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10年にも及ぶ「夫」からの過酷なモラハラ。大病との闘い。いつも側で守り、支え続けてくれた息子の存在・・・全てを経た今、同じ悩みを持つ女性の支えになりたい私の#自己紹介

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『・・・お母ちゃんて、結婚する前は幸せだったんだね!』

4年前のある日、
物置の整理をしながら
昔の懐かしいアルバムを見ていた時、

一緒に見ていた当時、小学6年生の息子が
ふいに、つぶやいた言葉です。


特に気に留めなかったつもりの
何気ない言葉でしたが、

なぜか涙が溢れそうになった
私がそこにいました。


息子に悟られぬよう、
私は努めて明るく、

「そう?お母ちゃん、そんな幸せそうな顔してる?」

と、息子に笑顔で微笑みかけました。

その時、でした‥。
――――――――――――――――――

大好きで結婚した夫


私、yumikoが夫と結婚をしたのは、
今から22年前のこと。

あるスポーツの実業団選手として
会社に所属していた私は、

トレーニングのために通っていた
スポーツジムで、現在の夫と出会いました。


当時の私の最優先事項は、
できる限り長く、
その競技選手として活躍し続けること。

そのため、

「休みの日はデート」
「早く結婚しよう」

という男性よりも、

趣味を持って
自由に人生を楽しんでいた夫とは、

きっといい距離感で
バランスよく過ごしていける。

そして何より、
そんな夫のことが大好きで、
自然と付き合うになり、

そして結婚をすることになりました。


でもその時は、

まさかこの先、
恐ろしいほど 長い長い

「地獄」

が待っているとは、
夢にも思っていませんでした。


『出ていけ!出ていけ!!出ていけ!!!』



『お前のやっていることに価値はない!』
『早く出ていけ!』

結婚してから数年後、
子どもが物心ついてきてからのこと。

夫のいわゆる

「モラハラ」

は日に日にひどい有様となっていきました。


理由は分かりません。

私にも何か非があったのか、
それとも、もともとそういう性格だったのか・・・。


通帳もカードも取り上げられ、
生活費はレシートを夫に見せ
OKしたもののみ払ってもらえる。

でも、そんな生活がイヤで、
抵抗すればするほど、
エスカレート。


日々、投げつけられる言葉は、
それらが、1つ1つの重たい石のようで、

まるで窓ガラスが
パリン!パリン!と次々割れるように、
私の心をどんどん破壊していきました。

「何とかしなくては・・・」



そう考えて、
開業していた自宅サロンの合間を縫って、

家事代行やポスティングなど
他の仕事とも掛け持ちをして
必死に働き始めた私。

でも・・・
やることなすこと、逆効果。


それを知った夫は、

『お前は働いているのに、金を出さないのか!』

渡される生活費の金額までもが、
逆に減ってしまいました。


物心のついた息子は、
私の味方をしてくれましたが、

そんな幼心の精一杯の優しさすら
無下にされてしまう。

父親としての、
息子の対する間違った愛情表現。


ついには、

『出ていけ!』
『出ていけ!!』

『出ていけ!!!』

を繰り返すように。


私は、

「早く離婚して、息子と家を出よう」

そう何度も考えました。

でも、シングルマザーとして
息子を育てていくほどの
経済力はない私。

出ていきたくても出ていけない現状に
何も言えずにいると、

だんだんと
身も心も動く力を失って、

まるで脳が麻痺してしまったかのように、
何かを考えることもできなくなりました。


言葉の暴力をただただ、受け続けるだけ、
罵詈雑言をただただ、聞き続けるだけ、

何年も何年も破壊され続けた
私の中には、
私の”心”はもういませんでした。


「目覚め」の瞬間


そんなある日のことでした。

息子と一緒に、
物置の整理をしながら
昔の懐かしいアルバムを見ていた時。

息子にふいにかけられた言葉が、

冒頭のあの言葉

です。

『・・・お母ちゃんて、結婚する前は幸せだったんだね!』


・・・その時でした。

息子に笑顔で微笑みかけた後、

体の周りから何かが剥がれたような、
