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ロング・ロング・ロング・ロード Ⅰ 十勝の空 編 1


 目覚めは珍しく、爽快に近かった。
 これほど心地好い目覚めは、術後初めてのことではないだろうか?
 昨夜濡れていた物はすべて乾き、タンカースにジーンズ、レースアップのワークブーツの紐をグイッと締めて、北の大地の旅をスタートする。
 ホテルを出ると快晴の空が俺を迎えてくれた。だけど、目の前の国道36号は昨夜とは打って変わって通行量が多かった。こっちに来てまで、ゴミゴミした車列の中を走る気には、毛頭なれなかった。昨夜予習した苫小牧市街を見渡せるという緑ヶ丘展望台へ行き、高い所からこの目で北の大地を感じようと思った。
 国道36号線を渡り、右折して旭大通に出る手前で、(そうだ、北海道の地名が書かれている場所で、一枚目の写真を撮ろう)と、思いつき、先ずはJR苫小牧駅に向い相棒の記念写真を撮った。
 駅前は月曜の朝だというのに人は疎らで、今までに知っている地方都市の大きな駅と比較して、何故だか異質に思えた。
 駅から展望台までの道を再確認する。時代遅れと言われそうだが、俺の旅には地図だった。スマホやタブレットなら便利に道案内してくれるが、そこには人間の感情、好奇心は入力出来ない。地図を見て、空を見て、山を見て、川を見て、海を見て、道を見て、地図を見る。好奇心が溢れ、錆び付いた心に感動を呼び覚ます風景に出会うための、気ままな旅なのだ。
 苫小牧駅から展望台のある緑ヶ丘公園まで、どこの街とも変わらないような道を順調に進み、公園入口からは木漏れ日が爽やかな道を上って行く。何がどうしてなのかわからないが、流れる景色が本州とは違う気になった。浮かれているのだろうか?生えている木々が違うのか?
 駐車場に停めて展望台の下まで歩いた。現時刻8時30分。あと30分経たないと中へは入れないらしい。もっと調べれば良かったのだが、行き当たりばったりの旅だからこんなものだ。それにしてもいい天気だ。日本晴れの元、30分もここで待つ気はしなかった。腹でも空いていれば、港近くにあるマルトマ食堂のホッキカレーでもと思ったが、腹は空いていない、マルトマは後回しだ。
 公園を出てしばらく苫小牧の街を走り回った。全く北の大地感がなかった。
 国道36号を千歳方向へ進んだ。大型のトラックやダンプなどが列をなして走っている。ナンバープレートには『室蘭』『函館』『札幌』と文字があるだけで、本当にここが北海道なのかと思えてくる。うんざりだ。
 道の駅ウトナイ湖の標示板を見つけたので、全くと言っていいほど走っていないのにげんなりしながら右に入った。珈琲でも飲んでリセットだ。そうでないと、せっかく上陸した北の大地に失礼だ。
 道の駅ウトナイの駐車場に、荷物満載のバイクを停める。はたと頭にもたげた(荷物はこのままで大丈夫だろうか?)と。少しの間リスクを思惟したが、諦めることにした。悪意は何処にでも存在するものなのだ。かつての自分がそうであったように。
 何事も腹を決めると楽なものだ。グローブもヘルメットもバイクに置いて建物に向かった。
 ウトナイ湖はラムサール条約登録湿地だと、建物に続く道にある看板に書かれてあった。学は無くとも仕事上、ニュースについては一通り目を通してきていた。何が金になるのかわからないからだ。ここがそうかと記憶の奥を手繰ってみたが、それにまつわる記憶は出てこなかった。
 建物の中に入ると『スタンプラリー』の文字が目に飛び込んできた。それは、スタンプ帳を買って、道内の道の駅にあるスタンプを収集すると、記念のステッカーと賞状が貰えるというものだった。(これも旅の一つに加えるか)そう思った。死ぬ時に悔いのない人間などいないという事は、経験上、重々理解出来たが、後悔だけはしたくなかった。生きてこの北の大地を走り抜くための足枷をもう一つ嵌めておくことにした。
