自認の日

防波堤

今まで、頑張ってきたことなんてなかったのかもしれない。そもそも“頑張る”がわからないのだ。

“頑張り”は勲章だ。自分の自信にもなる、相手に自分を伝えるためのピースとなる。
“頑張り”には何かしらの結果が伴うのだ。

だから何も持っていない私は頑張っていないのだと思う。何事もいつのまにか終わっていた。
一瞬一瞬で辛かったり、途方もない焦燥感に駆られて苦しくなったりすることはあった。
でも何も伴ってこなかった。

いつしか、口だけになったし、堕落していくのを感じた。
精神の向上は見かけられず、何も成せない自分に嫌悪を募らせていくだけ。

一番自分を変えたいのは私自身なのに。
努力ができるようになりたい。自信が欲しい。
こんな綺麗事は努力をしたことのない私だから言える最大の自虐であり、懊悩だ。

きっと血を吐いて、髪が抜けて、四肢が痙攣しなければいけない。

せっかく塗り固めたコンクリートのポジティブ像も、
骨がネガティブだったら分離して剥がれちゃうみたい。



いっぱい泣いて


どうしようもない時だってある。
溢れてくる涙は止まらない、情けなさ、恐怖、後悔。

負の感情が身体の各神経を麻痺させて、脳みそまでも起動不可にさせる。何回も何回もやり直す。
電源ボタンを何回も押し、燃料を何回も入れる。

そうしたらいつしか、ボタンは窪みに入り込んで凹んだままになり、燃料はあらゆる欠陥部分から染み出して、四肢をつたう。下を見たら、足元には水溜りができていた。

いっぱい泣いて、いっぱい泣いて、
やっと己のいる場所を知る。
ヒトの優しさを素直に受け入れられる。

一晩経っても治らない涙は、窮地に立った自分を癒し、成長させるものだ。
自分との葛藤。沈みゆく古い自分の清算行為。
未来の自分の明るい一歩を促す土台。



Be realist, not dreamer.


嫉妬した。
片方だけ寵愛をもらっているような気がして。
僕はもらえない方。
僕はまるでいない様だった。

数日後。
友は心に傷を負った。

僕は友の話を聞く。

「昨日、母さんに怒られたんだ。顔も見たくないって。」

「それは言い過ぎじゃないかな、流石に。」

「もう慣れっこだよ。でも何が悔しいって、弟には怒らないんだ。」

「でも弟だって失敗はするだろう?」

「いや、僕を見ているから失敗しないんだな。
それに、僕はどれだけ頑張っても褒められないんだ。
弟の50点は僕の100点花丸と同価値らしい。」

「それは酷い。もういっそのことなら何も見せない方がいいと思うけど。」

「そうだよ、これからは父さんに見せることにする。」

「それが良い。」


ーいや、良くなんてない。
友も、僕と同じ気持ちを知っているなんて、良くない。
僕は友を“気の毒だ”と思ってしまった。

もう、彼には優しくせざるを得ない。
彼がどれだけ皆から寵愛を受けていても、嫉妬なんてできっこないんだ。
どうして、彼をこれ以上傷つけることができるだろう?


ただ僕も友も大好きな人物に「頑張って」って言われたいだけなのだ。
自分を見ていて欲しいだけなのだ。


でも、もう友の辛さを知ってしまった以上、僕が友に嫉妬するのは自分に恣意的に罪悪感の爆弾を投下しているような行為同然で、、、苦しい。


「〇〇、僕ちゃんのこと見てたね。」

「ううん、あれは僕じゃないよ、友のことを見てたんだよ。」

「え!そうかなあ!嬉しいな」


嫌だけど、仕方がないんだ。
自己犠牲は自分の本分だから、いや、そもそも好かれているかどうかも知らないんだ。

きっと僕が大好きな人物の瞳には、友しか写っていない。煩わしい塵は風に吹かれてどっかに消えるのが運命だろう。


感情は排除して、夢を見続けるのも辛いもんだ。
いっぱい夢から教わったものを背負って、
僕だけ現実へと旅立つ。

       もう戻ってこれなくても心配しないで。
       きっと元気にやってます。

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