ずっと忘れていた何かを思い出すような、

そんな不思議な感覚を覚えました。


「もしかして私、なにか洗脳されていたような状態だったのかな・・・」


そして次の瞬間、

「今の私は私じゃない!」

「私はこんな事をしているような人間じゃなかったはずだ!」


そんな気持ちが湧き上がってきました。

今思うと、あれが

「目覚め」の瞬間

だったのかもしれません。

私の中に、
私の”心”が帰ってきた。

息子の言葉のおかげで、
ようやく帰ってきてくれた。

そんな瞬間でした。



「・・・このままじゃいけない!」



自分のためにも、
そして何より、息子のためにも、
本気で自立していかなくては!

ここから私の、
この記事を書いている今も続いている、
長い旅が始まりました。


挑戦、手ごたえ、前進・・・


まず私が動いたこと。

それは開業した自宅サロンの

「経営」

をしっかりと学ぶことでした。

小規模サロンを
開業している人達が集まる経営塾に入り、

集客から顧客対応、数値管理など、
店舗運営に関する知識・ノウハウを
必死で勉強しました。


日々の仕事や家事に加えて、
経営塾にも通い勉強をすることは
とても大変でしたが、

何としても今の状況を抜け出したい私は、
一歩たりとも引かない決心で、
一切の妥協をせず、

やるべきことや
出される課題などに必死に取り組みました。

そして何よりも、
その経営塾での様々な方々との出会い。


色々な経験をされながら
お一人で頑張ってこられ、

バリバリ活躍されている方々と
たくさんお話させていただくようになりました。

壮絶な過去を乗り越え
それでもカッコ良く活動されている方々と接しながら、

『この現状は永遠に続くものではない』

『自分次第で変われるんだ』

と知ることができました。

ここで身につけた知識やスキル、

一緒に頑張れる仲間のおかげで、

私は、変わることができました。

「仲間との出会いは一生の財産」

あれから数年が経ちましたが、
今もその仲間たちと接することで、

心に汲めども尽きない元気を、
そして大きな勇気をもらうことができています。


また、個人的には、
どんな過酷な環境に合っても、
日々上を向けるように、

ムリなく自然に
前向きな気持ちでいられるように、

様々なワークや思考法を研究し、
実践してきました。

様々なことを試行錯誤し
実践してきましたが、

それらも
徐々に効果を発揮してきて、

だんだんと、
自分の心の中に


「前向きな変化」

も起きるようになりました。


少しずつ、少しずつ、
1歩ずつ、1歩ずつ、

何かが前進しているような、
そんな手ごたえを
掴めるようにもなっていました。


まさかの出来事


一生ものの仲間たちができ、
自宅サロンでの業績も上がりはじめ、

日々のワークや思考法の実践も
効果を見せ始め、

真っ暗だった長い長いトンネルの先に、
ほんの少しの

希望の光

を見つけることができた私。


息子もすくすくと育ってくれて、
中学2年生に。


『来年は受験!お互いに勝負の年になるね!

1年頑張って再来年は家を出るよ!』


そんな話を2人で話していました。

些細な会話でしたが、
大きな希望と、幸せすら感じる時間でした。


・・・しかし、運命は突如、暗転し、
またもや牙をむいて私に襲い掛かります。


ある日の夜でした。

左胸の乳頭がただれているのに気づき、
ふとした不安が頭をよぎりました。


初めは

「肌荒れかな?」
「アレルギーかな?」

などと思いながら

下着の素材を変えてみたり、
乾燥に気をつけてみたりと
ケアをしてみたものの

全く改善せず…

治ってはまた、ただれ、
状態もどんどん悪化していました。


「え?もしかして・・・



・・・・・・乳がん?」



いや、まさか。
そんなこと、あるはずないよね??

ずっとスポーツをやってきて、
身体を気遣ってきたはずだし・・・

日々の食生活や体のケアに関しては
人一倍、気を使ってきたし・・・

ついに夫と離れ、
家を出るための最後の挑戦が始まるのに・・・

それに、それに・・・
もう何年も、こんなに辛い想いをしてきたのに?

今さらこれ以上、
辛いことなんて起きないよね??


そんなはずはない!
そんなひどいことばかりが起きるはずはない!

