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子育てって(2)

長男が生まれた時

長男を産む時は、とても時間がかかった。1日以上かな。陣痛だと思って病院へ行ったら、微弱になってしまい、家に帰されて、再度陣痛らしきものがきたので、病院へ行った。浣腸をして、もう痛い痛い。それから子宮口がなかなか開かず、子宮口を広げる薬を注射してまだまだ6㎝だったかな。(何十年も前の事だからうろ覚え)最初の腹痛は陣痛でないことがそこでわかった。ホントに障子の桟が見えないほどに痛い。(昔の人はそう言ったらしい)やっと分娩台の上に上がったらなかなか赤ちゃんが出て来ない。先生がお腹の上から押していたっけ。やっとの出産。すごーく苦しかった。解放感からか涙が出てしょうがなかった。

あれ😦 おかしいぞ😧 泣かない。私の所に来ない。なんか先生や助産師さんがバタバタしている。一度も対面しないで他の所に連れて行かれてしまった。どこへ行ったの?
私は何も知らされないまま病室に連れて行かれて、疲れ果ててしまったせいか眠ってしまった。生きて来た中で一番良く眠れた。その後が大変なことになるという事を知らないまま。

翌日、旦那が来て、事情を話してくれた。長男は出産後チアノーゼがあり、おかしいという事で直ぐに小児科の先生が呼ばれたらしい。(総合病院なので小児科併設していた)その後、小児専門の病院へ運ばれて検査を受けた。その結果心臓の先天性異常である完全大血管転位症だとわかった。すぐに手術を受けないといけないという事で東京の病院へ運ばれるということ。
私が、爆睡している間にいろんな事があったのだ。何が何だかわからない私はよく理解できていなかったと思う。
そして、その専門病院で簡単な処置をしてもらい、医師と看護師が救急車に乗って東京の病院へと運ばれて行った。旦那は別便で新幹線で向かった。(親とか親族は救急車の車内で何が起きるかわからないので一緒には乗れないらしい)私は、まだ入院中。

東京の病院へ入院した長男はそのままICUへ。旦那もその病院に到着し、医師の話を聞いたらしい。すぐにでも手術をした方が良いこと、親は近くのホテルに泊まって待機してほしいこと等。私はまだ入院中なので旦那一人で宿泊することに。一週間後退院した私は出産の疲れか、精神的な疲れか、何をみても何も感じない、感情という物がない人間になってしまった。

入院している長男は、なんと院内感染にかかり、手術が延期になってしまった。心不全は進むし、どうなってしまうのか?
だけど、神様っているのだ。まだ治験段階の薬が効果あり症状が良くなって、出産から2週間後にようやく手術予定となった。一旦、旦那は帰宅し、弱っていた私に言った。「お母さん、行こう!東京の病院へ。子どもも頑張っているよ!」という言葉に背中を押されて東京に行くことに。この時の旦那にはとても感謝している。この押しがなければ、行けなかったかもしれない。

新幹線に乗って東京の病院に到着し、ICUで初めて我が子に会った時はかわいいの一言だった。正直、母性というより、赤ちゃんとしてかわいいって感じた。ただ、元気になって家に連れて帰らなければと強く思った。
手術は明日。その日は、旦那と共に紹介された近くの患者家族用の宿泊所に泊まることに。

手術当日。面会ができ、祈る思いで見送る。正直その時の事をよく覚えていない。待つこと6時間位だったか、担当の先生が出てきて手術成功しましたよと言ってくれた。ホントにホントに嬉しかった。病院の窓から見たビル群がとても眩しく見えたことを覚えている。
ここまで、色々な人が長男の為に力を貸してくれて、もう感謝してもしきれない。人ってホントに人に支えられて生きているんだなと思った。

あれから30年、その長男が結婚した🙌㊗️

結婚おめでとう





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