【StarCitizen】ゲームの中で「生きる」をするということ
毎度のことだと自覚するものの、今回は特に客観的事実が少なく主観的な内容になる。
StarCitizenというゲームをご存じだろうか。
2012年にタイトルが発表。
クラウドファンディングやパッケージの売り上げを通して、
合計400億以上の資金調達に成功した、なんかもう数字の規模が大きすぎてよくわからないゲームである。
プレイヤーは宇宙船を持ち、探検、貿易、採掘、傭兵、医療、賞金稼ぎなど、
様々な稼業を通して生活するMMOゲームだ。
近似のゲームとしては「Elite:Dangerous」という同じ宇宙MMOがあげられる。
だが、StarCitizenは上記作品とは違い、船だけでなく1人の人間としてのプレイヤーにフォーカスしており、
早い段階から惑星地上での探索、アクティビティに重きを置いていたり、
医療システムや飲食システムの導入など、シミュレーション要素が充実している。
文面としては、なかなか興味深く感じられるが、大きなネックと言えば
2013年から今この時に至るまで開発中、プレイは出来るもののアルファ版止まりということである(現Verは3.15)
最低金額4,000円を投資してアルファ版を購入するというハードさに少し戸惑いを感じるところだ。
私も購入するか否か3年悩んだ挙句、つい先日買ってしまった。
結果、バグまみれの環境ではあるものの、それを差し置いても買ってよかったと思っている。
なぜならば、宇宙で生活する一市民という本作のコンセプトがド直球にぶっ刺さったからである。
▼SF世界に放り込まれたら何がしたい?⇒成果報酬型の仕事で日銭を稼いでその日暮らしがしたい!
実のところ、正直言って現実世界の宇宙には興味がない。
現実世界では頭の上にある宇宙より、足元にある地球の秘境や文明のほうに興味をそそられる人間だ。
だが、SF作品やスペースオペラ作品、ロボットアニメなど、フィクションで描かれる宇宙は大好きだ。
何故ならば、フィクション世界の宇宙には人々、もしくはエイリアンが生きており、価値観の違う営みや文明、歴史がそこにあるからだ。
現実世界の宇宙には、未だかつて人の文明はなく、宇宙を中心に据えた宇宙での人類史というものがない。
だから、現実世界の宇宙にはさして興味がない。
私が宇宙のゲームに対して興味を持つか持たないかというラインは、そこに既に人がいて、営みを行っているかどうかという一点に尽きる。
未開の地の探検だとか、冒険というのは、まぁまぁ、いいかもしれないが、
そういったものに価値が生まれるのは、価値を見出す人間がいるかどうかということである。
だから宇宙を舞台にしたゲームならば、自分より先に人々が生活していてほしいと思うのだ。
本作は既に人々が宇宙へ進出し、歴史設定を見るとどうやら大きな戦争が数回あったらしい。
今では戦後経済から復活しているらしいが、各惑星は大企業が権利自体を買い取ってテラフォーミング後、
惑星資源を根こそぎ採掘をしていたり、色々と権力がごった返している。
だが、そういうのがいいのだ。私は支配者になりたいわけじゃない。
私は支配者が頭上でなんやらやっているのを尻目に、ぶつくさ文句をたれながらその日暮らしをしたいのだ。
現実では時間賃金制の仕事をして、チームにあれこれと指示を出す側の人間が、
ゲームでは成果報酬型で、その日暮らしをしたいなんてのは、なんとも夢のない話だと思うが、
そんなこと言ったらゲームなんて出来ない訳で、妙な考えはスペースデブリにでもしておこう。
▼適度に心地いい大切にされてない感
本作は様々なコントラクト(契約)を結び、目標を達成したら賃金が支払われる。
時間当たりの給与計算とは一概にも言えず、より危険だったり、慎重性が求められる仕事であれば相応に報酬は上がる。
宇宙船には居住スペースが用意されているものもあり、船から出ずとも仕事が出来る。まるで在宅ワークならぬ在船ワークだ。
まぁ、どちらかというと決まった住居を持ってないというほうが正しい。
各惑星に停泊してるときに利用できるのは、自分の家ではなくてビジネスホテルだ。
ステーションに至ってはカプセルホテル+aぐらいのチンケな設備だったりする。
もうちょっと金を払ってでもいいからいい部屋を貸してほしいと思うが、無料だし文句は言えない。
それに、個人的には、こんなチンケな方が、程よくかつ心地よく感じる。
結局のところ、現段階で出来ることと言えば、リストに上がっている依頼を選んで受注して、
場合によっては、恒星跨いで反対側のアステロイドベルトまで足を運んで海賊を追っ払って報酬を貰うか、
もしくは、デスストランディングばりに、配送ルートをたどって荷物をお届けするか、
はたまた、不法住民が占拠するバンカーに乗り込んで、ライフルをぶっ放しながら、この世からの強制退去を迫るぐらいである。
宇宙のフリーランサー。個人事業主である。社会保障もクソもない、代わりに税金もないが。
だが、私はそこにロマンを感じる。
社会は頼れず、ただただ依頼された仕事をこなして、終わったら報酬貰ってハイ終わり。
貰った報酬は、仕事でかかった燃料や弾薬の必要経費さえ払っておけば、あとは考えることもなく自由である。
本作のいいところは報酬の使い道が、船の強化や自身の強化だけに留まらないところにある。
当たり前だがプレイヤーとて1人の人間。銃やアーマーを買って腹が膨れるわけでもなく、
食べ物や飲み物を買って、最低の生活基準を保たなければならない。
仕事が終わった後には、ステーションに立ち寄り、ゲロ甘そうな炭酸飲料を飲みながら、