 土産物屋と飲食店があったが、美味い珈琲にはありつけそうになかった。外にある自販機で缶コーヒーを二本買い湖畔に向かった。
 開けた湖畔は美しく、気持ちが良かった。一組の中年カップルが自撮り棒を付けたスマホで記念撮影をしていた。そういうことが楽しいと思えた時期が懐かしく思えた。
 ウトナイ湖美々川流域と書かれた看板を背にして、缶コーヒーをゆっくりと流し込んだ。湖があってその向こうに見えるのが湿地帯だろうか?美しい景色ではあるが、如何せんそこに並んでいる高圧線の鉄塔達が不愉快だった。一羽だけいる白鳥の動きを眺めながら、ポケットに入れたもう一本の缶コーヒーが温かくて心地好いと思ったのは、手が冷えていたからだろう。五月の終わりでも、北の大地は寒いのだと知った。
 カップルとは入れ違いで老夫婦がやって来た。女性が「お父さん」と口にしたので間違いではなかった。
 二本目の缶コーヒーに手を付けようか考えていると、「すみませんが、写真を撮ってもらえんでしょうか?」と、老夫婦の旦那さんから声がかかった。
 こんな風体の俺に写真を撮ってくれと頼むなんて。そう思いながら俺は、「いいですよ」と、サングラスを上げながらにこやかに笑った。その笑顔は、ぎこちなく映っているかもしれないが。
 ウトナイ湖の看板を入れて何枚か撮って、老夫婦に撮った写真を確認してもらったあと、「白鳥と一緒にどうですか?」と俺が提案して何枚か撮った。フィルムカメラではないから気が楽だ。
 「ありがとうございます」と老夫婦は口々に言って去って行った。
 しばらく一人で湖面を見ながら、旅が人の気持ちを大きくするものなのだろうか? と、考えたが、今の俺が、昔の俺とは違うのだと再確認しただけだった。
 二本目の缶コーヒーは開けることなく、買った自販機横の缶入れに空になった一本目と一緒に放り込んだ。
 スタンプ帳を買おうと売店のレジに寄ると、中年の女性店員からスタンプブックと一緒に道の駅グルメパスポートというものを進められた。道の駅を回るならその土地のグルメが半額ぐらいで食べられるからお得で、二ヵ所行けば元が取れると言うので一緒に購入した。そして、この道の駅でもグルメパスポートが使えると女性は教えてくれたが、胃の中にさっき飲んだ甘いコーヒーが居座っていて、空腹は感じなかったので辞退した。ついでにこの辺りで綺麗な所はないかと尋ねると、ガーデンがあるといって丁寧に道を教えてくれた。
 ぺらぺらと買ったばかりのスタンプブックを捲り見ながら、出入り口脇のスタンプ台に向かった。先客がいたので静かに後ろに並んだ。
 先客は、地味という色で包み込んだような小柄な若い女性だった。二冊のスタンプブックに慎重かつ丁寧にスタンプを押す後姿にまで、地味という色が沁み込んでいるようだった。
 二つ目を押し終えた彼女はティッシュを二枚ずつ折りたたんで、丁寧に押したスタンプの上に乗せ始めた。乗せ終えた途端、後ろにいる俺に気がついたらしく、「あっ、ごめんなさい」と慌てて横に飛び退いた。その拍子にスタンプブックの一冊が台から払い落された。
 落ちながら閉じようとするスタンプブックを、俺は慌てて空中でキャッチした。閉じる前に掴めたので確認すると、まだティッシュは張り付いたままだった。
 「セーフ。大丈夫、綺麗なままだよ」そう言って手渡すと、「すみません。ごめんなさい。すみません」と連呼しながらそそくさと出て行った。
 怖がらせてしまったかと申し訳ない気持ちになった。まぁしようがないことだと切り替えて、日付印を先ず押して、そのあと初スタンプをゲットした。
 真っ新のスタンプブックに、白鳥と湖の絵、LAKE UTONAI No,108と、その間に鳥の自然保護区と小さく英語で示されたスタンプが、俺の旅の最初の一歩になった。
 先の彼女に倣ってティッシュを挟もうかと考えたが、息を吹きかけて乾かすことにした。
 スタンプ台横の壁には、大きな道の駅マップが貼ってあり、二百円で売っていると書かれていた。便利そうだが地図があるし大丈夫だろうと考え買わなかった。
