電車の木漏れ日を浴びる度に、 私は目を逸らしてしまう。 そんなに真っ直ぐな強い日で私を指さないで欲しい。暑苦しく、妙なプレッシャーを感じてしまうのだ。 辺りを見渡せば、皆は小さな窓を一生懸命ノックをしている。 誰もが皆、他人に興味は無し。無関心なのだ。 激しく貧乏ゆすりをする隣や、吊革をまるでチンパンジーのような動きで掴まる人が居ても、 そこには何も無い、誰も居ないような顔で平気で過ごしている。 周りには「人間」が見えていないのだろうか。 それともそんな非常識なヤツ
私は彼女に『恋』をしているのだろうか。 手の甲に出来た浅い傷を撫でながら、 ペンを止めた。 ・ 私の手を引き、不条理なこの街を颯爽と駆け抜ける。すごい速さで駆け抜ける。 生暖かい風に反して、強さを増す雨に逆らいながら私たちは走った。 彼女の手を離してしまえば、もう終わりなのだと感じた。それだけが怖かった。 雨なのか、手汗なのか分からないが、 私たちを繋ぎとめる手元がヌメついていている。 そんな手を、彼女は再び力強く握った。 彼女の美しい縦爪が、手の皮膚に食いこ
私は春になりたいのだと思う。 春の暖かさ、匂い、色合い、どれもたまらなく好きだ。春では、より人々は美しく視える 「春は 出会いと別れの季節です」 なんてチンケな言葉では表せないくらい、好きだ。 春に咲く花、 春に公園で遊ぶ子どもの姿、 そこに飛び交うシャボン玉、 その地面を這うように動くアリ達、 アリ達は地面に置いている桜の花びらを上手く避けながら巣作りに夢中なようだ。 そんな花びら一枚、一枚も、元は綺麗は桜の花らしい。地面に落ちている無数の花びらを踏む度に少し罪
たまに外歩いてみるのもいいね。 素敵な風景に出逢えた。 360度ベトナム人に囲まれたけど
私は「優しいね」とよく言われる 自分自身は「優しい」だなんて思ったことはない。 いや、確かに優しいのかもしれない。 だが、それは人に嫌われる勇気がないだけなのだ。 ある意味自分みたいなタイプが 1番薄情なのだろうと思う。 いつの日か忘れてしまったが、SNSで流行っていた 「性格診断テスト」をしてみた。 幾つか選択肢があり、質問にそって答えを選択する。 その答えに対して、質問も変わっていく。 なるべく「どちらでもない」という回答は避けて答えて欲しいという内容であった
心が沈むと、全てが上手くいかない。 そんなような気がしてくる。 久しぶりに感傷的になっている。 元々自分の感情に支配されやすいし、相手の感情にも影響されやすい。 何となく、どんよりしている。 私は、俗に言うネガティブだし、根暗。 それは昔からである。 小さい頃は何となく見栄を張って強がってたけど、今じゃ昔よりずっと弱いし、見栄も何も無くなってしまった。 やはり気が下がっていると、何となく周りもどんよりとしているような気がしてくる。 買ったCDが届いたのでダンボ
普段忙しい毎日があるからこその、休日が幸せなので、私は、長期休み嫌い。毎日死んでいる 以上
人間はどこか「人とは違う」ことに憧れると言うけれど、自分は普通という概念が身近にあるからこそ、人と違うことに憧れるのだと思う。 音楽も文章も、その ”時” を彩れるモノだと思う。 音楽は形に残らないけれど、心と耳に残る。 その分、文章は形に、目に残る。 その時の、感情、風景、状況、その時々に色があり、匂いもあるもの、それを忘れないように、そっと栞を挟むように、記憶するようにしてくれる。 音楽に救われたという人もいるだろうけど、自分にとっての音楽はその時々の思い出の
文章書くのが好きで、ふとした時によくメモに文を書き留める事があるけど、どうしても人に見せるとなると、どこか恥ずかしくて、でも誰かに伝えたくて、もどかしかった。 この文も、今年18歳になった時にふと書いた文章。 少しだけ恥ずかしいけど記念に。 ⤵︎ ︎ 今年で18になった。 世の中ではもう「成人」という括りらしい。もちろん成人なのだから立派な大人なのだ。 かと言って、自分からしたら’’大人になりかけな子供’’程度の存在なのだ。 大森靖子の「子供じゃないもん17」を聴