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論語と算盤⑦算盤と権利: 4.競争の善意と悪意

御互い実業者側、ことに輸出貿易に従事する諸君に向かって商業道徳というと、商業にのみ道徳があるように聞こゆるが、道徳というものは世の中の人道であるから、単に商業家にのみ望むべきものでない。商業の道徳はかくある。武士の道徳はこうである。政治家の道徳は斯様であると、何か官服の制度見たように、線が三つあるとか四つあるとかいうごとき変わったものではない。人道であるからすべての人が守るべきもので、孔子の教えでいうならば「孝悌(こうてい)は仁をなすの本」というように、初め孝悌から踏み出して、それから大きく仁義にもなり、忠恕(ちゅうじょ)にもなる。これを総称して道徳というようになって来るのであろう。そういう広い人道的の道徳でなくして、商売上ことに輸出営業などについて注意を望むのは、競争に属する道徳である。これは特に申し合わせて、その間の約束を道徳的に堅固にしたいと、余は希望して止まぬのである。すべて物を励むには競うということが必要であって、競うから励みが生ずるのである。いわゆる競争なるものは、勉強または進歩の母というは事実であるけれども、この競争に善意と悪意との二種類があるようである。一歩進んで言うならば、毎日人よりも朝早く起き、善い工夫をなし、智恵と勉強とをもって他人に打ち克つというは、これすなわち善競争である。しかしながら他人が事を企てて世間の評判が善いから、これを真似て掠(かす)めてやろうとの考えで、側の方からこれを侵すというのであったら、それは悪競争である。簡単にはかく善悪二つに言い得るけれども、そもそも事業は百端で、したがって競争もまた限りなく分かれて来る。しかして、もしこの競争の性質が善でなかった場合は、おのれ自身には事によりて、利益ある場合もあろうけれども、多くは人を妨げるのみならず、おのれ自身にも損失を受くる。単に自他の関係のみに止まらずして、その弊害やほとんど国家にまで及ぶ。すなわち、日本の商人は困ったものだと、外国人に軽蔑されるようになって来るだろうと思う。ここに至るとその弊や実に大である。ここに御会合の方々には、かかることは断じてあるまいが、もしもありてはと、婆心を述ぶるのである。しかし世間押し並べてこの弊害が多いと聞いておる。ことに雑貨輸出の商売などについて、悪い意味なる競争、すなわち道徳に欠くる所ある事柄が、人を害しおのれを損じ、併せて国家の品位を悪くする。商工業者の位置を高めようと相互に努めつつ、反対に低めるということになるのである。

しからば如何なる具合に経営したら宜いかと言うならば、すべからく事実によらねば言明はできかねるが、余が思うには善意なる競争を努めて、悪意なる競争は切に避けるのである。この悪意なる競争を避けるということは、つまり相互の間に商業道徳を重んずるという強い観念をもって固まっておったならば、勉強するからとて悪意の競争にまで陥るということはなく、ある度合いにおいてこうしてはならぬという寸法は、あえて「バイブル」を読まぬでも、論語を暗んじぬでも必ず分かるであろうと思う。元来この道徳というものは、あまりむずかしく考えて、東洋道徳でいうならば、四角の文字を並べ立てると、遂に道徳がお茶の湯の儀式見たようになって、一種の唱え言葉になって、道徳を説く人と、道徳を行なう人とが別物になってしまう。これは甚だ面白くない。
 全体道徳は日常にあるべきことで、チョッと時を約束して間違わぬようにするのも道徳である。人に対して譲るべきものは、相当に譲るも道徳である。またある場合には、人よりは先にして人に安心を与えてやるというのも道徳である。事に臨んでは義俠心も持たなければならぬ。これも一種の道徳である。チョッと品物を売るについても、道徳はその間に含んでおる。ゆえに道徳というものは、朝に晩に始終付いておるものである。しかるに道徳を大層むずかしいものにして、隅の方に道徳を片付けておいて、さて今日からは道徳を行なうのだ。この時間が道徳の時間だというような、億劫なものではない。もし商工業などについての競争上の道徳というものがあったら、前来繰り返せし通り、善意競争と悪意競争、妨害的に人の利益を奪うという競争であれば、これを悪意の競争というのである。しからずして品物を精撰した上にも精撰して、他の利益範囲に喰い込むようなことはしない。これは善意の競争である。つまりこれらの分界は、何人でも自己の良心に徴して判明し得ることと思う。

これを要するに、何業にかかわらず、自己の商売に勉強は飽くまでせねばならぬ。また注意も飽くまでせねばならぬ。進歩は飽くまでせねばならぬのであるが、それと同時に悪競争をしてはならぬということを、強く深く心に留めておかねばならぬのである。

本節では、道徳は商業に限らずすべての分野での人道であり、良い競争を奨励しつつ悪意のある競争を避けるべきだと説いています。渋沢先生は、商業道徳が社会全体の利益に貢献し、個々人の利益とも調和すべきだと見なしています。また、日常の行動や決定において道徳を組み込むことは重要であり、商業行為においてもこれを適用するべきだと説いています。道徳は複雑なものではなく、日常生活の一部であるべきであり、善意に基づいた競争を通じて商業界の品位を高めることが重要だと述べています。

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