 バイクに戻り、タンクバックにスタンプ帳とグルメパスポートを終い込み、地図で教えてもらったガーデンの大体の位置を把握した。
 何も盗られていなさそうだ。ヘルメットを被り、スタートする。
 帯広ナンバーのトレーラーに行く手を阻まれて、さっきの出来事が頭の中で蘇ってきた。しかし、卑屈なまでに謝る彼女は、手入れは行き届いてはいないが白い肌に、キョドってはいたが綺麗な瞳をしていた。そう思い出した途端、自分が可笑しくて堪らなかった。すべてを整理し後悔なく死ぬために生きているのに、何気なく異性にそそられるなんて、本当に可笑しかった。やり尽くしたはずなのに、溜まっているのか?いや、そうではない。心の何処かに打算的ではない“ふれあい”のようなものを求めているのだろうか? わからない。
 国道36号を千歳方向に少し進み、教えられたとおりに曲がって進んだ。こんな所で迷子になったら野垂れ死ぬのではないか?このままこの道を行っても本当に大丈夫なのか?と思うような道ではあったが、時折、真っ直ぐに造られた道が北海道らしいと思えた。
 ガーデンは、昔の俺なら絶対に行かない場所だった。金払って庭で癒されるなんて考えもしなかった。癒されるなら酒か女だった。
 時期が早かったせいか、緑も若く花は少なかった。それでも今までに経験したことがない時間を持つことが出来た。それだけは意義深かった。
 来た道を引き返す。違った風景に出会える。舗装の悪さが気になった。
 国道36号を千歳方向へ。相変わらずトラックやダンプばかりだ。右手にカレーラーメンで有名な店があったがまだ開店していなかった。腹もまだ減っていない。
 美沢の交差点で右折して道道10号へ入る。三角屋根の北海道らしい食堂の建物を過ぎてしばらく森を行く。車の通りが極端に少なくなった。のんびりと走っていると、森を抜けたところにデッカイ青空が待ち構えていた。そして、『早来』や『ノーザン』『社台』などの見慣れた文字の牧場の看板が並ぶ。小さな赤い欄干の橋を渡ると、馬と雪だるまの安平町のカントリーサインがあった。
 これがファーストコンタクトだ。これから俺は、広大な北の大地の中を、絵と市町村名が書かれた長方形の鉄板を追い求め、相棒と共に駆け巡るのだ。
 無事に初のカントリーサインを撮影し、Uターンして、『祝“初”』になるはずだったアイスホッケー選手が描かれた苫小牧市のカントリーサインも忘れずに撮影した。残り177市町村。どんだけあるんだと、叫びたくなるような数だ。道の駅スタンプラリーも残り116個所もある。
 これは、時間が腐るほどある暇な人間だけが出来る芸当だ。
 のんびりと、ゆっくりと、静かに走る。盗んだものに跨り徒党を組んで、爆音を立てながら走ることから始まったバイク人生も、誰よりも早く、誰よりも巧く、峠道でも市街地でも速さを求める走りを経て、仕事のアイテムの一つとしてチョイスするものに変化していった。あの日を境に全てが変わり、バイクとの付き合い方も変わった。生き急ぐ必要がなくなったからだ。
 しかし、広大な牧場の景色を見ても山並みがあるせいか、北の大地を走っているとは、いまいちピンとこない。他府県の牧場地域を走っているのと変わらない。違うのは牛よりも馬の方が多いところぐらいだ。
 地図にはない道を進み、勘を頼りにさ迷いながら目的地に着いた。レンガ造りの門柱に吉田牧場の立派な看板がかかっているのを見つけた。門は無防備に開いているのだが、中ではあまりにも高額な生き物が育てられているのだ。
 胆振連絡センターに電話してバイクでも入れるか確認をとった。あまり大きな音を立てなければ大丈夫とのことだったので、ギアを一つ上げて回転数を抑えたまま、ゆっくりと転ばないように、デニス・ホッパーみたいに長い砂利道を進んだ。どれほど広いのだろう、遠くに見える建物の右側にある森のような丘に墓地はあるという。左右にある放牧場には母子の馬が数組いたが、十二分過ぎるほど広く、数が少な過ぎて淋しいようにも思えたが、競走馬を育てるにはこれぐらいの余白が必要なのだろう。
