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論語と算盤⑧実業と士道: 8.功利学の弊を変除すべし

日本魂、武士道をもって誇りとするわが国の商工業者に、道義的観念の乏しいということは、実に悲しむべきことであるが、そもそのよって来たるところを繹(たず)ぬれば、従来因襲する教育の弊であると思う。予は歴史家にあらず、また学者にあらざれば、遠くその根源を究むることはできないけれども、かの「民可使由之、不可使知之(民はこれに由らしむべし、これを知らしむべからず)」という、朱子派の儒教主義は、近く維新前まで文教の大権を掌握せる林家の学によって、その色彩を濃厚にし、被治者階級に属する農工商の生産界は、道徳の天則外に放置せらるるとともに、おのれまた自ら、道義に束縛せらるるの必要なしと感ずるに至った。
この学派の師宗朱子その人が、ただ大学者というまでにて、実践躬行(きゅうこう)、口に道徳を説き、身に仁義を行なう底の人物でなかったから、林家の学風も、儒者は聖人の学説を講述する者、俗人はこれを実地に行なうべきものとし、説く者と行なう者との区別を生じ、これが結果として、孔孟のいわゆる民、すなわち被治者階級に属する者は、ただ命これ奉じて、一村一町の公役行事を怠らざれば足るという、卑屈根性を馴致し、道徳仁義は治者のなすべきこと、百姓は政府より預かりたる田畑を耕し、町人は算盤の目をせせってさえいれば、能事了るという考えが、習い性をなして国家を愛するとか、道徳を重んずるとかいう観念は、全く欠乏したのである。
「鮑魚の肆に入るものは、自らその腥きを知らず」といえば、かかる数百年の悪風に養われ、いわゆる糞厮の臭きを忘れたるものを薫化し、陶冶し、天晴れ有道の君子的人物となすは、もとより容易のことではないのに、欧米の新文明の輸入は、この道義的観念の欠乏に乗じ、翕然として功利の科学に向かわしめ、いよいよその悪風を助長することとなった。
欧米にも倫理の学は盛んである。品性修養の声も甚だ高い。しかし、その出発点が宗教によりて、わが国の民性と容易に一致しがたき所があるより、最も広く歓迎せられ、最も大なる勢力となったのは、この道徳的の観念ではなくして、利を増し産を興すに覿面の効果ある科学的智識、すなわち功利の学説である。富貴は人類の性慾とも称すべきではあるが、初めより道義的観念の欠乏せる者に向かって、教うるに功利の学説をもってし、薪に油を注いでその性慾を煽るにおいては、その結果は蓋し知るべしではないか。
往時の下級生産者より出でて、天晴れ身を立て家を興し、一躍具瞻の地位に進みたる人も、もとより少なくないが、これらの人々は果たして道徳仁義に終止し、正路に歩し公道を進み、俯仰天地に怍るなきの心事をもって、よく今日に至った者であろうか。関係の会社銀行等の事業を盛大ならしむべく、昼夜不断の努力を尽くすは、実業家として洵に立派のことである。その株主に忠なる者と称するも不可なしであるけども、もし会社銀行のために尽くす精神が、よってもって自ら利せんとする、いわゆる利己の一念に止まりて、株主の配当を多くするのは、自家の金庫を重からしむるためなりとせば、もし会社銀行を破産せしめ、株主に欠損を与うるをもって、自己の利益が多いという場合に際会したならば、あるいはこれを忍ぶやも測られない。孟子のいわゆる「奪わずんば懐かず」とは、すなわちこれである。
また富豪巨商に仕えて、一意主家のために尽瘁する者のごときも、ただその事蹟より見れば、克く仕うる所に忠なる者ということはできるが、その忠義的行為が、全く自家損得の打算より発し、主家を富ましむるは自ら富む所以、番頭手代と見下げらるるは面白からざるも、実際の収入は遥かに尋常事業家に優るものあれば、われは名を捨て得を取るなりとの心事より出でたるものなるときは、その忠義振りも帰する所は利益問題の四字に止まり、同じく道徳の天則外にあるものといって差し支えあるまい。
しかるに、世人はこの種の人物を成功者として尊敬し羨望し、青年後進の徒もまたこれを目標として、何とかしてその塁を摩せんとするに腐心する所より、悪風滔々として底止するところを知らざる勢いとなっておる。かくいえば、わが商業者のすべては皆、腐心背徳の醜漢のようであるが、孟子も「人の性は善なり」と言えるごとく、善悪の心は人皆これあれば、なかには君子的人物であって、深く商業道徳の頽廃を慨し、これが救済に努力しおる者も少なくないが、何にせよ既往数百年来の弊習を遺伝し、功利の学説によりて悪き方面の智巧を加えたる者を、一朝有道の君子たらしむるは、容易に望み得らるべきではない。さりとて、それをこのままに放任するは、根なき枝に葉を繁らし、幹なき樹に花を開かしめんとするものにて、国本培養も商権拡張も、到底得て望むべきに非ざれば、商業道徳の骨髄にして、国家的、むしろ世界的に直接至大の影響ある、信の威力を闡揚し、わが商業家のすべてをして、信は万事の本にして、一信よく万事に敵するの力あることを理解せしめ、もって経済界の根幹を堅固にするは、緊要中の緊要事である。

