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私の子ども時代

小学生の頃

私は今60代なので、もう40~50年前のお話です。
私は、転校生でした。幼稚園は2年保育で2回、小学校は4回、中学校は3回(なんと毎年違う学校)転校しました。父の会社の転勤で。

転校生って、最初は物珍しさで皆教室に見に来るのですよ。
あーだいたいこんなやつかっていうのがわかると、もう知らんぷり。その後は、それぞれの仲間でつるんで遊んだりしています。そして、私は孤独になる。自ら声をかけられる子ならいいけど、私は違った。

中には優しい子がいて声をかけてくれます。そういう子と一緒に遊んだりするけど、なかなか馴染めない。毎日、毎日登校前は泣きながら、母に訴えます。「行きたくないよ~😭」

すると母は、昔の人だから、引っ張ってでも連れて行きます。お陰でなのか、私は欠席はしませんでした。(今思えばそれが良いかどうかわからないですが)自分に子どもが出来て、この時の母の気持ちが身に染みてわかりました。

ある所に引っ越した時は、今でいうマウントを取っている女子がいて、その子を中心にほとんどの女子たちから、私の方を見ながらコソコソと内緒話をされました。仲間外れですよね。っていうかまだ仲間にも入れてもらっていないのに。

母に訴えて、やっと母は先生に相談してくれましたが、先生はそんな事実はないと言っていました。

そんなことがあるのに学校に行くのだから、気持ちは沈みこんでました。一つだけこう思うと気持ちが晴れるのです。それは、どうせまた転校するだろうから、この状況はそう長くは続かないという確信。

夏休みに入ると林間学校がありました。仲の良い子がいないのに絶対行きたくな~い。と思っていたら、原因不明の腹痛になり、入院してしまいました。今、思えば精神的なものだったのかも。

入院中になんとお見舞いに来てくれた子がいたのです。その子とはお互い転校しても長い間文通をしてました。そして、その子の影響でビートルズが好きになりました。

夏休み明け二学期が始まります。また、気持ちは重いままの登校です。
登校したら、初めて見る顔がいました。その子は、ずっと入院していて二学期にやっと登校できるようになったそうです。その子も久しぶりの学校で、他の子と慣れてないせいか、私に話しかけてくれました。

それからは、何をするにも一緒でとても仲良しになりました。そうなったら、私の気持ちも上向きになり、学校に行くのが楽しくなりました。

ふと周りを見渡したら、クラスの状況が変わってきました。なんと、あのマウントの女子が今まで仲間だった人をターゲットにしている様子。

その後、私が転校してから、そのマウント女子が外されていると聞きました。

この時期は、私の暗黒時代の一つでした。その先も色々ありましたが。

私は不登校になる一歩手前だったと思います。
決して母の対処が良かったとか耐えて登校することが良いとか言っているのではありません。不登校にはそれぞれ色々な理由があると思います。対処法も色々とあると思います。

前にも書いたようにこの状況は続かない、今同じ学校にいる人たちは、先生も含めてずっと一緒ではない、違う所に行けば違う人たちがいる、なんて思うことで自分の気持ちがより下がらないようになっていたのかもしれません。

このときに学んだことは、人の嫌がることは絶対しない。人の悪い所は絶対「影」では言わない(我慢できないときは思いやりながら本人に直に言う)
色々な差別をしない。困っている人がいたら助けになろうとする(気持ちだけでも)・・・等々。

そして、11か月後に私は転校することになりました。


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