 気を使いながらやっと丘に着いた。テンポイントの墓石は放牧場を見下ろせる低い丘の上にあった。
 実際に走っている姿をオンタイムで見たことはない。なんせ俺が生まれたのはテンポイントが死んでから、ずいぶんと経ってからなのだ。だが、物心つかないうちから何度も何度も、他の子供がアンパンマンを見るように、俺はテンポイントの映像を見ていたのだ。
 阪神三歳ステークスの「見てくれこの脚!見てくれこの脚!これが関西の期待テンポイントだ!!」や、グリーングラスが内から差し切った菊花賞での「それゆけテンポイント、鞭など要らぬ」、春の天皇賞での「これが夢に見た栄光のゴールだ!テンポイント一着!テンポイント一着!」「ついにやりました。ついに春が訪れましたテンポイント」など、覚えた杉本節を幼稚園で披露しようものなら先生に止められ、そのうちに誰も相手にしてくれなくなった。
 その時から孤独は俺に纏わりつき離れない。
 テンポイントは、幼い俺にとっての唯一のヒーロー。それも悲劇のヒーローだった。
 「中山の直線を流星が走りました」の有馬記念のあと「これはえらいこと。これはえらいことになりました」で幕を閉じたテンポイント。大人になって競馬にハマることはなかったが、いつかここに来て手を合わせたいと思っていたのだ。
 感慨深い。そう表現すればいいものなのだろうか?じわりじわりと押し寄せてくる達成感。子供の頃の唯一のヒーローの墓参りを済ませたのだ。これだけで北の大地に来た甲斐があるってもんだ。
 父コントライト、母ワカクモ、全弟キングスポイント、フジヤマケンザンなど、ここに眠っているすべての馬の墓にお参りをした。
 木漏れ日の下、放牧地を見下ろすと、母馬の横で無防備にゴロンと寝転んでいる栗毛色の子馬が、いつかテンポイントのようにターフを駆け抜ける日が来るのだろうなぁとぼんやりと思えるほど、空の青さが今までの何処の空より青く感じた。
 帰りも慎重に戻った。表のアスファルトの道に出た時には、疲れがドッと湧いて出た。途端に腹が減った。地図にはコンビニ以外、食料を手に入れる手段はなさそうだった。
 室蘭本線の遠浅駅近くの踏切に出た。単線だろうと思っていたら複線だった踏切を渡る途中、左右を見ると、どこまでも続く線路が真っ直ぐに伸びていた。渡り終えてバイクを停めると、徒歩で引き返し、踏切内でシャッターを切った。これも北海道らしい風景だと思った。踏切の柵に『吉田通り踏切』と記されたプレートがあった。吉田牧場が先か?通り名が先か?
 バイクに戻って地図で見ると、沼ノ端駅の先から遠浅を通り、早来駅の先まで15キロほど一直線の線路が敷かれてあった。どうりで先が見えないはずだ。
 国道234号に出るとローソンがあった。堪らず駆け込み、中華まんとコーヒーを買い、三口で中華まんを胃に収めた。北海道まで来てこんな食事では先が思いやられる。少しだけ空腹が紛れた。ホッとコーヒーで一息吐きながら、今日の予定を済ませたこれからの行き先を決めた。
 今朝の天気予報では、今日から三日ほど晴れが続いたあと、四日ほど雨になるとの予報だった。明後日には大きな街で連泊しなければ、ボーッと過ごす羽目になる。まぁ、それも今の俺には良いのかもしれないが。温泉でもなければ、考え込んでしまいそうになるだろう。なんせ、死に向かって走っているのだから。
 旭川、小樽、帯広、釧路、札幌、稚内、この六都市から何処にするかだが、札幌は都会過ぎる。小樽はオロロンラインの為に残しておきたい街だ。稚内もそう。残るは釧路か帯広だ。どちらも襟裳を通って行くには良い距離だ。兎に角、襟裳に向かおう。何もない春ですと唄われたところに立って、また考えてみようと思った。
 道道482号を進む。馬の牧場がある度に視界が開け、北海道らしさを垣間見せる。が、心地好さはあるものの、今一つ感動しないのは何故だろう?所々切り取った絵のようだからだろうか?
