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論語と算盤⑨教育と情誼: 4.その罪果たしていずれにありや

師弟間の関係をして、情誼を厚くし、相親しむの念慮を強くあらせたいと思う地方の学校においてはどうか知らぬが、私が聞き及ぶ東京の中辺の学校においては、頗るこの師弟の関係が薄い。ほとんど師と弟子とが、悪い例を言おうならば、寄席に出る落語を聴きに往った多数の聴衆のごとく、見受けられる。あの人の講義は面白くないとか、あの人は時間が長いとか、甚だしきは悪い癖を見付けて、これを批評すると聞き及ぶ。もっとも昔とても、師弟の間の情愛がすべて密だとは言えぬけれども、試みに孔子は三千の弟子があった。これらが皆よく顔を知り、皆よく談話した人ではあるまい。しかしその中で六芸に通ずるものが七十二人あった。これらの人々は常に孔子と談話しておったように見える。七十二人は全く孔子の人格に感化されたように見える。かくのごとき師弟を例として論ずるも、あまり過当であろうが、また今日の支那を見ると、左まで模範ともされない。しかし今日の支那が悪いからとて、孔子の徳が変遷する訳はない。支那が後に悪いからとて孔子を軽んぜぬでも宜い。支那が善いからとても、桀紂を重んずる訳には往かない。ゆえに孔子が主として子弟を導いた有様は、誠に、師たり弟子たる間柄がごく善いと思う。かくのごとき有様を今日求める訳には往かぬけれども、徳川時代においても、子弟間の感化力は強かった。その情誼が切実であったということは、試みに一例を言わんか、熊沢蕃山が中江藤樹に師事した有様などで分かる。蕃山はあれほど気位の高い人であって、いわゆる威武に屈せず、富貴に蕩せずという。天下の諸侯を物の数ともせず、備前侯に仕えたが、師として敬せられたから、政を施したくらいの見識のあった人だが、中江藤樹に向かっては真に子供のようになって、三日忍んでそうして弟子たることを得た。その師弟間の情愛の深かったのは、蓋し中江藤樹の徳望が人を感化せしめたものと思う。また新井白石という人も剛情で、智略といい、才能といい、また気象といい、実に稀有の人である。それが終身、木下順庵には服従していたということである。近世、佐藤一斎という人も、よく弟子を感化せしめた。また広瀬淡窓も同様である。私の知ってるのは漢学の先生だけだけれども、師弟という関係が、昔風では一身を抽んでて親しむというのである。しかるに今の師弟の間は、ほとんど寄席を聴きに往った有様をなしているということは、私は満足の風習でないと恐れている。畢竟これは師匠たる人が悪いといわなければならぬ。徳望、才能、学問、人格がモウ一層進まなければ、その子弟をして敬虔の念を起こさしむることはできぬ。そこには師たる人に欠点があるといわねばならぬ。
 しかし、弟子の心得方も甚だ悪いと思う。一般の風習が、その師に対して敬うという念が少ない。他の国々の有様はよく分かりませぬが、かの英吉利などは、どうも私は師弟の間の関係が、日本の今日のようではないと思う。ただし日本でも優れた教育に従事した人が、なお今、私が述べた有様とは言わぬ。ある方面には中江藤樹も木下順庵もあろうけれども、甚だ鮮い。過渡時代のため、不幸にして俄出来の先生がたくさんあるから、自ずから、かかる弊害を惹き起こしたのだと弁解すれば、弁疎の言葉があるけれども、荀も人に教授する以上は、その人自身が自ら省みて、よほど注意して貰いたいものであると同時に、また一方よりこれを充分敬うという心をもって、師弟の間に情愛をもってしたいと思う。もし諸君の従事なさる学校の教員諸氏にも、生徒をして常にこれを接触せしむるに、かく心掛けられたら、その風儀を良くするということが、悉くは届かないまでも、悪いのを防ぐというだけぐらいのことは、必ずなし得られるものであろうと、こう思うのである。

本節では、師弟関係の重要性を強調し、その現代の薄弱さに憂慮を表しています。渋沢先生は、教師と生徒が単なる知識の伝達者と受取者に過ぎない現状について言及し、これを落語を聴く観客に例えています。一方で、孔子とその72人の弟子の関係を理想的な師弟の模範として挙げ、このような深い関係が現代においても求められるべきだと主張しています。また、徳川時代の熊沢蕃山と中江藤樹の間の師弟関係を例に挙げ、師と弟子の間には深い情愛が存在したことを示しています。渋沢は、教師と生徒の間に敬愛の念が必要であり、このような関係を築くためには教師自身が徳望、才能、学問、人格を高める必要があると強調しています。また、生徒側にも師に対する敬意を持つべきだと述べています。彼は、教師と生徒が互いに尊重し合うことで、師弟関係が向上し、教育の質が高まると信じています。

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