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【FARCRY6】蘇りし、はるか遠くの物語

2021年10月7日、ファークライシリーズの新作「FARCRY6(以下略本作)」が発売された。
正直な話をすると、ファークライに対する個人的な感覚は「財布に余りがあれば買う」ぐらいの作品である。
で、今回も発売日当日に買う予定は無かったのだが、今月は「アイドルマスタースターリットシーズン」ぐらいしか購入予定がなく、
暇つぶし程度についつい購入を決めてしまった。

ファークライシリーズは、「FARCRY3」をPCでプレイしたのが初体験だった、
そこから4をすっ飛ばして、カルト教団と戦うという設定が興味深く「FARCRY5」をプレイした。
1も2もプライマルもニュードーンもすっ飛ばして、浅い体験しかしていない本シリーズだったが、
本作は面白い。久々に「FARCRY3」並みのアタリではないだろうか。

▼鮮烈だった「FARCRY3」と、そうでもなかった「FARCRY5」

「FARCRY5」は正直、事前期待を高くしすぎたかなぁという反省を持っている。
5はアメリカの田舎町を舞台に、カルト教団と戦う地元の人々という対立構造があった。
カルト教団というからには、浮世離れしつつも、過激で、そしてシリーズ特有の批判的な文脈を期待していた。

しかし、カルト教団でもある「エデンズ・ゲート」が声高に叫ぶことと言えば、「ソーシャルネットワーク批判」だったり「見えない分断批判」といった、政治的文脈が主で、発売された当時から見ても「ありきたり」。言うならば陳腐なメッセージ性を語りながら、終末思想を説くカルト程度の物であり、ゲーム中では、狂気というものが、教祖であるファーザーの慈悲的な語りによって全くと言っていいほど響かなかった。(ぶっちゃけただのヒッピーだった)

主人公側が狂っているかもしれない。というメッセージ性を持たせたかったのは分かるが、それはあくまでどっちが主体かという彼我の話であり、
画面の向こうで操作する我々が狂気ならば、エデンズ・ゲート側も同じ程度の殺戮と狂気を見せつけて、ラストの核エンディングを迎えていただきたかった。

もしくは、民衆が彼我を超えて教団か我々を排除するという第三者。などの一般的な視点を用意しながら物語を描いて欲しかった。
そういった意味で「FARCRY5」というのは、なんとも微妙というか物足りない作品だった。

一方「FARCRY3」は素晴らしかった。1と2をプレイしたことはないが、3あってこそシリーズが続いているとも感じられる。
南国の島を舞台に、バカンスに来た一般人が生死をかけたサバイバルに挑む作品。

狂気的かつ粗暴な海賊と、正義に見えつつも狂気をベールに隠したレジスタンス。そこに放り込まれた一般人の主人公。
この3つの価値観があるからこそ「FARCRY3」が成立していると言える。
3が鮮烈だったのは、暴力しか解決手段のないゲームでありながらも、主人公に対して悪役が暴力を批判する描写があること、
そして、批判された暴力がしっかりとエンディング分岐にかかわってくることにある。

最後にマシェットの刃を彼女の首に当てるのか、それとも自分の行いを鑑みて暴力の連鎖から降りようとする意志があるのか、
そういった選択があったからこそ、3は名作だった。
ストーリーや描写が名作足らしめたのではなく、プレイヤーに決断させる意思があったという点が3が名作だった所以である。
実際、暴力に批判的なストーリーというのは発売当時、別に目新しいものでもなかったと思う(FARCRY3の直前にHotline Miamiとかが発売されてたし)

総じてファークライシリーズは、その名前にもある通り「(叫び声が聞こえるか聞こえないかぐらいの)遠い場所の物語」である。
それは文明や思想という点において、隔絶された異文化が偏在する世界であり、そこにプレイヤーたる我々が入り込むことで、
自身の価値観を疑っていく、自身がなし崩しにとった行動について考えさせられるのがシリーズとしてのウリと言える。

では、本作「FARCRY6」はどうだろうか。
正直な話、購入してから2時間程度、最初の島を飛び出したぐらいのファーストインプレッションになるが、
本作がシリーズ最新作としてアリかどうか、書いていこう。

