異文化で生まれ育つことについて

私の両親は私が生まれる直前に日本に引っ越してきて、そのまま現在に移住している。いわば「移民」だ。そして、移民の子である私は「移民二世」ということになるだろう。

移民の子として生まれて育つことには、それ特有の苦労があるものだし、場合によってはそれ特有のメリットがある。韓国や中国から日本に移住した人たちの子孫や(「在日二世」とだけ書くときには在日コリアンのことを指している場合が多いだろう)、日本からアメリカに移住した人たちの子孫(日系二世など)については、彼らの置かれてきた状況や経験してきた苦労が社会科学的な研究の対象となり、また小説や映画などのフィクションでも描かれてきているので、一定の周知がされている印象がある。それに比べると、私のような在日アメリカ人のことを主人公とした物語はほとんどないし、社会科学などにおいても取り扱われているのはほとんど見たことがない。これは単に母数の違いによる問題であるし、また在日コリアンや日系アメリカ人などの移住が深刻な歴史的経緯を背負っているのに比べて在日アメリカ人や在日ヨーロッパ人はそうでもないから、「研究意義」があまり存在しなかったり物語を描きにくいという面もあるのだろう。

いずれにせよ、今回は私の経験に照らし合わせながら「日本において、アメリカ人の両親にアメリカ文化のもとで育てられることにはどんな苦労やメリットがあるか」ということを述べ立てよう。


…ただし、ここで問題となるのは「アメリカ人の両親のもとに育てられる」といっても、育つ場となる家庭内の「文化」は必ずしも典型的な「アメリカ文化」ではないかもしれない、ということだ。私の両親がアメリカ人であることは確かだが、アメリカ人といっても色々であるし、また両親にはアメリカ人であること以外の属性も備わっている。おそらくいちばん重要なのが、私の両親には二人とも「大学教授」という属性が備わっていることだろう。そのため、通常のアメリカ人に比べるとインテリではあるし、また概して「リベラル」な考え方をしている(片方の親は、リベラルの牙城として有名なカリフォルニア大学のバークレー校出身であるのだ)…これらの要素のため、たとえば私が「両親がアメリカ人であるためにこの点で苦労したなあ」と思ったとしても、実際には両親がアメリカ人であることではなく両親が知識人であることに由来する苦労であった、ということは起こり得る。

また、私自身の生まれつきの性格や性質なども影響するだろう。人間の性格や性質には環境や教育によって変動する部分があることはいうまでもないが、心理学の研究などは「環境や教育によらない、生来的に取得した性格や性質の特性」が存在していることを示している。そして、どんな文化であっても、その文化と相性の良い性格や相性の悪い性格が存在するだろう。たとえば日本では自己主張が弱くて協調性が高い人の方が成功しやすくストレスも感じづらい生活を送れるがアメリカでは逆に自己主張が強い人の方が成功して幸福な生活をしやすい、といった風だ。…そのため、私がアメリカ文化のもとで育てられることによってなんらかの苦労やメリットを感じたとしても、私と同様の環境で育った人が必ずしも同じ苦労やメリットを感じるとは限らず、その苦労やメリットは私の性格や性質とアメリカ文化との相性の良さや悪さに由来している可能性はある。

…しかし、こんな風に但し書きをつけていると、いつまで経っても物事を語ることができない。ここからは、アメリカ移民の家庭で生まれ育ったことについて、個人的に「良かった」と思う点や「悪かった」と思う点を具体的に挙げていくことにしよう。


悪かった点:家の本棚に日本語の本がない。

アカデミック系統の道に進む人にせよ芸術系統の道に進む人にせよ、「教養」や「文化」に関する道に進む人のエピソードを見てみると、その多くは「親の本棚から本を手に取って読んでみたことで、教養や文化への憧れや理解を身に付けた」的なエピソードを原体験として挙げている。しかし、私の家の本棚には当然のことながら英語の本しかなく、私が英語を読めるようになったのはかなり成長してからなので、「親の本棚から本を手に取って読む」的な原体験がついぞ得られなかった。

