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【読書評】ナディン・ゴーディマ「むかし、あるところに」

「あるとき私は児童文学全集に作品を書いてくれという依頼を受けた。私は子どもの本は書かないと返事を出した。するとその人は、最近の会議だかブックフェアーだかセミナーで、ある小説家が、作家は少なくとも一つは子どものための本を書くべきだと発言したという手紙を送ってきた。私は、なんであれ、”書くべき”だということは受け入れられないという葉書を出そうと思う。」

岩波文庫『ジャンプ 他十一篇』ナディン・ゴーディマ作、柳沢由実子訳

この作家は、作家は少なくとも一つは子どものための本を書くべき〜、という一般受けしそうな切り口を持ち出しながら、そんな「べき」論は受け入れることができないとハナから突っぱねてしまう。言われたことを鵜呑みにはしないで、まずは疑って見てみる、そんな作家としての姿勢の表出だと思うべきであろうか。

当時の南アフリカではまだ白人と黒人の間の隔離政策と経済的な格差が厳然と存在していた。中流程度の白人家庭は郊外の庭付きの屋敷に住み、警備のために家の周りに鉄条網を巡らし、窓枠には鉄格子を嵌めた。屋根板が軋むだけでも強盗が家に侵入したのではないかと疑い、冷や汗をかくような緊張が襲う。彼女の部屋の窓枠は「薄切りのライム」のように薄かったから、彼女の脈は不整合に高鳴る。

日中、政治的な抑圧や抵抗者たちに対する思索に思いを巡らす作家は、純粋な意味で子どもたちだけのことを思うことができない。子どもを大人のように、大人を無垢な子どものように、そしてそれらすべてが包摂される理想の南アフリカや政治的生活に思いを巡らせる。彼女は自らを寝かしつけるために、ベッドタイム・ストーリーを語り始める。

「ある都会の、ある郊外の、ある一軒の家に、一人の男とその妻が、とても愛し合って毎日幸せに暮らしていました。小さい男の子がいて、彼らはその子をとても愛していました。...」

彼女の物語によると、その夫妻はとても愛し合っていた。夫は自宅の安全のために、電子制御の門、泥棒除けの鉄格子と警報装置を設置した。当時町では暴動が頻発し、バスが焼き討ちされ、車は石を投げつけられた。遠い居留地に住む学校の生徒たちは警官に撃たれていた。ペットの猫が窓から飛び込めば、けたたましい警報サイレンが家中に響き渡る。この時代、治安は個人生活にも密接に関連していたのであった。

やがて、夫妻はバリケードの導入を決定する。「龍の歯(ドラゴン・ティース)総合警備会社」の提供するバリケードは、とても鋭利だ。硬くてギラギラ光る金属ののこぎり歯がぐるぐるコイル状に巻かれて塀のてっぺんに端から端まで固定されており、だれも乗り越えることも、その牙に引っ掛からずにその刃のトンネルを通り抜けることはできない。引っ掛かれば決して逃げることはできず、もがけばもがくほど、歯が肉に食い込み、あたりは血の海になる。

ある晩のこと、愛情深き母親は小さな男の子に、クリスマスに賢い魔女からもらった本の中からおとぎ話を読んであげた。寝かしつけられた男の子は厚く恐ろしいトゲで覆われているお城に潜り込み、眠れる美女にキスして目を覚まさせてあげた。

翌朝起きた男の子は庭先にコイルのトンネルを見つけた。昨晩の愉快な夢の残像が残っていたのだろう、男の子は意気軒昂にハシゴを引っ張ってきて塀に立てかけてお城への潜入を決行する。ピカピカと光るノコギリ歯のコイルのトンネルに...

男の子がコイルのトンネルに潜り込むとカミソリの刃が容赦なく彼の膝や手や頭に食い込み、もがけばもがくほどにその小さな体は歯に絡み込んだ。男の子は悲鳴を上げ、周囲の人々によってようやくのこと救出された。男の子の救出のために使われた血まみれののこぎりやペンチ、肉切り包丁の描写が痛々しく、男の子はもはや肉の塊のような描かれ方をしている。最終的に助かったのだと思うが、その生死についても記されてはいない。

ここまで読んできて私が思ったのは...著者は子どもに過度に夢を抱かせる物語を書きたくなかったのだ。ピカピカの王子様やお姫様たちがおとぎ話に影響されて、獰猛な現実の中へと飛び出してしまうかもしれないから。安全圏、家から不用意に出れば血まみれになって命を落とす可能性がある...「安心」や「安全」な社会制度(この小話の中では保険の話が出ている)が保障する領域から飛び出した個人は容赦なく絡め取られ、鋭利な歯で痛めつけられる。そこにはもはや人種も大人も子どもも関係なく、人間を抑圧する南アフリカという国家の制度が監獄のように厳然と存在しているのであった。

子どもに語り聞かせるにはあまりに重いおとぎ話である。著者の眼に写っていたのは、南アの政治的生活者たちの群像であり、子どもといえどそこから完全に外れることは難しかった。それは彼女の厳密な態度とも言えるし、その一方で、もう少し子どもには子どもの世界を持たせたいと感じる人もきっといるだろう。少なくとも、ナディンは虚構の世界の中でも子どもを子ども扱いしなかった、ということをこの読書評の結びにしておきたい。

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