子育ての為に車を買った。
昨年11月、出産予定日の元旦を控え私たち夫婦は車を買うことにした。
私たちが住んでいるのは、都心へ電車で一本の郊外である。およそ病院は徒歩圏内にあり、電話をかければタクシーだって15分後くらいにやって来る。つまり大人が普通に暮らす分には、車は必ずしも要るわけではない。事実、私たちは車を持っていなくてもこの1年の間平気で暮らしていた。
原付を買い出しに少し使うことがあるくらいで、これも自転車に置き換えたところでさほど支障はない。たまに車に乗って旅行に行くといってもレンタカーで足りる。
にもかかわらず、車を買うことにしたのである。
金銭的な面だけ言えば、車を保有すると生じる保険料や燃料費、メンテナンス代、車検代、駐車料金等、そして車体本体の代金を考慮すれば、タクシーやレンタカーを頻繁に使った方が年間数万円は浮く計算になる。
したがって、当初妻は車を買うことに反対していた。私には既に1千万円以上の負債があり、普段からスーパーでは割引商品しか買わないし、頭髪は千円カット、仕事着のスーツだってユニクロの5千円のものを何年にも亘り着続けている有り様で、決して裕福な生活を送っている訳ではない。
それでも車を買うことにしたのである。私は、私たち夫婦には、これから絶対に車が必要になるという確信があった。そして結論から言えば、それは当たっていた。
ひとまず、車体選びからである。
Twitterでフォロワーの方に募り、色々な車種を提案して貰った。軽自動車、SUV、ハッチバック、トゥクトゥクみたいな特殊車両……。
想定される用途に照らし、延々と比較衡量した結果、いくつかの条件を絞りだした。
①普通車であること。
まず以て今回の自動車購入は、新生児を育てる足としての利用を想定している。したがって、首の座らない新生児が乗っている状態で信号待ちをしているときにオカマを掘られた日には、我が子は死ぬしかない。
「軽自動車 事故」で検索すればいかに軽自動車が危ないかということは自ずと解ろうものであり、これはコスパの勘定に入れてはいけないと判断し、購入対象は普通車に限定することにした。
②セダンで、なるべく車体が小さいこと。
ノーズが長く後部にトランクがついているという構造上、セダンは前後の衝撃に強い。オカマを掘られたときに耐久力がないコンパクトカーやハッチバックは軽自動車と同様と判断し、選外とした。
SUVのように堅牢な造りであれば構わないが、後述のように車両が大きいと燃費が嵩んでしまうほか、取り回しの観点から(安全性を害さない程度に)車体が小型である方がベターと考え、選外とした。
③中古車で、走行距離5万km以下、年式2012年以降の国産車であること。
新車を買う余裕はないし、そこに拘りはないので中古車を選んだ。
最近の車は何万km走ってもヘタらないという言説はよく見たが、さりとて長く付き合っていく車なので妥当な水準として10年以内に製造された走行距離5万km以下の車両に絞った。また車検やメンテナンスのレスポンスや費用の観点から、外車より国産車の方がベターと考えた。
④走破性を害さない程度に低排気量で、室内空間が広いこと。
維持費と燃費は、排気量の大きさに従って高くなる。速さを競う訳でも頻繁に山道を走る訳でもなく、町乗りメインなので排気量は低いに越したことは無い(その点でいえば本来ディーゼル車がベターだが、中古市場での選択肢が余りに狭くなってしまうため今回条件としなかった)。
しかしながら、排気量や燃費のみに重きを置くと長距離走行時の乗り心地を犠牲にすることになる。今後家族で車に乗って旅行やピクニック等に出掛けることを考慮すると、高速域で震えが来るような車体は避けなければいけない。私自身はバイクで日本一周をしてしまうような人間なので全く気にならないが、単に乗っているだけの妻子にとって車酔いを招来するような車種だと足が遠のくことになりかねない。
またチャイルドシートやベビーカー等、子育てをするなら大量の荷物を積載することが想定されるため、室内空間も一定程度広い必要がある。
⑤予算:100万円。
と、以上のような条件で絞り、悩みに悩んで選んだのが日産N17ラティオ後期型、AT1,200ccである。
なお私の買った車体は走行距離6千km、2015年式、価格は何と60万円。これは格安の部類である。
現在、中東や中国、タイ等ではそれなりに販売台数があるものの、日本では余りにも不人気で販売停止になったという悪名高き車両である。この不人気さが安さの大きな理由である。
