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誰にでもはじめてはある

はじめてのインターネットと聞いてインターネットの定義から遡ってどこか話したくなってしまうほどに老害な意識を持ち合わせている。

社会人経験において、年齢詐称疑惑が濃厚な私のはじめてのインターネットは物心がついた頃だった。

IT系の企業といっていいのか正直よくわからないけれど、IT系に分類されがちな企業に勤めていた父のオタク趣味として、いつも当時の最先端のIT機器や不思議なアプリケーションが手の届くところにあった。その頃の記憶はとても曖昧すぎるので、自分がはじめて主体的に行動したことだけに焦点を当てると、一番鮮明だったのはIRCで一晩中誰かとくだらないことを話したことや簡単なbotを作っていたことである。

botといっても最近のものとは違っていて。人工無能である。フレームワークらしいフレームワークもロジックも特にないそれは想定されたキーワードを元に想定されたルーチンでの処理を返す。それだけである。

今のほとんどコードを書かなくてもできる、自然言語分析エンジンを組み込んだり、画像分析エンジンの自己学習のような立派なものはない。片言の日本語をキーワードのコマンドラインとして入力し、決められた処理を返す。それだけだった。

当時は同世代の人たちは誰もいなくて、大人ばかりの世界だった。知り合った大人たちには、今でも付き合いのあるくらいのいい大人もトラウマになるくらいの悪い大人も両方存在していて貴重な経験がたくさんできた。

プログラミングの基礎にあたる好奇心もそういう大人たちからもらった情報で勉強したのをよく覚えている。今ほどツールが無料で手に入りやすいものではなく、どこからはじめたらよいのかとお小遣いを貯めてアカデミックパックのIDEを買ったりしたものである。

ただ、言えるのは、自分たちよりも若い世代にとってのはじめて出会う大人になる場合、私は常にいい大人でありたいということ。当時の大人たちに比べて今のは私はいい大人だろうか?

時々自分に問いかける。

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