▼帰ってきたファークライらしさ

結論を言えば、本作は買いだ。5、ニュードーンと崩れかけたシリーズを再興出来るポテンシャルを感じさせる。

開発のUbisoft、これはスタジオを跨いで抱える病気とも、悪癖とも言えるものだが、UBIは一度味を占めたシステムを他のフォーマットに落としたがる会社だ。

2016年に「ディビジョン」で味を占めたのか、こと2019年に至るまで、どのシリーズもレベル性を導入しだした。
アサシンクリードもオリジンズからレベル性を導入し、RPG要素が濃くなったし、ファークライもニュードーンにおいては敵がレベル性だった。
ゴーストリコンにおいても、ブレイクポイントはRPG要素の濃い作品だった。

あっちを見ても、こっちを見ても、シリーズIPはレインボーシックス以外全部RPG。そんな時代がUBIは続いた。
正直な話、辟易したユーザーも多かったと思うし、シリーズファンがそっぽを向くほどでもあった。ゴーストリコンはマジで許してないからな

だが、アサシンクリードヴァルハラから風向きが変わってきた。
レベル的な要素は残ってはいるものの、それがプレイの足かせになるようなシステムではなくなってきた。
いわばもっとアクション面を強く、ゲームのプレイフィールを前面に出したデザインへと変化してきた。

そして送り出した本作「FARCRY6」。こちらもゲリラレベルというレベル要素はあるものの、それが足かせになることはない。
同じくアクション面が強く出たゲームデザイン。ファークライをFPSとして遊ぶことが出来るデザインに纏まっている。

マシェットも復活し、どれだけ敵が強くてもステルスで行けば一発でテイクダウン。
銃撃戦に関しても、銃の撃ち応えはよく、弾と敵の相性が悪くてもプレイスキルで何とかなる。
体力の回復手段についても、注射器を指すだけだった5とは違い、FARCRY2のように、あの手この手でエグく応急処置をしてくれる、
思い描いていたようなファークライが帰ってきたと言ってもいい。

本作はシリーズ最新作として大アリだ。ニュードーンなどで離れていた人も、シリーズ復帰作として評価できる作品に纏まっている。

▼「ヤーラ」という世界設定と、世界へ引き込む導入のうまさ

本作は4、5、プライマル、ニュードーンから、3のような南国の島。カリブの島であるヤーラに部隊が戻った。
ジメジメとして、鬱蒼とした未開拓のジャングルに覆われながらも、
今回の相手が国家であるからこそ、集落や町、軍事基地といった文明的なロケーションまで様々なものを取り揃えている。

まず本作は世界設定が妙だ。いわば3,4,5の合わせ技ともいえる舞台設定になっている。
3からは南国の植生、島という部隊。4からは国家という相手。5からは近代化された文明。
それらが相まって、背後には色々な、アメリカやロシア、第三世界などの国家的な思惑さえも絡んでいそうな、魅力的な世界へと昇華されている。

主人公のダニー・ロハスは、このヤーラというカリブ海に浮かぶ独裁国家の中で、孤児として育ち、徴兵されて軍人として過ごしてきた。
そして今、軍務を終えた彼は再度の徴兵から逃れながら、アメリカへ亡命しようとしているところから物語が始まる。

ダニーは、ゲリラの友人の助けを借りて、漁船に偽装された亡命船に乗り込んでアメリカへ向かおうとする。
しかし、亡命途中に本作のヴィランである「アントン・カスティロ」に襲撃され、ただ一人生存者としてゲリラの存在する島へと漂流する。

ここでダニーは嫌々ながらも「リベルタード」というゲリラに加わり、アントン・カスティロ率いる独裁国家へ反旗を翻すことになる。

以上が大まかな導入シーンとなっているのだが、正直な話導入から惜しげもなくプレイヤーをゲームに引き込もうとする演出が目白押しだ。
物語はヤーラの首都らしきところから始まる。
いかにもなカリブ風建築の建物が並びながら、アントンの居城でもあるどデカいタワーが見えるし、軍隊は徴兵逃れをしようとするダニーを追ってくる。