だから、だから・・・


「私が癌であるはずがない!!!」



私は、不安を誤魔化すかのように、
ネットを検索しては
必死に他の可能性を探していました。


そんな中、実家に帰省し、
お風呂上がりにふと不安に思っている事を
母に話しました。

今でもその時の母の顔は忘れられません。

『何をしているの!!すぐにでも検査に行きなさい!!!』

実は母も私くらいの頃、
子宮癌を患っていました。

その時の母の心の葛藤や不安、
でもまだまだ

「私には、守らなければいけないものがあるから!」

との強い意思で癌を乗り越えた経験。

当時の母の話を聞いて、
私は、

「今まで、何をしていたんだろう・・・。」

と、不安に負けて
目を背けていた自分に気づきました。

そして、

『私の未来、息子のために、ちゃんと前に進まなければ!』


そんな気持ちが、
自然と湧き上がってきました。


大病との闘い


病院に向かうと、早速、検査となりました。
超音波、マンモ、細胞検査・・・etc.を行いました。

その結果は・・・

やはり ”乳がん”でした。


それでも幸いなことに、
乳腺内に癌が収まっている状態で、

外に広がっている可能性は少なく
摘出さえしてしまえば
転移の心配はないとの事。

とはいえ範囲が10cmという事もあり、
今後の再発の可能性も考え、

”全摘出”

の手術となることを告げられました。


夫には言いたくなかったのですが、

保険の手続きや、
手術の同意書の事もあり、
告知することに。


その時の、夫の言葉は、

『まあ自業自得だろうな』


でした。


本当に酷い言葉ですね。

でも、その時の私は、
この状況でここまで言う
夫に対して軽蔑の念は感じましたが、

正直、たいして気になりませんでした。
傷つきもしませんでした。

なぜかそのひどい言葉に
負ける気だけはしませんでした。


そして・・・


「もちろん、病気にだって、負けない!」


そう前向きに思えている私がいました。


「そうじゃなくて!」


3ヶ月後の予定で手術が決まり、
手術に向けての検査が始まりました。

手術までの3ヶ月間

『これ以上癌が広がりませんように』

『乳腺から出てしまいませんように』

祈るような気持ちでした。

手術まで不安の中、
経営塾で知り合った、

ベテラン栄養士の仲間に相談したり、
アドバイスや指導をもらいながら

少しでもデトックスを促すよう
腸を整えたり、
栄養に気をつけたりと

出来る範囲の事を取り入れて
体調を整えて行きました。

でも・・・
やっぱり、不安・・・。


手術日、そして手術後の検査。

検査次第では、
その後も治療を続けていかなければ
ならなくなる・・・。


そんな不安に苛まれる中、
私は息子に、

「もし、癌が広がっていたら、どうなるんだろうね・・・?」


と、ふと弱音を漏らしました。

すると息子は、

「でも、悪いものって決まったわけじゃないでしょ。」


と答えました。

私が、

「癌っていう時点で、悪性だから悪いものなのよ。」

と答えると、

息子はこう言いました。

「そうじゃなくて!」

「・・・癌になったことが、お母ちゃんの今後の人生にとって、悪いことって決まったわけじゃないでしょ?」


・・・驚きました。


まだまだ子供だと思っていた息子は、
私よりもちゃんと前を見据えていました。

そして、その一言は、
私を強く強く、勇気づけてくれました。


手術


そして、
いよいよ手術の時を迎えました。

全身麻酔のマスクをつけて、
しばらく呼吸をしていると、
いつの間にか、意識はなくなっていました。


目を覚ました時は、
私はベッドの上で、
すでに手術が終わった後でした。

看護師さんによると、
2時間ほどの手術だったそうです。

幸い、リンパへの転移もなく
無事に終わりました。


翌朝までの約1日、点滴に血圧計、
ドレーンと、管だらけで身動きが取れず。

翌朝、自力でベッドから起きて、
最寄りのトイレまで歩いていけたら安静解除!

