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足跡

−光を求め歩き続ける 君の情熱がいつの日か 誰かにとっての光となるでしょう 誰かにとっての兆しとなるでしょう−  B'z 『光芒』

こんなご時世だが、他愛の無い旅をした。

行先は直感で決めた。特に理由らしい理由もなく出雲大社と鳥取砂丘を見て岡山の友人と会って帰ってこようと決めた。

旅の3日目に鳥取砂丘を訪れた。砂原に一人立ち尽くす時に不意に孤独を感じた。視線を落とすとそこには誰かが残した足跡があった。

誰のものかもわからない、いつのものなのかもわからない、どこに向かうものなのかもわからないその足跡に私はなぜか励まされた想いがした。孤独ではないと言われた気がした。

高校生の時からずっと大好きな歌の歌詞が頭によぎった。「光」を求めて彷徨う貴方のその姿こそが、誰かにとっては「光」になり得るのだと、その歌は力一杯に叫んでいた。

そういえば昔誰かに言われたことがある、私がいつも何かに挑戦してる姿に自分も励まされている、と。

ずっとずっと、私は迷走してきた。目指すべきゴールもわからず、明確なビジョンも見えず、ようやく見えたと思えた目的地には辿り着けず、不明瞭な未来を手探りに這って進んできた。私が残してきた足跡は決して「挑戦」なんて格好のいいものばかりではなかった。ただもがいて彷徨っているうちについてしまった足跡だ。逃げ出したり引き返したりしてる足跡だってある。だがそんな足跡を見て、励まされている人がいる。

出雲大社を訪れた際に、世界的な画家を志す友人と話す機会があった。幼い頃から画家を目指して邁進してきた彼の足跡は、まっすぐにぶれずに「目的地」に向かって伸びている。もちろん彼なりの遠回りや壁にぶつかって迂回した足跡もあるだろう。それでもやはり僕には彼の足跡がまっすぐ「夢」に向かって伸びているように思われた。

そうやって歩きたかった。いつだってそう思っていた。目指すべき場所を知っていて、障害があれば乗り越え、時に回り道しながらも同じ方角を見据えて迷いなく歩きたかった。

自分のつけてきた足跡を振り返って見るのが堪らなく恥ずかしかった。ふらふらと覚束ない、ぶれてばかりいる足跡が。どこを目指しているのかも分からない足跡が、どうしようもなくしょうもないものに思えた。

でももしかしたら、私が残した足跡を見て励まされる人がいるのかもしれない。私が砂原に独り足跡を見つけて励まされたように。

私が迷いながら彷徨い歩いた足跡は、同じように人生に迷いこんだ誰かを勇気づけるのかもしれない。これは迷走ばかりしている、夢の一つも掲げられない自分自身を正当化する言い訳に過ぎない。でもそうやって「自分を許してあげる」ことも必要なんだ。

人それぞれに歩くペースが違うように歩き方だって人それぞれきっと違う。これからも私はふらふらとあっちこっちに頼りない足跡を残していくだろう。

いや、残していこう。どこかの誰かが人生に迷った時に見つけるかもしれない足跡を。


短い旅だった。しかし、世界が混沌としている折に、祈りの場に立つことができた。人生について考える時に、自分とは全く違う人生の歩み方をしている友と語る機会に恵まれた。B'zの歌詞に励まされた次の日にB'zのルーツの地を巡ることができた。5年前、人生を大きく変えるきっかけになった舞台を再び見ることができた。寝床も日程も旅路もろくに決めてない無計画な旅は、まるで誰かに備えられたかのように然るべきタイミングで然るべき出逢いが用意されていた。

無秩序に写る私の足跡は、案外然るべき道筋を歩んできた証なのかもしれない。


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