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論語と算盤①処世と信条: 9.大丈夫の試金石

真の逆境とは如何なる場合をいうか、実例に徴して一応の説明を試みたいと思う。およそ世の中は順調を保って平穏無事にゆくのが普通であるべき筈ではあるが、水に波動のあるごとく、空中に風の起こるがごとく、平静なる国家社会すらも、時としては革命とか変乱とかいうことが起こって来ないとも断言されない。しかして、これを平静無事な時に比すれば明らかに逆であるが、人もまたかくのごとき変乱の時代に生まれ合い、心ならずもその渦中に捲き込まれるは不幸の者で、こういうのが真の逆境に立つというのではあるまいか。果たしてしからば、余もまた逆境に処して来た一人である。余は維新前後世の中が最も騒々しかった時代に生まれ合い、様々の変化に遭遇して今日に及んだ。顧みるに維新の際におけるがごとき世の変化に際しては、如何に智能ある者でも、また勉強家でも、意外な逆境に立ったり、あるいは順境に向かうたりしないとは言われない。現に余は最初、尊王討幕、攘夷鎖港を論じて東西に奔走していたものであったが、後には一橋家の家来となり、幕府の臣下となり、それより民部公子に随行して仏国に渡航したのであるが、帰朝してみれば幕府はすでに亡びて、世は王政に変わっていた。この間の変化のごとき、あるいは自分に智能の足らぬことはあったであろうが、勉強の点については自己の力一杯にやったつもりで、不足はなかったと思う。しかしながら社会の遷転、政体の革新に遭っては、これを奈何ともする能わず、余は実に逆境の人となってしまったのである。その頃逆境におって最も困難したことは今もなお記憶しておる。当時困難したものは余一人だけでなく、相当の人材中に余と境遇を同じゅうした者はたくさんにあったに相違ないが、かくのごときは、畢竟大変化に際して免れがたい結果であろう。ただしこんな大波瀾は少ないとしても、時代の推移につれて、常に人生に小波瀾のあることは止むを得ない。したがって、その渦中に投ぜられて逆境に立つ人も常にあることであろうから、世の中に逆境は絶対に無いと言い切ることはできないのである。ただ順逆を立つる人は、宜しくそのよって来る所以を講究し、それが人為的逆境であるか、ただしは自然的逆境であるかを区別し、しかる後これに応ずるの策を立てねばならぬ。
しかし、自然的逆境は大丈夫の試金石であるが、さてその逆境に立った場合は如何にその間に処すべきか。神ならぬ身の余は、別にそれに対する特別の秘訣を持つものではない。また恐らく社会にもそういう秘訣を知った人はなかろうと思う。しかしながら余が逆境に立った時、自ら実験した所、及び道理上から考えてみるに、もし何人でも自然的逆境に立った場合には、第一にその場合に自己の本分であると覚悟するのが唯一の策であろうと思う。足るを知りて分を守り、これは如何に焦慮すればとて、天命であるから仕方がないとあきらめるならば、如何に処しがたき逆境にいても、心は平らかなるを得るに相違ない。しかるにもしこの場合をすべて人為的に解釈し、人間の力でどうにかなるものであると考えるならば、いたずらに苦労の種を増すばかりか、労して功のない結果となり、遂には逆境に疲れさせられて、後日の策を講ずることもできなくなってしまうであろう。ゆえに自然的の逆境に処するに当たっては、まず天命に安んじ、おもむろに来るべき運命を待ちつつ、たゆまず屈せず勉強するがよい。
それに反して、人為的の逆境に陥った場合は如何にすべきかというに、これは多く自働的なれば、何でも自分に省みて悪い点を改めるより外はない。世の中のことは多く自働的のもので、自分からこうしたい、ああしたいと奮励さえすれば、大概はその意のごとくになるものである。しかるに多くの人は自ら幸福なる運命を招こうとはせず、却って手前の方から、ほとんど故意にねじけた人となって、逆境を招くようなことをしてしまう。それでは順境に立ちたい、幸福な生涯を送りたいとて、それを得られる筈がないではないか。

