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マインドフルネス

先日、マインドフルネストレーナー養成講座へ参加。

1月と6月に1日ずつあって、その間は毎日のマインドフルネス瞑想の実践と、ラーニンググループごとで週一の実践報告がある。6月の受講以降には、人に伝える場面の実践も行うことになる。

最近、こうした学びの場面で感じることがある。それは、やっぱり他者がいて継続性が担保できるということ。一人では継続には限界がある。だから、仕組みとして、一人ではなく他者と共に行っていくような設計がなされている。

さて、なぜ、マインドフルネスかというところにふれていきたい。

ここ数年、ビジネスの文脈で「マインドフルネス」が流行ってきている。まだまだそこまで裾野は広くなっていないが。

契機になったのはGoogleだ。

Googleが社内プログラムとして行われていたマインドフルネスのプログラムである「search inside yourself」(確かそうだった気がする)。こうして、名前がつき、Googleでやっているってよ!となって、どんどんと広がっていった。

Yahoo!でも管理職は全員行っていたり、少しずつ有名企業に導入されて広がっていったという印象だ。

僕自身は詳しくないけど、研修の企画営業の仕事をしていたときに講座名として見かけたり、研修会社から売り込みがあったりして、少しずつ知るようになっていった。

マインドフルネスとは、
今この瞬間に意識を向けて、今の状態をあるがままに自覚し、思考や判断に囚われずにいるということなのかな。

一言でいうと【頭も心も体も今ここにいる】。

という感じかな。

僕自身は人の美しさを伝え、人の可能性を解放することが使命。ずーっといい状態でいられるとは限らない。むしろ、余白はなく、せわしない日々が多い。余白があれば、変に揺るがずにすむ。ふりまわされないですむ。

例えば、バスケのフリースローは練習では高確率でいれられても、本番でプレッシャーのかかるときには確率が大きく下がってしまったりすることもある。もはや、これはテクニックの問題ではなく、その場に臨むときの状態の問題だ。

それだけ自分自身の状態がパフォーマンスに影響を与えるということだ。どれだけ、頭も心も体もその場にいられるようにできるか。つまり、マインドフルネスはパフォーマンスにも影響を高めることにも繋がるものだ。

そういう側面もあるが、個人的に思ったのは、マインドフルでいるということは対象物を大事にするということだなということ。

マインドフルであること、つまり、今ここにいるということ。

マインドフルに食べることは、ものすごく味わって丁寧に食べるということ。
マインドフルに見るということは、対象物を丁寧に見るということ。
マインドフルに飲むということは、ものすごく味わって丁寧に飲むということ。

とても大事に、とても丁寧にと意識を向けていくということだと実感している。つまり、他者に対しても、社会に対しても、世界に対しても、マインドフルにいられたら、すべてのものを大事にすることにつながる。そのきっかけとして、まずは自分を大事にすることから。

多くの人に広がっていったら、世界は優しく、あたたかくなるのかもしれない。そんな可能性を感じた。

思えば、マインドフルネスは仏教から来ている。日本には元々なじみのあるものだ。仏教の八正道からきている。その中の正念がまさにマインドフルネスだ。

ちかみに、【正念】という漢字を分解してみると、一、止、今、心とできる。つまり、一旦止まって今に心を向けるということ。これがまさにマインドフルネスだ。

それはさておき、仏教からきているわけだし、僕らには元々なじみがあったもの。いつしか、忘れてしまい、離れていってしまったものなのかもしれない。

生活の一部として、こうした考えが入っていって、人生が豊かなものになったらいいなと思って、マインドフルネスをこれから学んでいきたい。

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