緊急事態とわたし


 なんかTwitterで「こんな非常事態だからこそ、後の世の人々が参照できる歴史的な記録として、市井の人々は日記や所感や随想を公開して残しておくべきだ」的な意見が流れてきて、「なるほど」と思ったので、自分の現在の状況に関する所感を残すことにした。


 気が付いたら東京(と他のいくつかの都市)に緊急事態宣言が出てしまい、映画館が軒並み閉まることになった。他にも文化施設とか運動施設とか夜の飲み屋とか閉まるものはいくつかあるのだろうが、そこらへんは普段から行くことがないのでわたしには関係がない。図書館には緊急事態宣言の前日に予め行っておいて借りられるだけ本を借りておいた。映画館にも直前まで行くかどうか迷っていたし、『初恋』や『ジュディ 虹の彼方に』や『黒い司法』などの作品が気になってはいたのだが、1900円(バルト9の夕方割を利用するとしても1300円)払ってまで観たいほどの作品ではなかったのだ。ほんとうは3月14日のTOHOシネマズデイとか4月1日のファーストデーにまとめて観るつもりだったのだが、どちらの日も天気が悪すぎて体調に支障をきたしたために観に行けなかった。そうこうしているうちに閉館してしまったのである。


 まあ映画のことはどうでもいいとして、この状況でわたしが何に困っているかというと、ちょうど今の自分は無職であり転職活動の最中だということだ。仕事を辞めたのは昨年末であり、コロナとは関係なく単に当時の仕事が耐えきれなくなって辞めたのである。仕事を辞めた理由の一部は体調不良であるし、会社の方針が急に転換して業務内容が公共性に反するものになっていったことも理由の一部ではある。現在のこんな状況となると辞めたことは後悔せざるをえないが、前の会社がいまやっていることの内容を確認してみると案の定このコロナ騒動に便乗したことを色々とやっており、前の仕事を継続していたら継続していたらで良心の呵責とかストレスとかがヤバかっただろう。だから辞めたこと自体は後悔しても仕方がないのだ。

 転職活動を始めたのは3月からである。これも振り返ってみればもうすこし早くから始めるべきではあっただろう。しかし、1月と2月は仕事や将来のことを何も考えずに、久しぶりに本を読んだり映画を鑑賞したり文章を書いたりすることだけに集中する期間にしたかったのである。東京に来てから2年半ずっとフルタイムで仕事をし続けたのだから、たまにはこういう期間を設けてもバチはあたらないだろうと考えたのだ。それに、仕事をしていない自由な状態で一人暮らしをするという経験がほしかったというところもある。実家から大学に通っていたわたしは下宿している同級生たちにずっと憧れていたし、その憧れは大学を卒業して大人になってからも消えることがなく、一生に一度はそういう期間を味わいたかったのだ。……とはいえ、いざ仕事のない状態で一人暮らしをしていると孤独感や不安感が付きまとってしまい、さほど楽しめるものでもなかった。大学生だったら大学に行けばいつでも友人と会えるだろうがわたしはそうじゃないので、人と会えるのはせいぜい週末だけだ。貯金を切り崩しながらの生活となるので飲み屋に行ったりイベントに参加したりすることもできないから新しい人と知り合ったりコミュニティに所属したりすることもできずに、平日は一人で過ごさざるをえない。自由なのはいいのだが生活が単調になりすぎて、いくら映画を観たり本を読んだり文章を書いたり散歩に行ったりしたとしてもずっと気詰まりになってしまうのだ。どのみち貯金の残高も3月〜4月までが限界であったが、「何もない状態で一人暮らしの自由を味わったところでそんなに楽しくないな」ということも充分に実感して見切りを付けられたので、仕事を再開しようと3月から転職活動をはじめた次第である。

 が、転職活動を始めたところでそうすぐに新しい職場が見つかるというものでもない。こちらとしても前の職場の経験から「せめて公共性に反しないような仕事をしたい」という気持ちはあるから多少は選り好みしてしまったりして、決まらないうちにコロナの状況も悪化していって求人の雲行きも不安になり、そのうちに4月になってしまい緊急事態宣言となった。いろいろなお店が閉まったり業務が停止したりして経済活動が縮小していくわけだから、求人や採用もどんどん減っていってしまうことになるだろう。こうなるといつ再就職できるか目処が立たず、そしてもう貯金はほとんど尽きている状況なので、かなり不安だ。自主都合による退職なので失業手当が支給されるのも5月からである。(「3ヶ月の待機期間」に加えて、離職票の発行やハローワークの手続きなどの諸々で支給までの期間がさらに伸びるのだ)。