亡命船の船内でヴィランと顔合わせがあり、部下にその場を任せて帰っていくもんなので「おや、助かったかなぁ」とか思いきや
横付けしていた巡視船から銃をぶっ放してきて、気づいたら辺鄙な島に漂流する。

色々と忙しい導入だ。だがその分世界に引き込まれるし、主人公の性格も、ヴィランの雰囲気も伝わってくる100点満点の導入だった。
漂流後にマチェットを引き抜いて見得を切るダニーのカットなんかは、個人的には3を彷彿とさせてワクワクした。

ゲームのタイトル画面前に流れるイントロムービーもかなりクオリティが高い。
Netflixオリジナルドラマと言われても納得してしまうぐらいには演出が上手く、こちらもゲームに対するワクワク感を掻き立てる工夫がされている。

▼本作における「ゲリラ」と「ゲリラ」する面白さ

本作の演出やムービーには3つの頻出キーワードがある。それが「ゲリラ」「独裁」「アメリカ批判」である。

「ゲリラ」はその中でも主人公サイドのことを表現している。
実際に主人公はゲリラに協力するし、元CIA・元KGB・元モサドとかいう経歴が大渋滞しているゲリラ戦の名手的なキャラもいる。

重要なカットシーンの前には、ゲーム内キャラクターが綴ったゲリラ格言集みたいなのが表示されたり、とってもゲリラ推しである。
本作において「ゲリラ」とは組織や戦術といったものではなく、もっと哲学的で、例えるならば「武士道」に近い意味合いを持っている。

ヤーラにおいて、体制側はアントン・カスティロ率いる独裁国家と軍隊である。
一方で、体制に恭順しないものはゲリラと一括りにせず「アウトキャスト」という言葉で括っている。
その中で銃を取り、体制に反抗する者たちが「ゲリラ」である。とゲリラ側が自負している節がある。

稼業において掲げる屋号、看板にも思える「ゲリラ」だが、ゲリラ格言集が浸透しているあたり「武士道」とか「義侠心」のような哲学的なものへと昇華している。

「ゲリラ道」と言うべきか、本作の「ゲリラ」という概念は、今までのシリーズでは見られなかったものだ。
3のレジスタンスは宗教的なものが背景にあったし、4におけるレジスタンスは分離してるあたり「自治組織」だったり「軍閥」のようなものに近い。
5に関しては主人公サイドは保安官という法の執行サイドだった。

しかし本作においては、シリーズとは打って変わり元軍人達が寄り合ったようなパラミリ的な色合いが強い。
一歩間違えればテロリストすれすれの主人公サイド、それらを精神的にも組織的にも纏め上げ、理性的な団体として管理できるようにする哲学。
それが本作における「ゲリラ」という概念だ。

実際に支配側の軍人を買収出来る要素があったり、嫌々支配側に入っている人々にも理解を示すあたり、
今までのシリーズと比べても、人情的かつ将来に関するビジョンを持っていたりするところから、滅茶苦茶まともな組織に見える。

この「ゲリラ道」といった考えはゲームシステムにもよく落とし込められている。
今までただ言われるままやってきた各軍事基地潰しなども、基地の戦利品を持って帰ることで自身のゲームプレイにフィードバックされる作りになっている。
それは、今までのシリーズのように、注射しただけで銃の威力が上がる変な薬の製法だとか、経験値が上がってスキルが取れるというものではない。

プレイヤーが使用できる銃を手に入れたり、カスタム用素材が手に入ったり、強力な装備が手に入ったり、
実際にゲリラが革命を起こすにはどうしたらいいか?という問題に対するアンサー。
「戦線外を攻撃し、資源はゲリラ側の物としてしまう」という答えに報酬が直結しているのは、さんざんシリーズでやらされてきた行動と同じものでも説得力が強いものになっている。

また、マップ上に描かれている主要道路以外にも、巡回の手が届かない「ゲリラの抜け道」が設けられていたり、
「主人公がゲリラ戦を繰り広げる」というロールプレイを引き立てている。

