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初めて買ったCDについて

この曲を聴いたときの衝撃を今でも覚えている。

当時、中学1年生だったオレはTVKのsakusakuという音楽番組にハマっていた。

大抵はMCのジゴロウとあかぎあいの掛け合いが目当てだったけれど、朝の30分番組の間に、「そのときTVKがプッシュしているアーティストの曲」をかけるのだ。実に4曲も!

当時TVKのプッシュする音楽のチョイスは絶妙だった。

「そのとき、オレが求めている詞とメロディ」をくれた。それは勿論、全曲が全曲ってわけじゃなかったけれど。

邦楽だけじゃなくてたまに洋楽もかかったし、歌だけじゃなくて何とインストゥルメンタルもかかったのだ。カバー範囲もメジャーからポストロックまで多様で、キー局のしょっぱい音楽番組なんて観ている場合じゃなかった。

こんなにエッジの効いた提案をしてくれるヨコハマのローカルテレビというのは、当時オレにとっては見果てぬ最先端のアーバンカルチャーを体現していた。

ある朝、いつものように朝の準備をしながらsakusakuを観ていると、いつものように新曲のPVが流れ、彼女の声を聴いた。

* 微睡みの中で手すりを探して それでも生き疲れ果てて だけど同じ場所にはいられない

天空に突き抜けていくような美声の中、僅かばかり混じる嗄声の訴える切実さ、その素晴らしさで稲妻に打たれた。PVに映る美少女がスウェーデンの草原を歩き、口笛を吹くように歌い去っていく後ろ姿に目が釘付けになり、「行かないでくれ、もっと聴かせてくれ!」と思った。

その日の内に、近所の入ったことも無いCDショップに駆けて行って、ペラペラのEP用プラケースに入ったCDを購入した。それが初めて買ったCDだ。

当時、英語の成績が2だったオレには歌詞の意味はよくわからなかった。けれど、彼女が訴えようとしている気持ちはとにかく本当だと思った。

英語詞の多い歌手だった。辞書を片手に、夢中になって一つ一つ意味を紐解いていった。

 * So let the new day come, I let the change come into my life 

彼女は「さあ、次の世界への扉を一緒に開こう!」だなんて押し付けて来てるわけじゃない。寧ろ、「助けを求めている」かの如き悲壮感があった。

色んな事に傷付いて、何が正しいかだなんてわからなくて、それでもただプリミティブな感情に突き動かされるまま歌っている。伝えたいものがあるんじゃない、ただ自分を見てくれ、私はここにいるんだ。

彼女がいてオレがいるんじゃない。彼女が歌うとき、オレは彼女になっていた。そして彼女の激情が流れ込んで来る。

聴く度にゾッとするくらい脳に麻薬が出てくるようだった。曲が終わっても彼女は、オレにオレの全てを還してはくれなかった。オレの何処かが彼女に置き換わっている。

ああ、これが「心を奪われる」ということだ。これこそ表現なんだと思った。

これだけの歌唱力の持ち主で、これだけの美貌の持ち主だったら、きっと売れるだろうと思った。彼女がUKロックに影響を受けてるっぽいことが判ったから洋楽を聴くようになったし、英語の勉強もするようになった。オレも彼女のように、悲壮に傷ついても飛びたとうとする鳥になりたいと思った。

けれどやっとMステに出演した彼女は借りてきた猫のようになっていて、結局そんなに売れなかった。

今日、久しぶりにこの曲を聴いた。

時代が流れトレンドが変わり、オレ自身も20年近い経験をそれはそれなりに積んで生きてきたわけだけど、今でも色褪せない衝迫力を感じた。

みんなもそう感じるのかどうかは分からない。

多分、オレと彼女の心の形が、根本的に似ているのではないかと思う。

彼女のように美しくはないけれど、彼女が歌うとき、オレは彼女になっていた。そして未だに心を奪ったまま、還してくれない。



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