渋沢栄一先生は、日本の商工業者が道義的観念に欠けることを悲しむと述べ、これは伝統的な教育の弊害であると考えます。先生は、朱子学派の儒教主義が道徳を無視し、生産者階級を道徳の外に置いたと指摘し、これが民間の道徳観念の欠如を招いたと説明します。欧米の新文明の影響により、この問題はさらに悪化し、功利主義が強化されたと述べています。彼は、道徳と公道を重んじることが重要であり、信義を経済界の基盤とする必要があると強調しています。

渋沢栄一先生が活動した江戸末期から明治初期にかけて、朱子学派の儒教主義が日本の教育と社会観念に大きな影響を与えていました。以下にその特徴を具体的に説明します。

  1. 朱子学派の教義と実践:

    • 朱子学派は、中国の宋代に朱熹によって体系化された儒教の一派です。この学派は、儒教の教えを厳密に解釈し、道徳と倫理を重んじる学問として発展しました。

    • 朱子学は、個人の徳性の修養と社会秩序の維持に重点を置き、個々人が社会の一員としての責任と義務を果たすことを強調しました。

  2. 江戸時代の朱子学:

    • 江戸時代には、朱子学は日本で広く受け入れられ、儒学の主流となりました。特に、幕府や藩の学問として採用され、幕府直轄の学校である昌平坂学問所(のちの昌平坂学校)をはじめとする多くの学校で教えられました。

    • この時代の朱子学は、礼儀や伝統的な倫理を重んじ、社会の安定と秩序を維持するための道徳教育が強調されていました。

  3. 社会観念への影響:

    • 朱子学に基づく教育は、個人の道徳的修養と社会的責任を重視し、特に身分制度の枠内での役割遂行を促しました。このことは、身分ごとの道徳観や社会規範を強化し、特定の社会秩序を維持することを目的としていました。

    • しかし、このような教育は、しばしば創造性や個人主義を抑圧し、上位の階層(例えば武士や学者)による支配を正当化するために利用されることがありました。

  4. 渋沢栄一先生の批判:

    • 渋沢栄一先生は、このような朱子学派の儒教主義が、実際の社会問題や経済活動における道徳的・倫理的な考察を軽視していると批判したと思われます。先生は、商工業者や一般民衆に対する道徳教育の不足を指摘し、経済活動における道徳と倫理の重要性を強調しているように思えます。

これらの背景を踏まえ、渋沢栄一先生は、日本の社会と経済が西洋の影響を受けつつ変化する中で、日本の伝統的な価値観を見直し、より実践的で現代的な道徳観を構築する必要性を訴えていたと思います。

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