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一生の覚悟といえば

Excelで統計学を教える研修講師の、米谷 学です。
かならサボっていましたが、そういえば「一生のって付くものって!?」と考えてみました。

チューリップのコピーバンドのメンバーというわけで、チューリップは「一生の音楽」。

研修講師の一生のテーマならば、拙著

この拙著が不要になるほど浸透すること。

……と考えていましたが、そういえば眼科でいうと、網膜剥離や硝子体出血、白内障の治療ということで、一生付き合っていかなければならない面倒なものを 自分の身体には持っているのだということの覚悟は要るんだなあ、と思い起こすのでした。


まぁいろいろとあったのですが、2009年ごろから視界は曇り、2010年に入院治療した白内障(両眼)。
両眼治療のため1週間入院をし、この治療のお陰で視界は良好に。

そして2014年頃。まず右眼に後発白内障。
後にまた視界は白く濁ることがあると医師から 脅かされ 教えていただいていたので、「ああ、来たか」と。

そしてレーザー治療でパチパチっと。
すると機械から頭を離した直後から視界スッキリ!!

このわたくしの性格のため、「おー!スッキリ」とか大騒ぎしたけど、それくらい快適に。


また重たい治療へ

これで快適だったんですが、2016年3月、外出中に急に左眼の視界が急変。
パンと破裂した音がしたかのように急激な砂嵐の視界。
慌てて総合病院に電話をし、翌日検査をしたところ、硝子体(しょうしたい)出血が起きており、網膜剥離によるものという疑い。

当時はオンライン化が充分ではなかったため、カルテは地方に保管されており、「まずは仮のカルテで診察します。取り寄せるのに数日かかります」の、その数日が経ち、改めて検査をしたところ、入院治療が必要と告げられました。

病室の空き状況から、3週間ほど待って入院。
それまで良く見えない中、初めての「DAF(当時「ドランク・アカデミー・フェス」)」観覧など、とりあえずは毎日を過ごして、ある方の商業出版の協力の依頼もいただいていたころだったので、原稿も持ち病室へ。

特に内科の入院ではなかったので、飲食の制限は無し。
「何を間食しようかなあ」とか、「テレビ付きの部屋じゃなくても良かったんだよなあ。どうせ眼科で入院するんだから。差額がかなり付くじゃないかー」などとのんきに考えていた部分もありました。

眼内にガスを充填して手術後はうつ伏せを維持するように指示を受ける中、「雨も困らない、冷暖房完備、食事も付いて、寝ていれば済む過ごし方。何ていい生活なんだ!」と考えたのもほんの一瞬で、病院食に飽きてきて、結局仕事を、作業をやりたい気持ちは増し、すぐに退院が待ち遠しくなりました。


そして再び左眼の視界が悪く

2017年3月にツタチャンを始めた直後くらいから、左眼の後発白内障。
左眼の視界が徐々に曇り、リモートではなく現場から対談相手の方と共に配信していた当時「目ぇ悪いの?」と驚かれるほど、画面に近づいて観ていたものでした。

2017年の通院時には既に医者に告げていたものの、「(前年・2016年の)治療の後なので、様子見」と告げられていました。

それから左眼の後発白内障の治療には消極的になり、そのまま約6年が経過しました。

今ではすっかり視界良好

意を決して、(今年・2023年)8月下旬にいよいよレーザー治療の相談をしよう!と、2010年の白内障手術、2016年の網膜剥離による硝子体出血をした総合病院へ朝イチに予約の電話を試みたところ……

前回の受診は5年以上前ですね。
まず地元の眼科から
紹介状をお持ちの上
ご予約ください。

ということで、その日の午前中のうちに、これまで眼科では持っていなかった地元のかかりつけ医にしようと決めた眼科に飛び込んで行ったのです。
そして診察を受け、紹介状を書いていただき、「たぶんレーザー治療はできるでしょう」とのことで、病院を出た後すぐに、総合病院に予約の電話をしたのでした。
翌日の午前中の予約が取れました。

そして日が変わり、朝9:30に病院に着きました。
検査・診察を終え、「手術になるので同意書の記入もお願いします」ということで、いよいよレーザー治療に。

目にゴリゴリとレンズをはめられ、治療はパチッパチッと音がする度に、何か濁った液体が下方向に流れているような感じがする中、ワクワクしてきました。

そして「終わりました」という声と共に機械から目を離したところ、壁に貼ってあったカレンダーなどの文字のハッキリと見えるようになり、「お!おー!これは見える!」と一人で大騒ぎしていたのでした。

その日から感パソコンの作業やリモートの打ち合わせ、いろいろな人達と会ったりもしてきました。
久しぶりに見えるという世界はこれだった!と思い出しながら、しばらく感動の日々が続くでしょう。
スマホもすっかり見やすくなりました。

冒頭の画像は、視界の回復を自分で祝うため、治療の直後に御茶ノ水で食べた、すた丼の「ガリバタすた丼」のミニ。

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