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お腹の弱い僕が腹痛で遺書を書くハメになった。続き


医者に覚悟をしておけと言われてから、1週間後。

すぐに検査をしたほうが良いと言われても、やっぱり日曜か隔週の土曜しか休めない。緊急ということで次の土曜の予約を入れてくれたので、僕もなんとか仕事を休んだ。

年に2回も大腸内視鏡をやるハメになるとは思わなかった。

大腸内視鏡は胃カメラの数倍つらい。胃カメラは喉にカメラ突っ込まれるつらさはあるが、大腸内視鏡は3日前からの食事制限がある。

何よりきついのは下剤飲みまくり、腹が痛いうえに、直前に飲む2リットルの激不味い液体だ。

マグネシウムなので、ようはニガリのようなものだ。粉で作るめっちゃ濃いポカリスエットとかを思い浮かべてもらいたい。

その10倍くらい不味いのを200ml、15分かけて飲む。2リットルあるので2時間くらい飲み続けるのだ。

少しレモン風味だが口に含んで飲み込もうと思っても、体が拒否してなかなか飲み込めない。

1リットルも飲むと今度はお腹が痛くなってくる。トイレに行っては飲んでの繰り返しを2、3時間繰り返すのだ。

待合室でおっさんたちが、不味い水を飲んではトイレに駆け込んでいく。早く出し切らないと帰れないので、立ってお腹をさすったり揺らしているおっさんもいる。なかなかの光景である。

たまに間に合わなくて事故っているお年寄りもいたりして、清掃が終わるまで使用禁止のトイレが出たりする。

そして最終的には便が綺麗な水になるまで出し続ける。さらにそれを看護師さんに見てもらってチェックを受けるのだ。

何という羞恥プレイ。

さらにそのあと仕上げの浣腸を500mlくらい注入される。横たわって「ゆっくり息をしてください」と言われ点滴みたいに、尻に注入されるのだ。

膝を抱えてケツ丸出しで、管を突っ込まれている。

何という羞恥プレイ。

「少なくとも1分、限界まで我慢して下さい」と、トイレの中で悶絶して耐える。

こんなのを1年に2回もやることになるとは。

その苦しみの末にやっと大腸内視鏡となる。有名な病院だったので大量の患者をさばくため効率化されている。それはもうベルトコンベアで冷凍マグロが運ばれるようにストレッチャーに乗った受診者たちが運ばれて行く。

尻のところが空いている検査着で、くの字に横になって、注入針を腕にぶっ刺したまま、そこから鎮静剤を入れるための管をぶら下げて横たわっている。

まぁ。3日前からの食事制限からの苦闘の末にここまでたどり着いた。オリンピックで42.195キロのフルマラソンを走ったランナーが競技場の最終トラックに入ってきたかのような心境だ。

前回、緊急で処置なしの大腸内視鏡をしたのだが、めちゃくちゃ苦しい。胃カメラの苦しさの10倍ほどはあったと思う。

しかし、今回は処置した上に、鎮静剤も投与される。いよいよ冷凍マグロは解体のためのノコギリに突っ込まれるように、処置室に突入する。

手からぶら下がった管に鎮静剤が投与される。一瞬、体の中で何かが気化した感じがして、ふっと力が抜ける。温泉に浸かった瞬間の「はぁ〜。極楽、極楽」というやつが長時間続くのだ。

鎮静剤ごときでこんなに心が落ち着いて気持ちよくなるんだから、覚醒剤とかヤバいなとか思いながらも、もう意識が朦朧としてくる。

肛門から内視鏡を入れられて、目の前のモニターに映し出されている。手際良く写真を撮りながら、時々水をかけたり、カメラを回したり、実に手慣れた内視鏡さばきで進んでいく。

何かクリップみたいなものが内視鏡から出てきて、腸壁を摘んで採取していたようだ。

もう、意識が朦朧として夢なのか現実なのか分からなくなる。

その後はマグロのまま横たわって、鎮静剤が切れるまでしばらく待ってから帰れることになる。その前に簡単な検査結果も教えてくれるのだが、細胞を採取したので生検の結果待ちとなった。

「家族はいらっしゃいますか?」と聞かれて一人暮らしだと答えると「検査結果を聞きに付き添いで来られる方はいらっしゃいますか」とさらに聞かれた。

実家がかなり遠いので、すぐには来れないかも知れないというと「そうですか……。ご家族には連絡をしておいて下さい」と言われた。

なんとも意味深でやっぱヤバいのかなぁと改めて思った。

まぁ。クヨクヨしても仕方がない。

絶食してとにかく出しまくったので、これ以上ないほどのデトックスをしたわけだが、こんなに大変な目にあってもちっとも健康になった気がしないので、デトックスというのは、あんまり意味はないのかも知れない。

やっと飯が食えるとなって、看護師さんから「今日はお粥などの消化の良いものを少しずつゆっくり食べてください」と言われたにも関わらず、早速、ステーキを食いにいった。まずはビールを頼んで飲み干したら、即トイレに行くはめになった。秒殺でビールが出てきた。

