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イスラエルのスタートアップを活用した、日本企業のオープンイノベーションを支援!――VCの新たな業態を目指す。【前編】

Magenta Venture Partners Managing General Partner       
竹内 寛 氏


経営者jpの井上社長にインタビュー頂き、2020年11月12日 同社Websiteに掲載頂いた会員限定インタビュー記事を同社許諾を得て以下転載します。

Magenta Venture Partners(マジェンタ ベンチャー パートナーズ)は、2018年10月、三井物産とイスラエル人個人2名の対等合弁で組成したベンチャーキャピタルだ。同社の特長は、《日本企業が、イスラエルのスタートアップを活用した新事業・新製品開発や業態進化を実現するための支援》を行っていること。三井物産から出向し、現地で同社を立ち上げた竹内 寛氏(Managing General Partner)にオンライン取材で話をうかがった。

30代はリターン狙い。40代は事業投資の側から投資にかかわる


まずは竹内さんのご経歴と、現職に至る経緯からご紹介したい。

竹内さんは早稲田大学理工学部出身。大学院(修士)ではソフトウェアの研究をしていた。研究者の道を進まずに就職したのは、「このまま研究を続けてテクノロジー自体を深掘りするよりも、テクノロジーを使って世の中をより良くしたいと考えた」から。また、総合商社を選んだのは、「大きな舞台装置の上で新事業・新産業をつくりたいと思った」からだという。


竹内 三井物産に決めたのは、めぐり合わせです。皆さん同じことをおっしゃると思いますが、先輩が就職していたり、就活で会った人が魅力的だったり、といったことですね。また、これは入社してからわかったことですが、「人の三井」と言われるように、三井物産が人を大事にする会社であり、いろいろ任せてもらえる環境であったのは、とても良かったと思います。


最初の配属は社内のITシステム開発部門。北欧の北海油田で使う鋼管パイプ輸出商売の付帯条件だった「SCM(サプライチェーンマネジメント)システム」開発のプロジェクトマネージャーを務めるなど、事業開発の武器としてのITシステム開発に取り組んだ。

その後、貴金属を中心としたコモディティデリバティブトレーディングの部署で、コンピューターを用いた取引のリスク管理や、デリバティブ商品の値付け業務に従事。当時は金融工学の本を読み耽り、高校の数学からやり直し、ブラック・ショールズの確率微分方程式(=オプション価格計算式)を2カ月かけて解いて自らコーディングもしていたという。


竹内 20代は主に《技術面からITに携わり、それを強みにビジネスに貢献する》という立ち位置でした。声がかかったら何でもできるだけ引き受け、実務にどっぷり浸かり、広くいろいろなことを経験するよう心がけていました。

投資事業に関わるようになったのは31歳からだ。

2002年から企業投資部のVC子会社に、2年間出向した。そこでは、株式トレーディングシステムの会社に投資し、同社は後にマザーズに上場している。
2004年からは、VC子会社がシリコンバレーに拠点を設立することになり、立ち上げ要員として5年間駐在。最初はオフィスもなく、拠点のセットアップから始めた。

ここで行っていたのは、いわゆる投資リターン狙いのVC事業。ファンドの資金は、100%三井物産のインハウスだった。リーマンショックのため、駐在後半期は事実上投資が難しくなってしまったが、それでも通信用半導体開発ベンチャーや携帯キャリア向け基盤ソフトウェア開発のベンチャーに投資し、各々M&AでExitに成功するなど実績を挙げた。

当時は、シリコンバレーブームの前で、現地でVCをやってる日本人は少なかったそうだ。

2009年に帰国した後は、三井物産の社内横断組織、自動車総合戦略室で電気自動車分野の新事業開発を担当。EVバッテリ管理システムを手掛ける米ベンチャーへの投資と日本や中国・台湾での事業開発に2年半従事した。

また、その後の5年間は、同社経営企画部イノベーション推進室や総合力推進部で、全社イノベーション推進体制の企画・推進に携わっている。

竹内 シリコンバレーからの帰国後、自動車総合戦略室では事業仮説を立案し、その実現手段としてのベンチャー企業を発掘・投資、そして仮説を実現すべく事業開発に取り組んでいました。このアプローチに一定の手応えを感じつつ2年半が過ぎました。

次は、また純粋なVCの世界に戻るのではなく、他分野で同じような新事業開発活動をやりたいと思っていたところ、ちょうど2012年に経営企画部にイノベーション推進室という組織が立ち上がることになり、そこの立ち上げメンバーとして声がかかりました。ここから、経営企画部そして総合力推進部という組織で、合計5年ほどコーポレート側の立場で新事業開発業務に携わることになります。結果として、30代はシリコンバレーを中心に投資リターン狙いのベンチャー投資に、そして40代は日本を拠点に事業開発の側からベンチャー投資に携わることになりました。


