけ、'50年の『火星年代記』(ハヤカワ文庫SF)によって文壇に認められた。残念ながら永遠の少年であった作家は、2012年に亡くなってしまったが、その煌めきは衰えることなく、読者のものに新たな光明を届け続けている。特に新訳が出て、若い読者も読みやすくなったというのも大きい。ハロウィーンの夜更けに、子供が子供のまま、世界の見方が変化するあの感覚を本で追体験してほしい。 ハ
はじめに この文章は過去に某所に記したもの。もう20年以上前にもなれば、当時の若者は中年。時が経過するのはあっという間である。それまでは本を買うことは新刊書店しか知らなかったので、古書店に足しげく通うことになろうとは当時は思っていなかったはず。当時、SF文庫といえばハヤカワSF文庫だったのは、『SFハンドブック』の影響が大きい。その後創元SF文庫があるのを知り、こちらも集めるようになり、文庫落ちしていないハードカバー本、サンリオSF文庫、銀背…とディープな深みにはまっていく
積ん読が熱い 現在、TSUNDOKU(積ん読)が熱い。G・マルケスの『百年の孤独』が文庫化したように、積ん読ブームが来るのではないかと個人的は感じている。なぜか?小生はSNS上で本棚の写真や、本の積み山の写真がアップするのだが、それを肴にSNS上で楽しそうに語ることが多いからだ。みんな、大量の本が一か所にある状況が好きなのではないかと思う。圧倒的な本のコレクションを見ると、自分も興奮するのだが、このアドレナリンは一体どこから出ているのか、つくづく不思議に思う。大量の本を見て
このnoteは東京の古書店の話になるので、近畿・関西・東北・九州・北海道・四国・沖縄方面の方々には東京ローカルの話になってしまうのでなんのことやらかもしれません。小生自身は文庫、新書、海外文学の蒐集家で、足しげく古本屋に通っていた時期がありました。特にこだわりがあるのが、中公新書。たぶん漏れはないとは思うのですが、2024年現在全点初版(増補版も含め)で所有しています。ただし本本体はあれど、一部所有していない内容栞があるので、完全なコンプリートにもう一歩という状況にある。以下
社会思想社A&Fシリーズ 人生を変えるような読書経験を皆さんは体験したことがあるだろうか?齢を重ねて読書を続けていると、年齢の節目にそういう経験をする可能性が高くなる。 小生の場合、今は亡き社会思想社から出ていた<魔剣伝説>シリーズがそれだった。レーベルはA&Fというシリーズで『凍結都市』<ゲーミング・マギ>シリーズなど、冒険&ファンタジーに特化した作品が多く、当時TRPGが流行っていた中で、特に雑誌ウォーロックを読んでいた人たちは、このシリーズに気が付いて読んでいたの
本を処分するのは難しい 人生には大きな本の整理が訪れる。小生の場合、転職のときと実家の整理が大きな本の整理であった。本の選別は、不要になってしまった本、読まないであろう本を中心に処分をしている。特に実家の整理の時は、時間があまりなかったこともあり、丁寧な処分ができなかったのは心残りではある。その際に重宝するのは、従来型の古書店である。ブックオフの場合、古い本はほとんど査定が付かないので、古書価値がある本はできる限り、既存の古書店に販売するのが望ましい。 ブックオフだと多分
帯って不必要? 帯って要らないんじゃね?という派の人も多いと思う。なければない方がいいのだが、帯自体は日本で発達した文化だと思っているので、新刊書店で買う時はできる限り初版帯を入手したいと考えている。というのも、帯には編集者や著者の想いが込められた推薦文や広告が載せられていたり、帯そのものが本の装丁の一部になっていたりするからだ。もちろん本本体が読めることが重要なので、まずは本を入手。もし帯があれば、帯付きの本を(のちほど古書店で安く見かけたら)買うというスタンスでいる。
職場の帰りによく、某ブックオフに定点観測を行っている。こちらのブックオフはこの近辺では最大級の品ぞろえで、週2回ほど定点観測をしているのだが、何かしら入手できるものがあるというオソロシイブックオフだったりする。神保町もそうなのだが、とにかく回転率がよくて、棚が死んでいないのがすべてなのかもしれない。 自分の定点範囲はノンフィクション(社会科学系)、外国文学、国内作家、新書なのだが、その中でも特に海外文学の充実ぶりは異常なくらい。1か月ぐらいすると、新刊も含めてかなりの数の海