「自粛に伴う経済補償」がささやかれているが、補償がほんとうにまともに実現するのか、実現するとしてどういう形になるかはいまだ未知数である。そもそも永住権があるとはいえ在日外国人であるわたしが貰えるかどうかという不安も僅かながらある。それ以上に、「一律給付」であるのか、条件を狭めた「減収に対する補償」であるかによっても異なる。後者の場合は「減収」の定義やその証明方法によってはわたしは補償をもらえないだろう。単純に現時点での収入だけが参照されるのであれば今のわたしの収入はほぼゼロなので貰えるが、おそらくそう甘くはなく、"コロナのせい"で収入が減ったことの証明をきちんと求められそうな気がする。そうなると、年末に仕事を辞めた時点ではコロナは影も形もなかったので"コロナのせい"と言うことはできないから、お手上げだ。"コロナのせい"で現時点での再就職が厳しくなっていることは疑いもないが、補償を支払う側(役所の人たち?)がそこを考慮してくれるとも思えない。「もっと早くに転職活動をはじめて就職していればよかったんじゃないですか?」と言われたら言い返しようがないし。  

 こうなると、自分の生存を保つために、京都にいる両親の実家の元へ一時帰省することも検討せざるをえない。感染拡大の可能性があるらしいので東京から地方へ帰ることは控えるべき行為であるとされているし、現時点ではわたしも控えたいと思っているが、もう一週間や二週間も経っていよいよ生活が圧迫されてきたらそうも言ってられなくなるだろう。

  不可抗力として無職期間は延長されることになったわけだが……ただでさえ人と会わない状況なうえにSNSを見てもみんなコロナや自粛や政治や経済の話ばかりで、眺めていると不安を煽られてロクな気持ちにならない。生活の目処も立たないとなると特に本は読んでいても頭に入らないし、集中力が落ちているから映画を見るのにも時間がかかる。家にある3DSで昔に買ったゲームを遊ぶことはできるが、これは正真正銘時間の無駄という感じでかなりの虚無感や後悔を抱くことになる。そんななかで30分に1回のペースでメールや転職サイトをチェックして応募や選考の状況を確認して、その結果に落胆する。その繰り返しである。


 さて、この状況下における東京という街自体の状況についての所感も述べたいところだが……しかし、特筆すべきものはない。「なんか閉まっている店が多いな」とは思うが全ての店が閉まってゴーストタウン化しているわけではないから劇的というほどでもない(秋頃にあった大型台風が訪れた日のゴーストタウンっぷりの方がもっと劇的だった)。桜はコロナにはかからないのでいつも通りに咲いていたし、人混みがなくなり酔っ払いがいなくなったことでむしろ例年以上に桜の美しさを堪能できるくらいだ。わたしの家からは様々な桜の名所に歩いていくことができて、「電車に乗って通勤している人たちに比べれば平日に街を歩いて移動するほうが他人との接触機会も少ないから許される」と自分に言い訳して色々と桜を見に行ってしまった(家にずっと一人でいることが身体的にも精神的にもキツ過ぎたという問題もある)。そのために街の様子も色々と観察することができたが、やはり普段と比べてそこまで変わるということもない。「人が少なくて歩きやすくていいな」というくらいだ。あとはどこのドラッグストアでも「マスクの入荷はありません」と貼り紙されているとかそんな感じである。

 他人のことについて考えると、エンタメ業界や飲食業界や宿泊業界とかは経営が立ち行かなくなって大変そうだなと思う。きっと国からの補償も充分には出されないだろう。自分に金がなくて生活が不安な状態であると「いまこそ客やファンが積極的に金を落として業界を支えるべきだ」的な意見を目にすると落とせる金もない自分が罪人であると言われたような気がして気分が良くなかったりするが、しかしこれは被害妄想である。また、せっかく大学に入学したのに学校が最初から閉鎖していて授業もオンラインで、新しい友人を作ったりサークルなどに入ることができない学生たちも、まあ気の毒ではある。だが、ここら辺の人たちの苦労や不安や大変さはわざわざ私が言及しなくても本人たちや支援者たちが既にいたるところで書いているものだ。

 むしろ、わたしが気になるのは、わたしと同じような無職者(コロナが原因の失業者ではなく、仕事を探しているうちにコロナが到来してしまったタイプの無職者)がどのような思いでこの状況を生きているか、である。5ちゃんねるやTwitterなどでほんの少し見かけるくらいで、無職の意見を目にする機会はなかなかない。しかし、はっきりと"コロナのせい"にすることや"政治のせい"にすることもできない状態である無職の人たちの方が、より遣り切れない不安や危機感を抱えて生きているものかもしれない。



生活がつらいのでサポートして頂けると助かります。