 厚真町に入り、牧場に挟まれた道で、色付いた稲穂のカントリーサインに出会う。描かれているとおり、道中の所々に田植えを終えた水田があった。道内の米どころらしい風景があって、海方向には空が広がっていた。のんびり走るには良い道だ。
 厚真町市街に向かうと銀色のポールのような物が左手にずらりと並んでいる。これがどうもすっきりと見せてくれないのだ。
 市街地で道道10号を右折れし、むかわ町に向かう。
 むかわは、タンポポの咲いた景色をバックに首長竜にししゃも。無理やり詰め合わせたみたいなカントリーサインだ。
 木々の間を道が通ってあるので、やはり北の大地感がしない。ドローンで撮影しながら走れれば、北海道感満載なのかもしれないが。
 むかわの道の駅でスタンプを押したあと、館内にある何軒かの食事処を見て回ったが、生のししゃもを食わすところはなかった。やはり10月にならないと食えないらしい。諦めて先に進むことにした。
 準備段階での計測ではタンクに満タンで240キロは走れたが、信号の少ない北海道でどれほどの燃費になるのだろうか?そう思いながら国道235の交差点にあるガソリンスタンドに入って行った。
 ここはセルフ給油ではなかった。給油してくれているバイト君(名札の名前の上に『アルバイト』とわざわざ書いてあった)に浦河方向で美味いものを食わす店はないか尋ねた。バイト君は、「お腹空いてますか?」と訊くので「めちゃ空いてる」と言うと、「大きくて分厚いチャーシューがボコボコのってるラーメン屋が日高町の富川にある」と言い、「そのチャーシューが薄味だけど、オレ的にはめちゃくちゃイケてて」と続けた。
 聞いている俺の口の中では、次々に唾が溢れ出てきて、飲み込んでも飲み込んでも涎として垂れ出そうになっている。このまま聞いていたら、唾だけで胃の中がポチャポチャになりそうだ。
 俺の目に狂いが無ければ、彼は、美味いものを知っている顔と口調と空気を持っている。
 会計を済ませてから詳しく店の場所を聞いた。ここから浦河国道を10分ぐらい進み、門別競馬場を過ぎて長い下り坂を下りた左手にある、緑のトンガリ屋根が目印だと言った。味のお勧めを尋ねると「お勧めは醤油チャーシューだけど、どの味も美味いっすよ」と返ってきた。礼を言って富川へ向かう。
 空の広い道を進んで行く。ただ空が広いだけだった。
 のんびりとしたスピードで走っていると、時々、急いでいる車が追い付いて来る。俺は左によって右手で追い越せと合図を送る。追い越した車はハザードを焚いて礼を言う。
 俺は、端からの煽り運転など、よほどの悪意に満ち溢れている者以外しないのではないか?と、思っている。人には、人それぞれの事情ってものがあるだろう。仕事で急いでいる人、子供が高熱を出して迎えに行く人、ウンチが漏れそうで焦っている人、などなど。バイクに乗る身としては、前を走る車の運転手がどんな運転をしているのか、非常に考え、よく観察する。煽られる側にまわる運転手は、バック・サイドのミラーをよく見ずに運転しているのではないだろうか?免許を取る時に習ったはずなのに、うしろを確認もせずにブレーキを踏んだり、うしろを確認もせずに追い越し車線を制限速度で走っていたりする。そして一端ことが起こると、“私は法を遵守しています”と、車載カメラから切り出された自分に都合の良い映像だけを垂れ流し、正義を振りかざす。
 今の世の中、トラブルに巻き込まれたくなければ、他人を理解し想像し、譲り合い、思い遣る気遣いが必要……。などとは、俺は思わないし、口が裂けても言えない。
 トラブルに巻き込まれたくなければ、自己防衛しかないのだと思う。
 地球上最強を誇るのなら、何も気にせず降りかかる火の粉を素手で払えばいい。そんな人間は皆無に等しいのだから、常に周りに気を配る方が良い。自分が今、どんな位置・場所にいるのか、前後左右・上下には何があるのか、誰が居て誰が居ないのか。そして、なるだけことは、受け流すのが安全だと知る。調子に乗らないことだ。老いも若きも、調子に乗るから足を踏み外し、自分が知る以上の恐怖に遭遇する。知らなくていいものもあるということを知るのも重要だ。それが自己防衛だ。これは車の運転だけの話ではない。今を無事に生きるためのことだ。
 バイト君お勧めの『萃龍』の緑のトンガリ屋根はすぐにわかった。