国内でセダン車の人気が凋落していたこと、車のデザインがダサいと思われたこと、セダンユーザは高級志向が多いのに内装が商用車くらい簡素でラグジュアリーさがないことが不人気の理由だと言われているが、私はいずれも気にならなかった。
国内市場には合致していなかったかもしれないが、前述の条件は全て満たしている。車体の状態を内覧して、即決で購入を決めた。
そして、車のある生活が始まった。
元旦が予定日だったのに、翌月には早くも妻が産気づき、産院への送り迎えに車を出したことは勿論である。そして無事に子どもも生まれ、ベビーカーやチャイルドシートを後部座席に乗せて日々走っているのだが、全くもって「買ってよかった~」の連続である。
産褥期の妻は基本的には外に出ない方が良いとされているが、それでも望んで外に出たがったりするし、本人がやらなければいけないような公的な手続きは沢山ある。産後の傷ついた身体で駅まで歩くのは大事業だが、車があれば送り迎えできる。
気晴らしにスーパーに出掛けたり、ベビザラスで実際に手にとって乳幼児のアイテムを見ることができたり、何か嵩張る物を買うときも荷物の量に気をつかう必要が無い。
何より、「今日はどこに行ってみようか」という気持ちになるのが良い。
近くの公園、ちょっと遠くの植物園や銭湯、新しく開店したドラッグストア。そういう、「まあ別に行かなくても良いけど、せっかくなら」という場所へ軽い気持ちで積極的に足を運ぶことができる。
確かにカーシェアやレンタカー、タクシーでも機能自体は代替できるし、年間の費用で換算すれば明らかに自動車を所有した方が高いのである。
しかしキモは、「料金を前払いしている」ということにある。私たち夫婦は車を所有することで、料金を前払いしているのである。常に「使わなきゃ損だな」という感覚がある。
「どうせだったら」といって出かけ、「何か、思ってたより良かったね」といって帰って来る。日々ささやかだが新しい思い出が蓄積されていくことに、明確な生活の質の向上を感じる。
これがタクシーやレンタカーだったらそうはいかない。例え最終的に黒字になる見込みだと判っていても、「こんなことで5千円も払って車出すの? 今回はやめとこうよ」となるに決まっているのである。しかし逸したタイミングが還って来ることは二度とない。
子どもが急病したとき、タクシーに連絡なんてせずともいつものように駐車場へ行き、いつものように出かければいいのだという安心感もある。他人の車ではなく自分の車、自分の空間だから子どもが室内を多少汚したところで平気だ。車体が傷つくのが恐ろしいばかりに狭い道に入れないということもない(勿論傷つくのは嫌だが)。
フットワークの軽さは何者にも勝る。この「どうせだったら」という感覚を買う為だけに、年間数万円を多めに出すに足りる十分な価値があると感じている。
「子どもが出来たら車は買うもの」という思考回路をある種のステレオタイプのように言う人がいるけれど、子育てするのに車を持つか持たないかという議論は結局のところ「どういう人生を送りたいか?」という話に集約されると思う。
結婚をするかどうか、子どもを持つかどうかということにコスパなんて言葉を持ち出すことが無粋であるように、そういう人生を送りたいなら最低限出さなければいけないお金というのが厳然としてある。
私は、「子どもと一緒に色んな所へ行って、色んな思い出を作る」という人生を送ることを選んだ。振れない袖なら仕方がない。しかし払うことが出来るのなら、万難排して買うの一択だ。その為の支出だから、コスパも何も、そもそも語る必要が無い。
2015年に製造された私たちの車は、未だ6千kmしか走っていない。前のオーナーがこの車を必要としていなくて、長いこと放っておかれていたということだ。この車の評判はネットで散々叩かれているし、実際この60万円という破格の値付けをしなければいけないくらい買い手も付かなかったのだろう。
しかし私たちにとってN17ラティオは完璧な選択だった。国内では珍しい小型セダンで、駐車場も細い路地も選ばず通り抜けられる。車体が軽いから加速も良い。室内もトランクも広々していてベビーカーもチャイルドシートも余裕で積める。適材適所とはこのことだろうと思う。
「お前はうちに拾われて良かったねぇ」という気持ちがある。そういう「私たちだけが見出した価値」みたいなものを、この車できっとこれからも沢山見つけていくんだろうと思う。それが楽しみで仕方ない。
車は買っておくものだ。