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舟と鮫と、時々、貝

永い余韻に浸っていた。

結婚は善いものだと、美しいものだと話には聞いていた。
どこか他人事に聞いていた。
自分には縁遠い話だと思っていたからかもしれない。

こんなにも幸福感に包まれる空間と時間があるのかと、感動というよりは不思議に思った。

先日、大学時代の友人の結婚式に参列した。
ホテルスタッフをしていた私は、結婚式というものがどれほど尊くて、どれほど愛に溢れ、そしてどれほど特別なものか、充分に心得ているつもりだった。
仕事中でありながら感動に震えた瞬間は一度や二度ではない。

だが友人の結婚式は、何よりその人前式は、今まで見た式のどれよりもどうしようもなく愛おしかった。

私は友人代表のスピーチを依頼されていた。
そのスピーチでは友人の魅力について述べる一幕があった。その場で私はこう語った。

彼の人柄は、彼の持つ空気感と雰囲気は、唯一無二である、と。彼にしか出せない魅力がある、と。それはありのままの彼の姿、飾らない自然体な姿だからこそ、なお魅力的である、と。

まさにそれを体現する人前式だった。私が会場にいる全員に伝えたかった彼の魅力がそのまま詰まった式だった。お二人の人柄と魅力がありのまま会場を満たしていた。

今だから言えるが、友人代表スピーチを依頼された時、「喜んで」と即答した私だが迷いがなかったと言えば嘘になってしまう。

仕事以外で結婚式に参列するのは初めてだった。当然、友人代表スピーチの経験も無いし、人前に立つこと自体得意ではない。
それでも不安に思う以上の心情が私にはあった。

友人代表スピーチの際、あの場では言わなかった彼の魅力が実はもう一つある。
それは彼の「選ぶセンス」だ。彼はこだわりが強い。身につける物一つ一つに彼なりのこだわりを感じる。
私が彼に絶対の信頼を寄せているものの一つに「彼が薦める図書にハズレはない」というものがある。彼がオススメする本はいつも面白く、その時の私が読むに相応わしいものだった。

彼はいつも相応わしいものを選ぶ、選択に正解はなくとも彼の選択には信頼があった。
そんな彼が、人生の特別な瞬間に「選んだ」のが私だったのだ。

不安よりも誇らしい気持ちになった。
そして何より彼の「選択」を私が誤ちにしてはいけない、と思った。
私のスピーチを聴いた人たちが「ああ、やっぱり彼が友人代表に選んだだけはあるな」と彼の選択を褒め称えるスピーチをしなくてはならない、と。

どうだっただろうか。私のスピーチは。5分半の間ずっと膝が震えているのに気付かれてはいなかっただろうか。
2回ほどセリフが飛んだが上手いことアドリブで切り抜けた、と自分では思うのだがどうだっただろうか。

私を選んでくれたその選択を君は誇ってくれるだろうか。そうであったら私は嬉しい。

式を終えてから今日まで何度か感想なり、心境なりを書き起こそうかと思った。だがどうしても言葉にすると不充分だった。あの幸福感を相応しく形容する言葉を私は知らなかった。

今なお、思い当たる言葉はないし、もしかするとあの幸福感を、あの温もりを、あのかけがえのなさを、正しく形容する言葉などないのかもしれない。そう思えたから、そう思ったのだとここに書き記すことにした。

最後に私のスピーチの中で新郎新婦に贈った言葉をここで今一度改めて贈りたい。

『全ての夫婦は新しくなければならぬ。
新しい夫婦は美しくなければならぬ。
新しく、美しい夫婦は幸福でなければならぬ。』

夏目漱石

結婚、そして結婚観というものはここ数年で大きく変化した。今まさに変わっている最中なのかもしれない。
この「ねばならぬ」という口調は少し、時代遅れに聞こえるかもしれない。
しかし、あの場にいたお二人がとても美しくあったことは紛れもない真実であり、お二人であればたとえこの先、時代や何物が変わろうとも、お二人の歩幅で自由に温もりに満ちた家庭を築ける事を私は確信している。

お二人の人生という航海は舟に鮫を乗せて行くのだろうか。鮫が舟を引っ張って行くのだろうか。それとも2人並んで海を渡るのだろうか。
その折々でお二人に合った形で航海を続けることだろう。
お二人で「荒波を越えて」行くイメージは中々湧かない。きっと波に逆らわず、流れに身を委ねて、流されるその旅路も楽しんでいけることだろう。

願わくば、その端っこで構わないから、時々で構わないから、小さな貝もその舟に乗せてくれると嬉しい。

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