竹内さんはこの後、いよいよイスラエルプロジェクトに関わることになるのだが、その前に1年間出向した安川情報システム(現YE Digital)では、三井物産の看板から離れ、《ベンチャー投資経験のない組織で、成長戦略の一環として海外スタートアップへの投資と日本での事業開発を短期でゼロから立ち上げる》というミッションに取り組み、成功させている。


竹内 そこでは日々さまざまな課題やギャップに直面しました。例えば、「しっかり動くものを、満を持して顧客にデリバリーする」というカルチャーと、プロトタイピング的に製品投入とブラッシュアップを繰り返す開発プロセスに関する考え方のギャップ。ベンチャーと大組織との間にある時間・事業リスク感覚のギャップ。そしてシリコンバレーのIoTスタートアップと日本の製造業メインストリーム間の文化・コミュニケーション・組織運営面でのギャップ。更には日本語と英語の壁――といった具合です。

そこで改めて認識したのは、大企業がベンチャーと協業して事業をつくるに際して、そして時にはそれを国を跨いで進めて行くには、互いのギャップを埋めていく役割が非常に重要であるということです。そして大企業の立場やVCの立場、ベンチャーの社外取締役の立場で過去20年近く日米のベンチャーを見てきた私には、両方の風景がある程度見えるということです。

また、この経験を通して、やはり自分がやりたいのはスタートアップの知恵や技術を土台とした事業創造だとの思いを新たにしました。


さて、ここからは竹内さんとの一問一答をお届けしたい。竹内さんのVCに対する考え方やVCの新たな業態への取り組み、イスラエルのベンチャー事情、注目すべき投資先企業、ベンチャー経営者を見る際のポイント、などをうかがっている。

ベンチャー投資ノウハウを新事業開発に生かす

井上 Magentaさんを立ち上げるまでの経緯について、いくつか改めて振り返っていただきたいのですが、シリコンバレーで5年間投資事業をされていて、感じられたのはどんなことでしょうか。


竹内 シリコンバレーでは現地の一流VCとの共同投資をいくつか経験しましたが、彼らが時折「個別ベンチャー投資を超えて新業態・新産業の創造を仕掛ける気概でやっている」と話すのを耳にしました。

それはそれで素晴らしい見識だとも思うわけですが、同時に私が考えたのは、「シリコンバレーで始まったVC産業はまだ40-50年程度の歴史だが、三井物産は今から100年以上前、旧三井物産の時代に新産業・新事業のインキュベーションをやっていて、今もその精神(DNA)が受け継がれているんだ」ということでした。

例えば、日経新聞は旧三井物産が明治時代に出していた業界情報誌が源流ですし、約120年前にトヨタを興した豊田佐吉にシードファイナンスをして自動織機開発のインキュベーションをしたのも旧三井物産です。(注:法的には旧三井物産と現在の三井物産には継続性は無く、全く別個の企業体)

一方で、VCは普通にやると、少人数の個人が自らの裁量で取り組む仕事です。大組織の中でこの仕事をする意味、そして、三井物産がベンチャーに投資することの意味を考えながら日本に帰国したのですが、やはり《個人の創意工夫を良しとする三井のDNAと、現代のベンチャー投資ノウハウ、そして、それらに組織力を掛け合わせて新事業開発に生かす》という方向感が進むべき道だろう――と自分の中では腹落ちしていました。

そして自分が元々やりたかった事業開発を、この経験を武器に取り組みたい、と考えるようになりました。

井上 いわゆるキャピタリストという言い方が正しいのかわからないのですが、VCビジネスをやっていくことがいまは竹内さんのライフワークだと考えてよろしいのですか。 

竹内 実はVC自体にはそれ程深い思い入れはないんです。ベンチャー企業との関係性の中から事業を作って行くのが好きなんですね。だから、いわゆるフィナンシャルな投資家としてファンドマネジメントをするというよりは、個別の企業の成長にコミットしてかかわることーー端的に言えば、日々自分が行っている業務が世の中にどう役に立っているのかを直接的に見たいのです。

私は、お客さんや市場、世の中に貢献している、喜んで頂いているという実感がないと生きていけないので、投資して何年も待って「勝った、負けた」というのはあまり面白いと思わないんですよ。もちろん、手段としてはやっているんですけれどね。