これは、今までシリーズが説明しきれなかったプレイヤーの行動原理を保証してくれるものだ。
「ゲリラ」という単語を、哲学的な意味合いを持たせながら、システムに組み込まれて作品を補強している。

本作は発売前から「ゲリラ」というキーワードを前面に出していたが、プレイすれば納得出来る。素晴らしい要素である。

▼アントンの「独裁」と外交カード

本作の敵は、アントン・カスティロ率いる独裁国家だ。
タバコ農園に置ける強制労働。人権無視の薬品散布、アントンが目指す楽園国家設立のため、強制徴兵されていく人々。
これらの所業を見る限り、イメージするような独裁者像が意志をもって動いているような敵だ。

しかしながらファークライシリーズにおいてヴィランとは、3以降白黒で分けられないキャラが多い。
本作におけるアントンも、打ち出される政策や結果こそ狂気であれど、その背景は事前情報や冒頭を見る限り中々に複雑だ。
アントンは父から指導者を引継ぎ、ヤーラを往年の栄光へと回帰させようとしている。
彼の理想とするヤーラとは、外国からの政治的圧力に屈しず、自国内の資源を使って国際社会と渡り合える国にすることだ。

それは彼が肝煎りの政策としている「タバコ産業」に見て取れる。
アントンは外国からの政治的圧力を抑えながらも、バイオ企業を誘致し(おそらく海外の)ヤーラ産タバコを用いてガン治療薬を作成しようとしている。
ガン治療薬が完成した暁には、ヤーラは国際社会の中でもホットな国になる。
それは独裁国家にとって、国際社会が顧客になることを意味すると同時に、国際社会から見てもヤーラは喉から手が出るほど欲しいものになる。
大国においては、殺してでも奪い取りたい。言うことを聞かせたい存在になる。だからこそ、強力な独裁君主によって国としての存在を守る。
そういった思考が、アントンの根底にあるように見える。

やはり本作のヴィランも中々に白黒つけづらいものである。
国際社会にとって、ガン治療薬を作り出せる人権無視の独裁国家というものは、批判に晒しながらも受け入れざるを得ない。必要悪のようなものだろう。
しかもそれがカリブ海の島国とあれば、裏庭として外交をするアメリカもかなり苦いものなのではないだろうか。

実際にアントンの対外圧力に対する手の打ち方は徹底的だ。なぜならばこの国、普通に軍事基地に劣化ウランが保管されている。
劣化ウランが存在するということは、劣化ウランの兵器転用といった話に留まらず、濃縮ウランも存在する可能性が非常に高い。

濃縮ウランを何に使うか、まぁ色々と想像が出来るが、平和的なものであれば発電所利用。最悪核兵器だろう。
正直な話、劣化ウラン単体でも中性子吸収させて高速増殖炉に転用出来たりするという話も聞くし、色々とヤバいものを抱えているのは間違いない。

カリブ海にそんな独裁国家があるアメリカとか、ホワイトハウスやペンタゴンの腸が煮えくり返りそうだが。

強力な外交カードを持っているアントンの独裁国家だが、これらのカードを見るにゲリラと共通する価値観を持っているように感じる。
それが「アメリカ批判」として表層に出ている「アンチ大国」のスタンスだ。

▼ヤーラに渦巻く革命と支配の根源

主人公はヤーラから亡命したがっている。船でメキシコに渡り、その後アメリカへ亡命する予定だったようだ。
ゲリラに協力する理由も、あくまでアメリカへ亡命するためのボート目的だった。

しかし協力するゲリラは口々にアメリカ批判を行う。
やれ、アメリカンドリームはアメリカ人の物だとか、アメリカでヤーラ人が歓迎されるか、だのと言いたい放題である。
このゲリラ、珍しく大国嫌いなのである。
カリブ海におけるゲリラ、例に挙げるとすればキューバの7月26日運動と、それに連なるキューバ革命の例を見ても、
そのバックアップにはアメリカが存在していた。