また、親の本棚の本が読めないということは、言ってしまえば親から得られるはずの「文化資本」の大半を失うことでもある。特に私の場合は両親が大学教授であり、両親としても私が自分たちの後を継いで学問なり文化なりの道に進むことを望むわけだから、文化資本が得られないことは深刻だ。同じような両親を持つ日本人であれば「学問や文化の道に進むのが当然のことだ」という期待やプレッシャーを課される代わりに「学問や文化とはこういうものだ」ということを本などの実物や具体例を持って示してもらえるのだが、私の場合はプレッシャーや期待だけを課されて実物や具体例は示してもらえなかったのである。おかげで進路やキャリアが色々と歪んでしまった。


悪かった点:学校、受験、就職などの制度に関して親が理解していない。

アメリカと日本では学校や受験のシステムが大きく異なることは周知の事実だが、私の親に関しては「異なっているらしい」ということは知っていても「どう異なるのか」と言うことまでは深く知る気がなく、またこちらが説明しても理解してくれなかったので、多くの点で色々と不便な事態になった。受験への協力が得られなかったことも大きいし、「新卒採用」という概念を理解してくれないので就活への協力も得られなかった。…もちろん、両親が日本人であっても受験や就活について理解していない家庭が存在することはわかっているのだが、私の家庭の場合は両親が大学教授なので「期待値」だけは普通のエリート家庭のように高くなってしまうことが厄介だったのである。

また、私の両親は日本社会への見下しをあからさまに表明しており、各種の制度の不合理な点や理不尽な点をことごとく挙げては批判していた。たとえば「部活なんて不合理なシステムはアメリカにはない、あんなものが存在することは馬鹿げている」などだ。その影響を受けて私も「部活って不合理なシステムなんだな、やらないでおこう」となったのだが、周囲の人間の大半は部活を経験しているので話が合わずに孤立した思いを抱いたり、価値観が合わずに困ってしまうことになる。…成長してから気付いたのだが、両親にとっては日本社会は自分が住んでいる場所とはいえ「他人事」だから好き勝手なことを言えるの一方で、私にとっては日本社会は「自分事」なのである。だから、親の言葉に惑わされずに、日本社会との適応や妥協を重視するべきだったのだ。


悪かった点:食事に対する態度がまわりと違う。

よく「アメリカの食事は日本の食事よりもまずい」「アメリカ人は日本人よりも食事に気を使わない」と言われるが、この点に関しては少なくとも私の家庭には当てはまらない。私の家庭では父親が料理を担当していたが、父は食事や料理にかなりこだわる人であった。食材も効果で良質なものが使われることが多く、野菜の割合も高かったので、一般的な日本人の家庭よりもはるかに良質で健康的な食事が出されていたように思われる。

ただし、アメリカと日本の食事に対する態度の違いとして、「好き嫌い」や「食事を残すこと」がアメリカでは日本に比べて許されがち、ということがある。そのために私も料理や食材に関してはいまでも好き嫌いを示すし場合によっては食事を残すこともあるが、これをすると周囲の日本人からは眉をひそめられたり表立って批判をされたりしてしまう。ここで問題となるのは、日本人の側の「好き嫌いをしてはいけない」「食べ物を残してはいけない」という規範意識があまりに強すぎて、それを相対化して理解してくれないことだ。「君は日本の家庭に育ったので"好き嫌いをしてはいけない"という規範を重視しているかもしれないが、自分はアメリカの家庭に育ったので"好き嫌いをしてはいけない"という規範を共有していない」ということを説明しても伝わらないのである。このような状況は食事に限らずとも様々な場面で起こり得る。


