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ひまわり傘

雨が多い街に住んでいた。それも、冬に雨が多い街だ。

私は雨が好きだが、冬の雨というのは本当に暗くて冷たい。

「あ〜お〜いそ〜らが〜見えぬなら青い傘ひろ〜げて〜」ではないが、そんな気候に気が塞ぎつつあったからか、私は開くと大きなひまわりが出現する折りたたみ傘を買った。

青い空の柄の傘もあったが、それはなんだか恥ずかしかった。ひまわり柄も同じくらい恥ずかしいだろ、と今では思うのだけれど。冷たい雨が降って体の芯からジワジワと冷えていく冬に、まともに物を考えられる人間なんていないのだ。

傘を買う前から気付いてはいたのだけれど、この街で傘をさす人はあまりいない。土砂降りだとしても。

毎日17時に綺麗な鐘の音を響かせる教会がある交差点に、真冬でも薄着&ロン毛&裸足で斜め上を見つめたまま直立して、何かをつぶやいている60代くらいの男性をよく見かけた。本当はもっと若いのかもしれないけれど、とにかくボロボロで年齢不詳だった。まあ一言で言えば「ヤバい人」だろうが、こちらに何かをしてくるわけでもない。念のため、あまり見ないようにして通り過ぎるだけだ。細身でロン毛でボロボロな彼は、教会と相まってそれらしく見えたりもした。靴も履いていないのだから、もちろんその男性も傘をささずに雨の中佇んでいた。

この男性が傘をささない理由は、街で見かける人たちが傘をささない理由とは違うだろうけれど。

街で見かける人たちが傘をささない理由はどうせ、「そんなに大した雨じゃないから」(ずぶぬれじゃないですか)とか、「いつ降るかわからないから傘を持ち歩くのが面倒くさい」(毎日降ってますけど)とか、「どうせすぐ乾く」(あなたのせいで床がびしょびしょです)とかだろう。

「郷に入っては郷に従え」と先人は言っているが、私は雨の日に傘をささないなんてナンセンスだと思っていたから、頑なに傘を使い続けた。

案の定、傘をさしているだけでも目立つのに、ひまわりの傘なんて目立ってしょうがない。すれ違うたびに「素敵な傘ね」「ありがとう」というやり取りをすることになった。

その上私はよく移動手段として自転車にのっていたのだけれど、この自転車もなかなか目立った。ママチャリよろしくカゴをつけた自転車にのっている人なんて、この街ではなかなかお目にかかれないからだ。そしてどうしても急いでいる雨の日には、ひまわり傘をさしながらこのママチャリを漕いだ。

みんなが振り返って私を見てもしょうがない。見るが良い。この街の人は傘をさしながら自転車にのろうなんて考えもしないから、きっとそれを罰する法律なんかもないだろう。調べたことはないけれど。

ある夜帰りが遅くなって、真っ暗な中傘さし運転をして帰った。

交差点で止まると、車に乗っている人から何かを言われる。

ただでさえ暗くて怖い中突然話しかけられた私は戸惑い、必死に頭をフル回転させて、この人は「乗っけていこうか?」と聞いてきたのだという結論に勝手に至る。「I'm okay...」と答える私。

すると「いや、ちげえよ。okayじゃねえんだよ。」というようなことをお怒り気味に言われ、自転車にライトをつけていないことを怒られた。

「あ、そこなんだ...ライトなんだ...」

よく見たらその車、パトカーだった。


そんな思い出深いひまわり傘も、今はどこに行ってしまったのかわからない。ボタンが固いから、捨ててしまったのかもしれない。

今もあの街の人たちは、雨の中傘をささずに歩いたり、直立したまま何かをつぶやいたりしているのだろうか。

彼らが風邪をひいていないと良いのだけれど。

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