 バイクを停めて、タンクバッグから地図とスタンプラリー帳を出して、店のドアを開ける。ドアには張り紙がしてあって、『本日は営業中』と書かれてあった。『本日は』の部分だけを読むと、本来は営業していないことがわかった。
 “ツイている”そう心の中で呟きながら、店内に足を踏み入れた。
 女性二人で切り盛りをしているようだ。昼飯時分を過ぎたのに三組の客がいた。一人なのでカウンターに座り、バイト君のお勧め(味だけは塩)を注文した。メニューを見ると普段は月曜が定休日らしい。やはりツイている。地図を開けて行く先を思案する。すると、燃費計算するのを忘れていることに気がついた。こんなものだ。
 地図をじっくり見る間もなく、塩チャーシュー麵が運ばれてきた。圧巻だった。
 バイト君が言ったとおり、大きくて分厚いチャーシューが三枚、器の縁に寄り掛かっていた。(全部食い切れるのだろうか?)と、少し不安がかすめた。真ん中にはもやしと、その上に斜め切りされた白ネギがこんもりと乗っている。
 北の大地上陸・初のまともな食事を、急いでカメラに収め、すぐにスープを口にした。まろやかで上品な塩梅だ。スープには丁寧な仕事が感じられた。自家製だという麺も美味い香りがした。鼻腔が喜んでいる。
 二口程啜ってからチャーシューに取り掛かった。美味い。赤身のチャーシューなのにホロホロと口の中でほぐれていく。最初にかすめた不安など、このラーメンの前には意味がなかった。あっという間に器の底まで平らげた。
 これほど空腹でなくとも、十二分に美味いラーメンだと思った。また食いたいと思ったが、この辺りをもう一度走る可能性は少ない。脳裏に刻み込むだけだ。
 額には汗が噴き出していた。急いで着ていたパーカーを脱いだ。汗が引くまでの間、地図とにらめっこだ。
 旅の準備中に色々と走行ルートを思案していると、全市町村カントリーサイン制覇のためにネックになりそうな町、置戸や中頓別など、考えて通過ルートに組み込まなければならない町をいくつか見つけた。そのうちの一つ平取町に、源義経伝説の残る義経神社を発見した。旅の安全を願いにお参りしようと決める。近くには義経峠というのもあって、少し走りも楽しめそうだと思った。その先には、世界最大の油彩画が展示されているというディマジオ美術館もあるらしい。行き先を決めて席を立った。
 レジでは、「ご馳走様。美味しかったです」と一言加えた。
 外に出ると、とても涼しく感じた。地図をタンクバッグに納めてからパーカーを着て、しばらく馴染んでからタンカースジャケットを着た。その時に日高町のカントリーサインを取り忘れていることに気がついた。
 浦河国道を少し進み、富川北1丁目の小さな表示板のある交差点を、日高国道・国道237号へ左折。日高自動車道の日高富川ICを過ぎて紫雲古津(しうんこつ)というアイヌらしい名前の街の入り口で、幌尻岳から流れる沙流川に日本一の群生地として有名なスズランが描かれた平取町のカントリーサインと対面し、逆方向に日高山脈に沈む夕日だろうか?それをバックにサラブレッドが描かれた日高町のカントリーサインもカメラに収めた。
 正確には義經と書く義経神社は、山の中にあった。住宅街から山道を上って行くと、知らぬ間に社務所に着いていた。この神社は、北海道が蝦夷地と呼ばれていた頃から存在していたらしい。
 自然を神と崇めるアイヌ民族が、義経という人間を祀っていたというのは霊験あらたかなのか、江戸幕府の蝦夷地攻略の一端なのか。兎に角、しっかりと旅の安全を願い、手を合わせた。
 お参りのあとローソンに立ち寄ってトイレを済ませた。ペットボトルのお茶を一本買って、レジでディマジオ美術館について尋ねてみた。何人かの店員さんが集まって来たが、最後に来た若い店員がスマホを手にしながら答えてくれた。この時期、週末以外は開いていないと。
 どうしたものかと考えたが、峠が気になっていたので越えることにした。
 義経峠は、舗装の悪さが気になるぐらいで、何の変哲もない道だった。
 せっかく北の大地を走るのに、視界の開けていない、目的もない山道を走るのは馬鹿らしく思え、道道80号が丁字路で左折するところで、門別本町と書かれている右へ、道道351号を南下した。
 小さな牧場が並ぶ道を進んでいると、少しだが北の大地を走っているという感覚が、五感から感じ取れるようになってきた。