焼きそばが載ったホットドッグを頬張るのだ。もちろん本作は食べるも飲むも全部モーション付きである。
宇宙船だけで完結しない、プレイヤー1人にフォーカスしているからこそ、
飲食という生活、細部にゲーム自体の美学が光っている。
そして細部が作りこまれているからこそ、本作にどっぷり飲まれこむ自分がいる。
正直言って現実だったら、仕事を終えたら作ったご飯をちゃんと食べたいし、お風呂にも入りたい。
だが、本作はあくまでも金の稼ぎ方はフリーで、税金さえもフリー。健康なんてものも考えなくていい。
現実と違って、あれこれと考えることもなく、ただなんか美味しそうなものをつまむ。
そして、天井がやたらと近いベッドで眠りにつく。
そんな大切にされていない感、自分を大切にしない感。
ゲームだから存在する命の安さが、本作の営みと相まって、たまらなさを生み出す。
ある意味無価値とも思えるその生活に、この上ない価値を見出してしまうのは、「隣の芝生は青く見える」ような人としての性だろうか。
そんな性を弄ぶ生活を提供してくれる本作。それこそが本作の魅力と言える。
▼無機質な中にある暖かさ
前項では「大切にされてない感」に着目したが、しっかりとした人の営みを感じられるところもある。
本作のバランス感覚の良さというべきか。
惑星やステーションに降り立てば、人の往来は多い。
プレイヤーだけではなく、NPCがその惑星ごとに、その労働ごとに自身の役割に従事している。
人の営みを感じさせつつも、私が本作で一時の暖かさを感じる瞬間は着陸の瞬間である。
それぞれの惑星やステーションに降り立つには、管制官の承認を得る必要がある。
空港のATCにコンタクトを取り、着陸パッドに誘導してもらう。
微妙なスラスター操作を繰り返しながら、ランディングギアを展開し、着陸が成功する。
その瞬間、管制官から通信が入る。意味合いは大体「よい滞在を」といった内容だが、
この言葉一つで、何と言うべきか、まるで向こう側に人がいるんじゃないかとも思ってしまう。
ただの管制官が、たった一人の放浪者に「よい滞在を」なんて言葉をかけるだろうか。
そもそも考え方が違うのかもしれない。我々はただ立ち寄っただけの放浪者だと思っていたが、
向こう側はそうではないのかもしれない。
どれだけ科学技術が発展して、離れた惑星同士すぐ行き来できると言えど、人々はそれぞれの惑星に生活基盤を持っている。
なればこそ、人々は他の惑星に行かず、その惑星だけ生涯を終える人々も多いはずだ。
そういった世界ならば、プレイヤーのように定住の地を持たず、宇宙を彷徨う放浪者は、
彼らにとっての異邦人、ストレンジャーであり、プラスな見方をすれば、自身の惑星に新しいものを取り込んだり、
お金を落としていってくれる大事な大事な客なのかもしれない。
空港に入るというより、惑星が丸々1個ホテルやアトラクションと考えれば、フロントでチェックインしているようなものだ。
そう考えれば、ホテルマンのようなあの憎い一言もなんだか納得がいくし、より暖かさを感じるものだ。
▼やっぱり私はゲームの中でも生きたい
かつてブッダは「生きるということは苦しみにあふれている」と説いた。一切皆苦や苦諦に繋がるそれである。
私も日々を生きていて「なるほど確かに」と思うことは多々ある。
苦こそが、人間のデフォルト設定であるかもしれないと。
生きることは苦しい。だが、ゲームの中でもやはり私は生きたいのだ。
ゲーム内で欲しいものが買えないこと、バグでエレベーターが消失して地の底まで真っ逆さまに落ちたり、
ひどい時には空港の描写がコリジョンごと消失して、宇宙に出れず惑星に引きこもったまま人生を終えることもある。
本作「StarCitizen」の世界で生きることも、また苦しさにあふれているのだ。
だが、苦しいことに何のためらいがあろうか。
苦しいからこそ、快楽が生まれるのではないかと、私は思う。
命を賭けて必死で稼いだクレジットは燃料に消え、発射したミサイルは買いなおさなきゃいけない。
余ったクレジットは、今日を生きるための糧として焼きそばパンと炭酸飲料に充てられる。
だが「今日も生きる」という生の実感に、これほどまで最適化されたゲーム体験はないんじゃなかろうか。
余った金をコツコツため、ショールームに展示された武器や船を買う。
それは快楽だ、だが際限のない快楽だ。快楽は購買の瞬間に立ち消え、また新たな強い快楽を求める。
そしてまた命を賭けたクレジット稼ぎに戻る。
こんな生活はクソだというのか?いいや、クソだとは私は思えない。
それこそが、生きるということに他ならないのではないだろうか?
もちろん現実世界はもっと複雑だということは分かっている。だが、原理は同じだ。
我々はそう思うか、思わないか、あるいは思い込まないようにしているか、いずれにしても苦の状態にいることが多い。
快楽を感じるのは、その苦が報われたとき、あるいは苦を感じない時に快楽だと勘違いしているだけなのかもしれない。
本作は「生きること」における苦と快楽をデフォルメ化して、ゲームに落とし込んでいる。
だからこそ、この「StarCitizen」は魅力的だと、そう思って憚らないのである。
ちなみに今、StarCitizenは12月2日のAM1:00までフリープレイが出来る「Intergalactic Aerospace Expo 2951」が開催中である。
興味のある方は是非宇宙への一歩を踏み出してはいかがだろうか。
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