僕を涅槃に連れてって。
真っ黒な世界では何も見えないから余計なことは考えずにすむという。
逆に真っ白な世界こそ私たちを不安にさせる。
だって何もないんだもん。
見えないほど幸せなことはない。
目を閉じれば、ほら!嫌なことは全て隠すことができる。聞きたくないなら耳栓をすればいい。
触りたくないなら手足を切り落とせばいい。
情報を遮断する方法は如何様にもあるんだよ。
何もないほど不幸なことはない。
欲しいものも手に入らない。ただ思索に耽るだけ。
生きるか死ぬか、それしか選択肢はない。
むしろ自分が存在しているかさえも曖昧になってくる。
希望に満ち溢れているのに、一番私たちを苦しめる。
.
.
.
大きな振動が僕の意識を現実へと引っ張った。
電池がないと動けないのに自分の命の期限なんて考えず、能天気に怒っている目覚まし時計。
「全く。今日も頭悪いね。」
君は二度寝もさせてくれないのかい。
誰か涅槃に連れてってくれよ。
尊い世界にさ。
軽く伸びをして箪笥から新品のシャツを取り出す。
汚い色。なんだよピンクって。
不満を口にしながら、時間を確かめる。
約束の時間まで1時間ある。
まだ焦る時間ではない、が、何事も備えあれば憂いなしというものだ。
そう思い、丹念にベッドメイキングをし、髪をセットする。
勢いのあるうちにパジャマを洗濯機に放り込み、
部屋中に掃除機をかける。
そして、、、その一連の流れが終わった時、、、
僕は汗という水流の流れに身を任せ、トリップする。
無理矢理急かしたせいか、息が荒い。
汗が身体のあらゆる曲線を伝い、シャツに染みる。
蒸せた服の中からは、人間固有の獣の匂いがする。
ああ、はぁ、、あ、、
医者からは激しく動くことを禁止されている。
ダンスのステップでさえも僕の肺を押しつぶす大きな圧力になる。
でも僕は自分で自分の限界を越えるのが大好きだ。
だって、その苦しみの先に待つ快楽を知ってしまったんだもの。
手が痙攣して、過呼吸になる。
心臓が激しく動く音が全身を通って、地面へと伝導する。足の爪が真っ青だ。
酸素が抜けていくのを感じる。
あ、救急車呼ばなきゃな、死んじゃうじゃん。
僕は震える右腕に、体内のエネルギーを丁寧に流し込む。そうして、ズボンの右ポケットに肘をスワイプした。
肘に押し出されて出てきた携帯電話が地面を滑る。
僕は一心不乱に地面を這る。
エンドルフィンが切れた。
と同時に自分の状況を嘲り、膨大な羞恥心が溢れ出してくる。
いつものやつだ。いつもの嫌な感情。
だって僕の今の見た目って、側から見たら無様じゃないか。
誰からもみられていないのに、まるで誰かが見ている気がする。ドアの隙間、蛍光灯の中、カーペットの下。
僕が快楽に溺れているのを笑っているんだろ!
あっちいけよ!
目の前が歪んでいく。自分の息の音も遠くなる。
腕の力が抜けて、
待って、あ、これ、しん だ 。
目の前が真っ白になる。
誰かが照らしているライトが僕の目に当たっているのがわかる。
僕を真っ白な空間に放り込まないで。
僕は何もしていないじゃないか。どうしてこんな仕打ちを僕にするんだ。
あんたは僕を不幸にしたいのか?
何もない空間に放り込んで!!
おい!、、おい!!!!
.
.
.
だってあなた、快楽を求めているんでしょう?
私、あなたを救ってあげようと思ったのよ。
真っ白の空間では存在が曖昧になる。
あなたが言ったのよ。
存在しないことほどいいことってないでしょう?
まぁ、なんの努力もしていないで涅槃に行こうなんて甘いけどね。
でも頑張って苦行に耐えたら
ちゃんとあなたを涅槃に連れてってあげる。
姿は見えない。女の艶やかな声が聞こえるだけだ。
腕も足もない。目も見えない。
何も聞こえないはずなのに。
女がずっと僕を笑っている。
そういえばこれで何巡目?
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?