強力な独裁政権を打倒するには、自分たちだけで、とは言っていられる余裕がない。それこそ大国の支援が必要になることがほとんどである。

一方でヤーラのゲリラ、リベルタードはバックに国家が付いている様子が見受けられない。
純粋なヤーラ国民によるゲリラのようだ。
そんな彼らが口々に「アメリカ批判」をするあたり、他国の干渉を寄せ付けず革命を成功させたいと考えている節がある。

さらにリベルタードのリーダーは将来のビジョンを主人公に話す。
「普通選挙をしても、大統領にはならない。次の大統領は絶対暗殺されるから。戦いはしばらく続くと思う。人生の全てを戦いに捧げる覚悟がある。」
革命後のヤーラを見据えて行動している分、ホントにシリーズの味方勢力内でも一番まともに見える。
言わんとすることはかなり現実的だ。同じくカリブ海に面するニカラグア、サンディニスタによる革命を見ても、
革命政権樹立後、アメリカ側の干渉があって二次革命が続いたりとゴタゴタが続いた。

ようは、革命を成し遂げても外的圧力があったり、グダることが見え見えだから、いつでも革命したるぞ、というスタンスである。
それほどまでにこのリベルタードは、ヤーラをヤーラ国民の手で独裁から解放する。というビジョンがある。
だからこそ、アメリカ批判や外国批判につながっている。

このビジョンは、やり方が違えどアントンも同じスタンスにいることが分かるだろうか。
アントンは独裁国家を運営することでヤーラを自立させ、外的圧力をはねのける楽園国家にしようとしている。
リベルタードは、独裁国家をヤーラ国民の手で排斥することで、ヤーラを外的圧力に屈しない真の楽園国家にしようとしている。

それぞれのやり方が違う。という点が一つ。
もっと言うならば、支援する国民層の違いがあるだけで、彼らが思う国家、ヤーラが国際社会であるべき姿は同じものである。

本作の対立構造は、武力に覆い隠された国民同士による格差対立。とても政治的な要素が絡んだものだと考えられる。
恐らくヤーラが自由選挙制であれば、政党同士の争いになっていただろう構造なのだ。

アントンの票田は富裕・経営階級のもの、リベルタードの票田は一次産業・労働者階級のもの。
ヤーラで起きている内乱とは
"ヤーラを愛する人々が"
"外圧から独立するためにもがき続けた結果"
"生まれてしまった格差"

それこそが、今ヤーラを混乱に陥れている武力闘争の原因なのかもしれない。

▼蘇りしファークライ

本作は前項までに書いてきた要素である。
"ヤーラという舞台設定の面白さ"
"ゲリラというキーワードをもとに組み立てられたシステムの絶妙さ"
"主人公を取り巻く勢力の奥深さ"

この3つがメインの面白さとなりつつも、自作武器や必殺技的な立ち位置のあるバックパック。
物語某所からパラシュートやグラップリングフックを取り入れたストレスフリーな移動。
車だけではなく、馬を移動手段に取り入れたアクセント。
などなど、シリーズ経験者でも、初めての方でもプレイしやすく、触っただけで面白さが感じられる作りになっている。
一方で、軍事基地の開放など、やることは同じだったり、既存シリーズのシステムを大幅に変えたという革新作では無い。

だが、私にとっては、ファークライにそこまで革新的要素は求めてないのが正直なところだ。

そもそもファークライの面白さ、というのは演出やストーリーテリング、舞台設定である。
ゲームシステムは正直なところ3の前後で完成されているため、FARCRYがFARCRYたるテンプレートを変える必要性は感じない。

そういった意味で、本作「FARCRY6」は蘇ったファークライともいえる作品だ。
拠点を開放し、ゲリラたちの勢力を伸ばす。支配勢力の牙城を崩すファークライらしさはそのままに、
ヤーラという舞台、ゲリラというテーマは思っている以上に魅力的だ。

エンディングを迎えていないため、アントンとリベルタードがどのような物語を描くか、ストーリーに関するあれこれは置いておく。
しかし、ファーストインプレッションの段階では、この世界で繰り広げられるであろうストーリーをもっと体験したいと思わせてくれる良作である。

シリーズから離れていたからも、初めてプレイする方も、
ファークライがまだまだ遊べると思わせる「FARCRY6」。体験しておくに損はない作品である。

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