当時の本の現状 本の雑誌の取材にあったように、自分の本は3か所に分散している。1つめは職場、2つ目は自宅、3つ目は実家だった。今回、実家を立て直すにあたり、2011年ぐらいまで蒐集してきた本をどう保持するのかを考える必要に迫られた。1&2はすでに自分の手元にあるので問題ないが、実家に置いている本たちをどう回収するのか、どう見切りをつけるのか、2023年夏が過ぎたあたりから、意識しはじめた。どう見積もってもかなりの量の本があるため、実家の方はある程度手放す決意をしていた。そこ
前のエントリーにあるように、父親の死によって自宅の本を整理することになり、ほぼ1年間かけて整理を完了した。特に本の整理が加速したのは、12月より西荻窪で古本屋を営む盛林堂さんにヘルプに入ってもらうことによって、本の整理が本格化した。最終的に全体としては2万冊ぐらい処分することになったが、ずば抜けて自分の保有分が多かったのもあり、かなり本の処分に難渋した。 時系列推移どれくらい本を処分しなければならなかったというと、実家2階部分には父親の書斎、自分の部屋、廊下側に本棚が4棹、
約1年間の本の整理と膨大な事務作業想像を絶する事務作業 2023年1月末に実家で父が急死したことで、老朽化した実家の立て直しが必要になりました。当然、身内の死に関しては当事者として初体験だったのでした。いつまでも元気だと思うな高齢の親。 事前に読んでおいてよかった漫画が1冊あるので、一家に一冊。特にコレクターやオタクの人たちには強くお勧めしておきたい。この1冊と区役所からもらう「おくやみハンドブック」で何をしなければならないのかが、明らかになりました。 こさささこさんの
本を積む人にタイトルはあぜのごまんさんの本のパロディです。 本の雑誌2023年8月号にインタビューされて以来、積み本の山をなんとなくtwitterにアップロードしていたら、なぜか皆さん積山が好きな模様で、積山についてたくさんのコメントをいただけるようになりました。積山ができたきっかけは、父親の死と実家に大量にある自分の本の整理でした。今回、大量の本のある実家の整理を続けてきましたが、家の建て替えのリミットが近づいてきていて、かなりの量の本を処分することになりそうな感じではあ
この感想文はもともとシミルボンに投稿していたものでしたが、シミルボンが閉鎖してしまったので、感想文を少しずつnoteに移行していく予定です。 世界がある日突然、崩壊したとき、僕たちはどのように生き延びようとするのだろうか。それを運命として受け入れるべきなのかと。文明社会が崩壊するということはなかなか想像が難しいかもしれないが、地球に生を受けた我々は突然変異の病原体によって、もしかするとそのような事態に巻き込まれるかもしれない。そんな状況を描いた古典的SFとして名高いのは小松
皆さんは中公新書に栞が封入されていたことをご存じだろうか?現在の中公新書とは異なり、昔の中公新書はビニールカバーで巻かれたものであった。このビニールカバー(以下、ビニカバと略)バージョンは、古書店の均一棚で見かけたこともあるだろう。そんなビニカバ本の中に、本の内容の一部が書かれた栞が付属していることに気が付き、どんなものがあるのか興味を持った。長年にわたって、栞付き初版中公新書を蒐集をしている。 新書に付随している栞は魅力的なものが多い。例えばちくま新書の栞に関してもいずれ
これまで歴史上でバラバラだと思われた事象が、一つの大きな環になったように思える読書体験を味わえる本。戦後の世界の流れから現在に至るまでの世界システムの変遷を知るための必読書になると思われる本書は、読み終えたと同時に「目からうろこが落ちる」本であった。この本の内容はコリイ・ドクトロウ『リトル・ブラザー』(早川書房)にも関連している。どちらかというと『ジェニファー・ガバメント』『宇宙商人』的ディストピア世界への移行の可能性があるのか、現在進行中の現象について取り扱った本といえよう