良かった点:英語の習得に苦労しなかった。

家庭内では両親とは英語で会話することになるので、当然のことながら、英語の習得は早くなる。あくまで家庭内の会話にとどまるためにネイティブレベルの語彙力とはならないし、文法や単語については勉強も必要となったが、それでも日本人が一から勉強をするよりもずっとラクであったことは間違いない。英語が身に付くことで洋書が読めるようになったり仕事の選択肢が広まるというメリットももちろん存在するが、大学受験で有利であるという点もかなり大きなメリットであった。

ただし、読み書きやリスニングは上達しても、家庭内の会話だけだとトーキングは一定以上は成長しなくなる。これは、会話の対象となる相手が家族だけなので、自分の発音がヘタクソでも聴く側である相手がそれに慣れてしまい、発音を矯正しなくても会話が成立してしまうことが原因だ。そのために、家庭外の外国人と英語で会話をすることは、できなくはないが微妙な事態になる。相手は私の発音に対して怪訝な顔をするし、私としてもそれが嫌なのでそもそも会話をしたくなくなるのである。


良かった点:クリスマスが豪華だった。

アメリカ映画をよく見る人なら「家の中にクリスマスツリーがあって、その下にプレゼントがたっぷり」という情景が想像できるだろうが、この欧米ならではのクリスマス文化は日本の我が家にも引き継がれていた。プレゼントの数が多いのもよいし、祝祭感があるのもよい。

…ただし、青年になってからは、日本風に恋人とクリスマスを過ごしたいときでも家族イベントへの参加が強制されることが厄介であった。両親の方には「クリスマスは家族と過ごすべきものだ」という規範意識があるのだが、私にはそれがよく理解できていなかったのである。おかげでクリスマスの時期にはむしろ家庭不和になったりしていた。また、クリスマスと引き換えに正月は質素なものであったし、親戚も周囲にいないからお年玉の総額が少ないことも残念であった。


悪かった点:親戚がいない。

親がアメリカから移住してきたということは、その親戚はアメリカに残ったままである。そのため、親戚に出会った機会はこれまでの人生でも数度だけだ。

親戚がいないことのデメリットとして私が感じるのは、まず祖父や祖母と会う機会がないので「老人」という存在への接し方がわからなくなることだ。同様に、いとこやその子どもたちとも会うことがないので、自分と年齢層の違う人間なり「赤ん坊」「子ども」と関わる機会も他の人より少なくなる。こういう状況は社会性やコミュニーション能力に少なからず悪い影響を与えるだろう。人生プランや悩みなどについて相談できる大人が両親しかいなかったことも問題であったように思える。


…自分では苦労してきたつもりだったし、内心では今もそのような自己認識を抱いているが、こうして列挙してみると大した苦労はしていないような気もしてくる。すくなくとも、物語の題材になったり社会科学の研究対象になるような深刻で劇的な苦労ではないことは認めざるを得ない。また、私自身にもっと意志力やバイタリティがあれば解決できていた面も大きいだろう。

しかし、言わせてもらうと、移民の子であることに特有の苦労とは劇的なものであるとは限らない。些細な場面で家庭内の文化と家庭外の社会との規範や価値観のズレや相違により余計なストレスや労力や手間が発生することの積み重ねこそが最大の苦労である、と言うこともできるのだ。他の人が経験しないで済んでいるストレスを経験してきたという点では不利であることは間違いない。

多文化主義に関する政治学や社会学などでは「移民に移住国の文化への同化を期待するのは間違っており、出身国の文化を移住国でも実践できるように保証するべきである」という規範的主張がよくなされる。しかし、少なくとも私にとっては、両親がもう少し日本社会や日本文化への同化をしてくれていた方が子供の立場からすればラクではあった。もし仮に私がどこか別の国に移住してさらにそこで家庭を築いたとしても、実利的な観点から、子供には移住国の文化に適応して同化するように促すと思うし自分も(子供のために)移住国の文化に適応するように努めると思う。これは規範的に正しいか正しくないかとはまた別の話なのだ。


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