渋沢先生は、2021年の大河ドラマでも描かれていたように、1867年のパリ万博に幕府使節団の一員に加わったのち帰国すると大政奉還によって江戸幕府がなくなっているという経験をしています。先生自身、幕府側の人間であり、自らが仕える幕府がなくなっているわけですからそれはまさに逆境といえるでしょうし、この時代の人たちはみな明治維新を経験しているわけなので、大なり小なり士農工商文化が急に覆されるという逆境を経験しているといえるでしょう。このような常識がひっくりかえる逆境についても本節では自然的逆境と呼び、どんなに勉強しようが努力しようがあがなえないと説いています。

我々がいままさに直面しているコロナ禍という現象も、純粋自然発生ととらえようと陰謀論的にとらえようと、藤沢先生のいう自然的逆境と呼べるものであり、逃れられない現実であります。

この現象をとおして、人との接触を避けることが義務となり、法的にも文化的にも大きな転換を生み出しているので、まさに明治維新に匹敵するような現象が起こっていると言えるでしょう。たとえ仕事であろうと人との接触が疎んじられ、重要なコミュニケーションの場であったレストランや喫茶店などでの会話は黙食という名で禁じられ、ましてや居酒屋など公の場でアルコール摂取は最も悪いことのように認識されるようになってしまいました。

一方、ITの世界ではどうでしょう。コロナ前からあらゆる人がスマートフォンを持つ時代になっていたにもかかわらず、インターネットやコンピュータの利用には苦手意識がしみついていて、さらにはプライバシー侵害への恐怖心からか、はたまたやましいことをしているためか、個人情報の漏洩を過度に恐れる傾向がありました。デジタル技術やITシステムへの不信感とスマホアプリは難しすぎる(たしかにポンコツアプリが多いです)というイメージが蔓延しています。コロナ禍の現在はどうかというと、IT関連のネット記事をみるとDX(デジタルトランスフォーメーション)という単語が乱立し、まるで渋沢先生の「論語と算盤」の現代語訳本のようです。

僕はよく学生や顧問先の若手社員にDXを語るとき、トヨタのカンバン方式、もっというとコンビニなどでのバイトで後から仕事がしやすいように棚卸しの方法を効率化するようなことだよ、と言っています。要はデジタルを語る前に仕事の効率化、つまりはのちの仕事が楽になることを目指して実施する情報の整理がDXの基本ということです。

ここまで書いてきて、大学院を卒業して最初に入社した外資系IT会社での社会人一年目で上司からの最初の人事評価でのコメントを思い出しました。君はエレガントな仕事をしているが、同期の中でも銀行システムの打鍵テストのような単純作業で楽しくない仕事をしている人をよい評価にする、そうしないと不公平なので、みたいなことを言われたことを思い出します。要は楽なこと好きなことをしているだけでは仕事じゃないということですね。たとえそれが工夫によるものだったとしても。彼女はいまマイクロソフトの部長をやっており、フェイスブックの反応などを見る限り、現在は僕が入社時に言ったように好きな仕事をしている社員が最もパフォーマンスがよく、そういう人を評価しなければいけないということを理解してくれていると思います。

僕の場合その外資系IT企業にいた頃が一番の逆境だったのかもしれませんが、それらの経験が周りの人たちの成長や幸せに無意識的にでも貢献できたと思えばありがたい話です。

前置きが長くなりましたが、コロナ禍を経て、正しいデジタル化は人間らしい生活をするための有効な方法論の一つであって、効率的な仕事の実施は人間らしく幸せな生活するための第一歩であると語れるような時代になってきたのだと思います。

コロナ維新はたしかに多くの人にとって逆境ですが、それを逆手にとって人間らしい生活に戻るためのチャンスととらえてみてはどうでしょうか。僕としては、そのようなDXの実現のお手伝いがしたいし、生意気ながらそのようなしくみの整理をするのが自らの天命だと思う今日この頃です。

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