 新冠の文字が見えて道道を確認した。1026号、なんという桁の都道府県道だ。本州ではありえない。それにつられて左折した。
 この道も牧場だらけだった。匂いを除けば快適な道だ。道道1026を外れて海沿いに敷かれた浦河国道・国道235号へ向かった。
 国道の方が舗装は良かったが、気分は牧場地域を走っている方が良かった。それは、日本の何処にでもあるような海沿いの国道を走っている感覚になったからだった。
 厚別川に架かる橋を渡った所に、鎧兜の騎馬武者の絵が描かれた新冠町のカントリーサインがあった。大型車両の交通量が多い狭い一車線だったので、車の切れ目を待って写真を撮った。
 その先にある登板車線があるほどの上り坂を上がりきると、急に目の前が開けた。右に太平洋、左手には牧草地が広がり遮るものがなかった。視界の開け方だけ考えると、阿蘇の大観峰に向かう道を思い出した。しかしすぐに、下り坂に入ると木々に囲まれ視界が狭まった。
 “なんだよ”と、落胆しながら走っていると、海側だけ視界が開け、左カーブで先が見えなくなった。カーブ途中から、下り坂の前方に海岸線が伸びているのが見えた。(これだ!)そう心の中で叫んだ。左前に見えた高台は、木々の生えていない開拓された土地が広がっていた。
 ただ、眺めながら走った。
 ざわつく景色が終わったあとも、そのざわつきは夜まで消えなかった。ただそこから先は、“北海道を今、走っているのだ”という感想しかなかった。
 日高本線と並行してしばらく快適に走ると、道は左にカーブし海から遠ざかってしまった。視界が狭まっても気分は上々。スイッチが入ったようだ。
 橋を渡り新冠の市街地へ入って行く。地図で見ると新冠駅の近くに『サラブレッドロード新冠』と、馬産地らしい名前の道の駅はあった。レ・コード館という大きな建物と大きなコンビニに挟まれた小さな建物だった。
 駐車場に停めてバイクから降りる時に、足腰がかなり疲れていることに気がついた。ストレスフリーで走っていたつもりだったが、体力のない今の俺には充分ハードだったようだ。携帯を取り出し時間を確認した。16時を回ったところだった。そろそろ今日の宿を探さなければならない。荷物の一つを解きPCを取り出して宿を検索する。じわじわと疲れが現れるのを実感した。この近くに温泉施設と併設された宿を見つけ電話をかけた。シーズンオフだというのに素泊まりでも思ったよりも高かったが、今はここで良かった。
 三つ目のスタンプを押すために施設の中に入った。
 スタンプを押す時に、“スタンプブック持参で道の駅サービスあり”の文字に気づいた。にいかっぷピーマンソフトクリームが50円引きになるらしい。
 疲れている時には甘い物をと思ってみたが、ピーマンというのが微妙だった。
 売店の綺麗な女性にピーマンソフトの味を尋ねてみると、「苦みは感じないから、騙されたと思って食べて」と言った。
 他人の言葉をすぐに信用することのない俺にとって、美人の言葉はより一層信用に値しない。本気で騙されたと思って金を支払った。
 ほのかな緑色をしたソフトクリームが、酪農大国で最初に食すソフトクリームになる。恐る恐る口に運んだ。ほんのりとピーマンが顔を出したが、良質な牛乳から作られるからだろう、後味は牛乳の良い香りがする。味も甘さとピーマンのバランスが絶妙だ。美味かった。
 昼に食べた塩チャーシュー麵がまだ完全に消化されていなかった。術後から食に関しても細くなったことを実感している。昔のように健胃だった頃なら、ザンギも牛乳もいくところだが、そうもいかない。
 満足して宿へ向かった。
 宿は、町外れの高台の上にあった。バックミラー越しに見える夕暮れ前の海は、キラキラと輝き美しかった。
 雪国らしいトンガリ屋根のある宿にチェックインした。
 昨夜は雨に濡れていてそれどころではなかったので感じなかったが、ドライバッグ二つにタンクバッグとヘルメットはかなりの大荷物だ。疲れも相まって部屋までの距離がとても遠くに感じた。
 一息吐いたら道の駅横のセコマまで晩飯を買いに行こうと思ったのだが、部屋で荷を解いていたら疲れがドッと出てきた。
 急ぎ気味に明日の行程を模索してから温泉に入り、施設内の食堂で前沢産のタコの丼をあてにビールを飲んで早々と寝た。疲れていたんだ。


よろしければ、サポートお願い致します。全て創作活動に、大切に使わせていただきます。そのリポートも読んでいただけたらと思っています。