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好きな人を傷つけた。

好きな人に、依存していた。

考え方や行動、行く場所、いろんなことがその人に寄っていった。

一緒に話すのも、飲むのも、どこかに行くのも、すごく楽しかった。

付き合うことはできなかった。

別にそれでよかった。

その人が笑っているだけで幸せだった。

いつからか、自分のことが分からなくなった。

その人のことで頭がいっぱいだった。

現実的な生活を考えると、もっと自分のことに集中する必要があった。

その人はとても魅力的な人で、人を惹き付ける力があるから、それで生きられるかもしれないけれど、僕にはその生き方は無理だと思った。

このまま後ろについていっても僕の人生には限界が来ると悟った。

だから、距離を置こうと思った。

距離を置いて、自分の人生にまず集中しようと。

その後でもし、またご縁があれば、引き寄せられることもあるだろうと。


といいながら、すぐまた出会ってしまった。

その人と仲の良い異性の友達が、いつもの通り、その人にすり寄っていく。

距離を取ろうと思っていたのに、それを見ると感情が高ぶった。

すごく嫌だった。

嫉妬や恥ずかしさ、怒り、気持ち悪さ、嫌な気持ち、いろんな思いが入り混じって、どうしようもできなくなって、その人の顔を見ることをやめた。

もう何も考えたくなかったから、コミュニケーションを取ることをやめた。

苦しかった。泣いた。


帰ってきて、翌日。またその人に会った。

大体同じようなコミュニティにいたから、会ってしまう。

無視した。顔を見ようとしなかった。存在しないものとして振る舞った。

向こうもそのように振る舞ってきた。

それでいいと思った。

もう嫌われようと決意した。

嫌われて、その人の中で自分がいなかったことになればいいと思った。


それから数日は本当に辛かった。

翌日にはSNSをブロックされ、脱力感に苛まれた。

本当に取り返しのつかないことをしたのだなと。


ちゃんと面と向かって謝ろうかと思った。

謝罪の文面もしたためた。

けれど最後の一文が思いつかなかった。

大体2パターン考えたが、どちらもしっくりこなかった。

「不快な思いをさせてごめんなさい。よければもう一度仲良くしてください。」

「こんなことをしてしまった以上、謝っても許してもらえるとは思っていないけれど、せめてもの贖罪の気持ちでこの文章を書きました。ここまで読んでくれてありがとう。」

一つ目は、自分のことで不快な思いをするほど、相手の意識の中に自分が存在しているという前提を含んでいる思い上がりと、相手の優しさに甘えてもう一度仲良くしてもらおうなどという浅ましさに溢れた文章で、これはあり得ないと思った。

二つ目は、相手に判断を委ねていて、結局自分から意思表示をしない逃げの文章で、これも最悪だと思った。


結局、謝ることすら許されないくらいのことをしたのだと、思った。

自分で始めた以上、どれだけ辛いと思っても貫き通すほかないと。


そう口では言いながら、いつか謝れる時が来たらいいなと淡い期待を抱いている僕を、許してほしい。


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