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赤いワンピース

あれは、俗に言う一目惚れのようなものだったんだと思う。

その日私は女装パーティーなるものに参加していた。

そもそも知らない人と話すのが全く好きではないし、計3人以上での会話というのはストレスでしかないと当時の私は気がつきはじめていたので、友人が入れてくれた紅茶とビスケットを食べながらそのパーティーに誘われた時は断った。

友人はその時「そう」と引き下がったが、私が紅茶とビスケットの礼を言って自分のアパートに帰ったあと、「やっぱりあのパーティー行かない?どうしても行きたいの」とテキストが来た。

とても控えめな友人だからそんな風に言ってくるのは珍しいし、特に予定があるわけでもなかったから、参加してみたのだった。

そこで、髪の毛をツーブロックにセットし、樟脳の匂いがしそうな赤いワンピースを来た彼を見た。

周囲の男性たちがピチピチのタンクトップとミニスカートのようないかにもな女装をしている中で、彼は足首まで届くような裾の長い長袖のワンピースを着て、ボタンも一番上までしめていて、とてもクールに見えた。そしてツーブロック。カリフォルニアのその小さな街では、小さな団地の公園で四つ葉のクローバーを見つけるくらいの頻度でしか髪をしっかりセットした人は見つからないと思っていた。だからとても新鮮だったのだ。

何より、このワンピースを選ぶというのはおしゃれな人に違いないと思った。

もうそれだけで私がパーティーの間中彼から目を離せずにいるのに事足りた。

私は「女装のセンスが良いから」とか、「マジックがうまいから」とか、そういうピンポイントで男性を好きになってしまうところがあるのだ。一度「ルービックキューブを解くのがものすごく速かったから」という理由で、腹が出て頭ははげかかっている上に浮気性という男を好きになったことがあるし、「やかましくない関西人だから」という理由で、半年間シャツを洗濯せずに着続けたが故に体臭がひどい先輩を好きになったこともある。もし今とは少し違う人生を歩んでいたら、きっと碌でもない男と一緒になっていたと思う。

私の病的なチョロさはさておき、私があまりにも赤いワンピースの彼を凝視していたからか、彼のほうから私たちがいた会話の輪に入ってきてくれた。そのグループには私以外アメリカ人とイギリス人しかいなかったから、彼らが幼少期からどんなテレビ番組を見て育ったかという話題になってしまってからは全くついていけなかった。だから、ニコニコしながら彼を凝視していた。

パーティーもそろそろ終わりという頃になり、その場にいた人たちと電話番号を交換しようという流れになる。願ってもないチャンスだ。

1週間後彼からテキストが来た時には、小躍りした。気になる人からの"Would you like to have a cup of coffee?"は、本当に魔法の言葉だと思う。そして飲み物を奢ってくれたら、アプローチされていると思ってほぼ間違いない(急な恋愛tips)。

だがしかし、だ。完全に彼の見た目から入ったので、彼と言葉を交わすということは、真剣佑や吉沢亮と言葉を交わすことと私の中では同義だった(別にファンではないけれど、顔面が美しすぎるという意味で)。

そんなのまともに会話ができるわけないだろう。

2回目は映画デートだったけれど、映画がはじまるまでの待ち時間ですら本当にきつかった。その日はこれまた私好みのグレーのセーターを着ていたから、余計に。そんな中「日本語のジョークを教えてよ」と言われ、「チーターが滝からおっこチーター」を選択してしまい、本当に辛かった。彼は何が面白いのかわからなそうな顔をしていたし、私も何が面白いかわからないのだから。彼はアメリカのジョークを教えてくれたが、ちなみにそれも何が面白いのか全くわからなかった。

そんなこんなで共通の趣味もなく話もあまり盛り上がらない私たちが、次のステップに進むはずはなかった。

そう悟った時は「人生で一番辛いことがあった」などと母親にメールを送った。大袈裟すぎる。村上春樹は「見せることのできるものは、そんなの大した傷じゃない」とダンス・ダンス・ダンスの中で言っているが、あれは真理だ。案の定私は3日くらいで立ち直った。

当時は悲しかったけれど、失恋後の私は聖母のように恋する女の子に優しくなれる。恋する女の子のためなら、見ず知らずのその子の彼を空港まで迎えに行ってあげるだろうし、彼らのために自分の部屋を貸してあげることすらあるだろう。これは本当に失恋後の悲しい時限定の私だけれど、人の痛みに寄り添えるバージョンの私に少しでもなれるのなら、まあこういうのも悪くないなと思った22歳冬であった。







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