人生の最期くらい、好きなものを食べてもいいだろうと思った。これから先もう食べられないかも知れない。

1週間後、ついに検査結果を聞くことになる。

診察室に入ると先生は「ご家族はいらっしゃらなかったのですか」と聞いてきた。

僕は頷いた。結局、結果が分かるまで家族には知らせないことにした。飛行機でわざわざ駆けつけて、一緒に結果を聞いても何か変わるわけでもない。時間も金も無駄である。

先生は神妙な面持ちで話し始める。

「これが今回撮影した腸の画像なんですが、腸に白いのびっしり見えてますよね」

確かに綺麗なピンクではなく、白い膜に覆われてる感じがする。

「これは全部潰瘍です。典型的な潰瘍性大腸炎の症状です」

潰瘍性大腸炎という名前は初めて聞いたが、進行性の大腸がんだと思っていたので、大したことなくてホッとしていた。

「これは厚労省の指定している難病のひとつで、原因は不明で治療法はありません。そして、場合によっては大腸を摘出しなくてはならないかも知れません」

ホッとしたのも束の間、結構ヤバいやつには変わらない。

「やっぱり死ぬの?」と、頭に死がよぎった。

すると先生は安心させるように「あなたの場合は、幸い直腸にしか炎症が起こっていないので、今のところ大腸を摘出することはありません。ただ、食生活に気をつけるなど、生活は制限されます」

僕はもう、うなずいて聞くことしかできない。

確かめるように先生は続ける。

「治療法は存在しないのですが、ステロイドや腸の炎症を止める薬があるので、そちらを処方しましょう」と、色々説明を受けた。

薬代がなかなかな金額になってしまって、お金が足りなかった。1万円もあれば足りると思ってたのに全然足りない。

特定疾患には治療費負担の軽減する制度があり、それを申請すれば、返金してくれるという。とりあえず代金は後日でよいといってくれた。

これから一生付き合っていかねばならないし、お金もかかる。しかも、年に1回大腸内視鏡をすることになった。

まぁ。遺書まで書いていたが結局、死ぬことはなかった。

そのあとメサラジンという潰瘍性大腸炎に効くといわれる薬を飲んで、それでも効きが悪いと今度は注腸するタイプの薬に変わった。

シートを敷いて汚れないようにして、自分で尻から薬を注入し、体勢を入れ替えて寝転がり、回転して腸に行き渡らせる。これが浣腸と変わりない苦しさなのだ。

炎症が思わしくないとステロイドも処方される。結構強めのステロイドで、お薬の効能シートを読むと、副作用に

ムーンフェイス(顔がパンパンに腫れてアンパンマンみたいなる)

現実感のない幸福感

下痢

などなどびっしりと書かれている。

効能には

炎症からくる下痢を止める

と書いてあった。

下痢を止めるのに副作用「下痢」だし、効能ひとつしかないのに、副作用は3行ぐらいびっしり書かれてる。

顔は腫れたが、幸いそれほど副作用を感じなかった。

食べ物も刺激物は一切食べられなくなったし、脂っこいものも、お酒も控えなければならない。

側から見ればただのお腹の弱い人だ。

お腹が弱いと何かと揶揄されるが、実際にこの生活をしてみると、とても笑えないと思う。

ほんとに地味に辛いのだ。

安倍首相も潰瘍性大腸炎だという話だが、この病気でも首相になることができるのだという励みになる。

転職するときも難病を患っているなんて、履歴書に書いたらまず採用を渋るだろう。

しかし、「安倍首相も同じ病気ですよ」と言えるのだ。この病気でも戦後最長の期間、激務である総理大臣を務められたのだ。

野党の議員や人権派のインテリたちが「腹痛で首相の職を放り投げるなんて」と揶揄したりしているのを見ると、この人たちは弱者のためと言っていながら、同じ病気で苦しんでいる人のことも想像できないのだなと思った。

それこそ腹の底から怒りが込みあがり、腸が煮えくりかえるのだ。

何度となく小さいころから、腹痛をからかわれる気持ちがわからない人たちなのだと。

側から見れば、ただのお腹の弱い人なので、「メンタル弱そう」とか、「死ぬわけでもないことで、つらいとか言うな」と、思われることも多い。

実際、自分も病気が分かるまで、単純に精神的な問題や体質の問題だと思っていた。

そして見た目では全然わからないので、腹痛で死にそうになっても、漏れそうになってトイレに駆け込んでも、気を使われることもなければ、優先されることもない。

トイレで漏れそうな苦しみの中、長時間個室に入ってタバコとか吸っているやつには、本当に殺意しかない。

容姿や性別、先住民、人それぞれ目に見えない苦しみがあり、感じ方も全て違う。

みんな私が一番苦しいし、虐げられてると思っている。

僕も安倍首相を笑う国会議員やインテリみたいなことを、見えない被差別者に向けて無意識のうちにやっているだろう。

声高に正義や権利を主張して、弱者の味方と言っている人たちからしてそうなのだ。

世間からみたら大したことはないと、つらさを主張できず黙って苦しんでいる。そういう人たちが救われるのは多分、一番最後になるのだろう。

誰にも言われないから、言おう。

自分はよく頑張ったと。

自分が苦しんでいることすら、自覚することが許されない人すべてに。




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