これらの思いが混ざり合って、いまやっているイスラエルでのVC立ち上げにつながっていきます。

三井物産がイスラエルのプロフェッショナル2名と対等合弁で組成。


井上 まずは、VCの概要をご説明いただけますか。

竹内 Magenta Venture Partnersは三井物産とイスラエル人個人2名の対等合弁で2018年10月に組成したベンチャーキャピタルです。私は2018年初頭から本件に参画し、日本の投資家募集・現地パートナーの人選とチーム組成、会社設立を経て、家族を連れてイスラエルに転勤しました。

三井物産は運営会社のオーナーであると同時に、ファンドへの投資家としても参加しています。ファンドサイズは9,000万ドル。三井物産に加えて、複数の日本の大手事業会社から資金を出していただいています。

ファンドへの投資家である日本の事業会社は、我々に資金を預け、人も送り、イスラエルでスタートアップの発掘と事業開発を行います。

そのため、ファンドの運営目的はフィナンシャルリターンであり、投資家の目的はストラテジックリターンです。我々は、日々スタートアップへの投資業務を通してファンドのリターン最大化を目指すと共に、スタートアップ情報を投資家と共有し、投資家の新事業開発や業態転換のご相談に乗りながら、投資家のイスラエルスタートアップへの直接投資のお手伝いや提携のお手伝いを行っています。

井上 イスラエルで、というところが客観的に見てユニークに見えるのですが。

竹内 イスラエルには、1997年からテルアビブに事務所を置き、当地でネットワークを広げて来た三井物産の事業ベースがあります。またVC子会社としても自己資金で10年間、イスラエルで投資活動をして来た積み重ねがあります。

この積み重ねの上に、外部投資資金の導入、現地プロフェッショナルとの対等合弁、そして日本企業のオープンイノベーションを支援するという機能を掛け合わせて、VCとして新たな業態に挑戦しています。

イスラエルの凄さはエリート教育。優秀な人ほど起業する文化も。


井上 イスラエルは2000年くらいからシリコンバレーのような形ができているそうですね。現地のベンチャービジネスや、それをリードする起業家教育といったものは、どういう感じなのでしょうか。

竹内 ひとつは、やはりエリート教育ですね。これはすごくしっかりしています。逆に言うと、人口が900万人しかいない中、周りに人口2億人くらいのあまり友好的でないアラブ諸国に囲まれていて、資源もないので、頭で勝負するしかない。そのため、本当に優秀な人を小学生くらいから選抜して英才教育をしています。人を無駄にできない、小国ならではの戦略だと思います。

井上 やはり白羽の矢が立つのですか。優秀な学生を選んで、よってたかって勉強させるみたいな。

竹内 そうですね。18歳くらいの時に本当に上澄みの100人に満たない少人数のグループをピックアップして、そこで2年間で物理と数学とコンピューターサイエンスの学位を3つ取らせるんですね。学位取得はふつう4年かかると思いますが、3つの学位を2年で取らせて、その後は軍の研究機関で非常に高い目標設定をして技術開発に従事させます。これは「タルピオット」という仕組みです。

井上 すごいですね。

竹内 タルピオット以外にも、全理系の上位何パーセントかの人たちは、研究所に送られてサイバーセキュリティの開発や、無人戦車開発などのテーマを与えられて技術開発をやります。

イスラエルは徴兵制(18歳~)なので、高校を出たらまず軍に入ります。その後、大学に行くか、もしくは、軍にそのまま残って研究を続けるかなどを自由に決められるのは、22歳くらいになってからです。アメリカの大学に行く人も多いですし学位を取った後にMBA取る人も多いですね。あとは優秀な人ほど起業していく文化があります。

井上 シリコンバレーや日本と比較したときに、イスラエルの起業家の特徴は何かありますか。

竹内 アメリカの優秀な会社とあまり変わらないと思いますが、イスラエルでは出たとこ勝負で起業している人が相対的に少ない気がします。例えば若い人が個人資金でウェブ系のサービスベンチャーを立ち上げて、万が一当たれば続ける、ダメなら就職、といった企業は、こちらでは少数派です。何らかのテクノロジーや産業分野のバックグランドがあって、起業しているケースが大半だと思います。

もうひとつの大きな違いは、ベンチャーのターゲットマーケットが最初からグローバルであることです。ローカルマーケットがほぼないので、アメリカや日本でどうやって稼ぐかを最初から考えている。これは出たとこ勝負ではできないことなので、そういう意味ではより成熟している感じがしますね。

(後編では、投資方針や注目企業などをうかがっています)

(構成・文/津田秀晴)


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