とのこと。

翌朝、看護師さんに見守られながら
ベッドから立ち上がりました。


私は、ふらつくこともなく、
何事もなくスッと立ち上がれました。


「もう大丈夫です。全然平気みたいですね!」

看護師さんは、
その回復ぶりに驚いていました。

その後も、順調に回復。

退院した当日から、
普通に家事もこなすことができました。

そして、1ヶ月後には仕事も再開。

最終的に、
完治するまでは1年かかりましたが、

手術の全摘出で癌は取り除かれ、
無事、回復できました。


そして、大病との闘いを終えて、
医師から完治したことを告げられたその時、

私は色々なことに気づきました。

日々上を向くように、
現状を変えるために始めた
ワークや思考法の積み重ね・・・

経営塾で出会い、
たくさん語り合い、
たくさん学ばせていただいた仲間たちの存在・・・

母の存在・・・

たくさんの支えてくれた方々の存在・・・

そして、
幼い頃から私を守ってくれて、

私の心を蘇らせてくれた、
私の命より大切な息子との日々・・・


そんな毎日、毎日の積み重ねが、
いつの間にか、私の心と身体を

夫のモラハラに打ちのめされていた
当時とは比べ物にならないほど、
強く、たくましくしてくれていたのです。


「・・・だから、夫の『まあ自業自得だろうな』という、ひど過ぎる言葉さえも、気にならない私になれていたんだ。」

全て、全てが、必要な経験で、
全て、全てが、繋がっていたのです。

私にはもう、
悩みや迷いはありませんでした。

「闇の過去」は、いつの間にか全て、
「未来への光」に変わっていました。


私は今・・・


10年にも及ぶ
夫からの過酷なモラハラ。

そして、1年間の闘病の経験。

「息子と一緒に家を出て、夫から離れる」

その目標の達成は、
少し遅れてしまったけど・・・。

私は今、とっても元気に働いています^^


いまだに、
夫は酷い言葉を浴びせてくる時もありますが、

もう何にも気にならない私がいます。

どんな言葉を浴びせられても、
怯えたり、悲しんだり、
恨んだりする自分はいません。


だって、私には、
そんなことよりも、
もっと大切なものがたくさんあるから。

素敵な未来が待っているのも
見えているから。


そして・・・

これから私がやるべきこと、やりたいことが見つかったから。

それは、

「かつての私と同じように、夫のモラハラで悩んでいる方のお役に立ちたい」

ということ。


今、この瞬間も、
夫のモラハラで悩んでいる方はたくさんいらっしゃいます。

結婚相手を見誤ってしまったために
身体や心の健康を損ねたり、

さらに深刻な場合、
命さえ脅かしてしまう危険も・・・。

(私の乳がんもそうだったかも‥)

だからこそ私は、
同じ悩みを抱えている方を、
サポートできるような人間になりたい。

そのための活動をしていきたいのです。


もし私の経験や、

その過程の中で身につけてきた
知識やノウハウが
少しでも役に立つのであれば、

それを同じような悩みを抱える方に、
お届けしたい。


同じような悩みを抱えて
苦しんでいる方たちが、

ここに来れば、
明るく前向きな気持ちになれるような
そんな場を作っていきたい。


最終的には、
経済的な独立も果たせるような
そんなサポートも、

いつの日かやってみたい。


やりたいことが、たくさんです。


「いつかこの日本から、
夫のモラハラで悩む方がいなくなる社会を創る。」

それが、何年も何年も苦しみ、
命まで危うくなるような経験もしたものの、

明るく前向きに頑張れている自分に、
与えられた使命だと思っています。

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『・・・お母ちゃんて、結婚する前は幸せだったんだね!』


あの時、無邪気に私に語りかけてくれた、
私の命より大切な
かけがえのない息子。

今になって私は、
ようやく分かりました。

本当に1番悲しい想いをしていたのは、
他の誰でもない、
君だった、と。

本当に、ごめんね。

そして、物心ついた幼い時から、
私をずっとずっと守ってくれて、
本当に、ありがとうね。

これからは、
強くなったお母ちゃんが、
しっかり君を守るからね。

いつか君が、
最愛の人を見つけて、
幸せな家庭を築いて、

私の元を巣立っていく、
その日が来るまで。
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ここまでお読みいただきありがとうございました^^


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