手段の目的化より危険な「目的の手段化」

「手段の目的化」は人間が陥りがちな悪しき思考回路とされ、先輩や上司からお叱りを受けたビジネスパーソンも多いことでしょう。本記事では、これと同じがそれ以上に「目的の手段化」も不幸を招くという話をしたいと思います。この取り違えは、どちらかというとビジネスよりもプライベートで多く発生し、人生設計に直結するほど大きな失敗を生むこともあります。

手段の目的化

「手段の目的化」とは、手段が本来の目的を超えて、目的そのものと見なされるようになる思考パターンです。例えば、新たなテクノロジーが勃興すると、それを使うこと自体が目的となってしまい、ビジネス上の目的がおろそかにされてしまいます。2010年代後半に人工知能(AI)のビジネス活用ムーブメントが起きましたが、AIを使うこと自体が目的化されて実りある成果に繋がらなかったケースが多くありました。手段の目的化については既存記事も多いですし、本記事の主題ではありませんのでこのくらいにしておきましょう。

目的の手段化

目的の手段化とは、自分が達成したいと感じる目的があるにも関わらず、手段と捉えてしまう現象です。

例えば結婚です。あなたは結婚を希望しているとします。ところが、現代は誰しもが結婚する時代ではないですから、外野から「なぜあなたは結婚なんてしたいのか?結婚なんていいことないよ。養う人が増えてコスパが悪い」なんて声が聞こえてきます。

そうしてあなたは、「結婚以外にもっと幸せになる手段はないものか?幸せになるにしても、もっと費用対効果がいい方法はないのか?」と考え始めます。こうして、目的だったはずの結婚が手段に置き換わってしまったのです。

目的が手段化することの弊害

上記の例では、本来目的だったはずの「結婚」が手段になり、代わりに「幸せになること」が目的になってしまいました。これは大変です。「幸せになること」は誰しも共感する目的ですが、抽象的過ぎて達成方法がわかりません。努力の方向性すらわからず苦しみます。その結果、本来の目的だった結婚にも全力を投入できなくなり、何も成し遂げられない人生で終わってしまいます。

目的が手段化する原因

一番の理由は「理由が付けられない事態を恐れる」心理でしょう。我々は幼い頃から、何かをやりたいこと思うたびに、他人からその理由を聞かれてきました。自分に自信がない子ほど、人に説明できる理由もないことをやりたがってはいけないと思ってしまいます。
これが良くないんです。しかも、本当にやりたいことほど往々にして理由を言語化できないですから。

例えば、「なんでラーメン食べたいんですか?」と聞かれてうまく説明できる人っていますか?あんな塩っぱくて栄養バランスが悪いのになぜ?って言われると全くその通りであり、ラーメンを食べたい気持ちを正当化する理由をひねり出すのは困難です。でも実際はラーメンは殆どの日本人が好きなので、理由不足を恐れず、食べたがることができるわけです。

理由がないことでも目的にしていい。むしろ、理由なくやりたいことが真の目的である。逆に、理由を聞かれてスラスラ答えられるような目的は真の目的ではない。
この点に気づくことで、人生設計と努力の方向性を見失わずに済むのではと思い記事にしてみました。おしまい。

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