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お腹の弱い僕が腹痛で遺書を書くハメになった

安倍首相が辞任をするというニュースを見て、近々健康状態について発表するとは聞いていたが、まさか辞任するとは、とかなり驚いた。

そういえば前回も9月に辞任をしてたと思う。季節の変わり目はお腹にくる。特に、寒くなるとよろしくない。

お腹が痛くなって下しやすい人は、ストッパとかピシャッと下痢止めみたいな市販の止瀉薬を飲んで、ひたすら冷や汗をかいて耐えるしかないわけなのだけど、痛みを伴えばブスコパンなんかにも手を出していく。

市販薬が効かなくなって病院に行くと高分子ポリマーが余分な水分を吸収してくれるコロネルなんかも処方される。

人にもよるのだけど、男性の下痢型の腹痛、過敏性腸症候群(IBS)には、イリボーがてきめんに効く。

これは腸内のセロトニンをブロックする作用がある薬だ。人はストレスを感じるとセロトニンを分泌するのだが、これが腸に良くないらしい。

イリボーはストレスでお腹が痛くなるタイプにはめちゃくちゃ効くのだが、女性には効きすぎるので処方できないらしい。

今はIBSと名前がついて病気扱いしてくれるが、小さいころに腹痛でトイレに入ろうものなら、みんなにバカにされたものだ。

さらにうんこを漏らそうものなら、死にたくなるレベルのトラウマである。

僕も非常にお腹が弱かったので、それらの薬は処方されたのだけど、腹痛は治らなかった。

単純に下痢の腹痛もあるのだけど、冷や汗をかくような腹痛のときもある。

小さいころからお腹が弱かったので、日常となっていてそれほど気に留めていなかった。

社会人になってアホみたいに仕事をこなして、それこそ過労死ラインまで仕事をしていた。

忙しくなってストレスがたまると我慢のできない下痢になる。腹痛が起きてから5分以内にトイレに行かないと漏らすレベルである。

残業が続きストレスがマックスでお腹が痛くなるのを我慢して働いていた。

ある日、腹痛でトイレに行ったら、少し水に血が浮いていた。痔にでもなったのかと思って、あまり気にしなかった。

ガンのときは胃腸での出血なので、時間が経った黒い血便になるらしいが、鮮やかな色の血だってので、まぁ、痔だろうと思っていた。

腹痛が止むことなく、どんどん状態が悪くなる。

猛烈に腹痛がきて我慢できるレベルを超えてると、トイレに駆けこんだ。

トイレットペーパーで拭いて流そうと思ったら、トイレットペーパーが血に染まっている。あれれ?と思って便器を覗き込むとびっくりするぐらいに真っ赤に染まっていた。血の海である。

これは流石にやばいと思ってすぐに病院を予約して、検査に行った。

たまたま腸の病気で有名な病院だったらしく、地方から泊まりがけでくる患者もいて、予約も困難らしい。

「血便が大量に出たんですけど」と告げると、緊急で予約をすっ飛ばしてみてくれることになった。

そんな大げさなと思ったが、なかなか土曜も休めないのでラッキーだと思った。

診察を待っていると、どうも院長先生の回診に当たったらしく、ぞろぞろと医者を引き連れて入ってきた。

院長らしき、おじいちゃんにパンツを脱ぐようにいわれて、ベットに横たわってぶっとい指でグリグリとケツの穴に指を突っ込まれた。

ローション的なもの付けてるみたいなのだが、指が太くてめちゃくちゃ痛い。

「尋常じゃないねぇ。尋常じゃないねぇ」と何回も繰り返し

「君、人間は血便は普通でないんだよ」と、至極当たり前な診断を下して去っていった。

僕のアナル処女はこの爺さんによって奪われたのである。

終わったと思って、パンツを履こうかと思ったら、では診察を始めますと、別の医者が入ってきた。

今の院長の診察はなんだったのだ。

別の医者の見立てでもやっぱり具合はよろしくないらしい。

そりゃ「普通、血便は出ない」ものですから。

緊急の大腸内視鏡をやるというので、下剤を飲まされて、麻酔をしないで入る限界のところまで内視鏡を入れられた。

画像を見ながら医者はちょっと診断結果はまだ出せませんが、覚悟をしておいて下さいと神妙な面持ちでいった。

実はこの血便は思い当たることがあって、半年前の人間ドックでも便潜血で引っかかっていたのだ。

要請密検査で大腸内視鏡をやったのだが、直腸に炎症があるくらいで問題ないとのことだった。

人間ドックの病院は病院名に胃腸が入るくらいなので、専門病院がいうなら大丈夫だろうと思った。

ついでに人間ドックの検査結果も出てるから、聞いていくかと聞かれたので、検査結果を聞くとバリウムでも引っかかって、胃カメラもやることになった。

「今日、一緒にやればよかったね」と、医者は笑っていた。

確かに絶食と下剤の苦しみを考えると、2回もやることはない。上から下からとカメラを突っ込まれるという経験をしたばかりだった。

その時から半年でここまで悪くなるなら、完全に進行の早いガンなんだと思った。

このスピードで悪くなるならもう長くはないなと思い遺書を書くことにした。

遺書を書いていると、不思議と死ぬことは怖くなくて、感謝の気持ちしかわいてこない。

とにかく残りの時間は、お世話になった人にありがとうを伝えて回ろうと思った。

そして普段通りの生活を死ぬ間際までして死にたいと思った。あの時は、人生を全力で生きてもう悔いはないと感じたのだ。今の生活をそのまま続けても悔いはない。そう思った。





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