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お弁当のにおい

「お弁当にはお弁当特有のにおいがあるし、おかあさんが食べなくなる気持ちもわからんでもない」

きっと、お母さんではなくてお義母さんなんだろうな。
帰り道に聞いた中年夫婦の会話が頭から離れない。いつもはすぐ捨てる弁当配達のチラシが、なんだか今日リアルに感じて捨てられなかった。実家の母は今日、なにを食べているのだろうか。

今まで人事だったことが、なにかがきっかけで急にぐっと身近に感じることがある。

たとえば、お金持ちが前よりも身近に感じることとか。
snsを通してお金持ちの私生活をつまめるようになったおかげで、自分の私生活にも重ねてしまっているのかもしれない。お金持ちの食器棚に簡単にアクセスできるようになったし、お弁当の中身だってなんだってわかる。わたしにもそのゆとりのある生活ができるのではないか、と可能性を身近に感じるのはあまりにも無茶なことなのだろうか。

と、また難しく思い込んでしまっているけれど、そもそもゆとりのある生活って?

わたしにとってのゆとりのある生活、の象徴になるのは一杯のコーヒーを飲むことができることなんだと思う。1日のなかで30分でも音楽を吸い込む時間を持てることだとか、風で季節を感じることとか!よくよく考えたら、そんなにお金がない今、明日からでもできることも含まれているみたいだ。
一杯のコーヒーを飲むゆとりを持つ権利は誰にだって、平等。そう信じたい。その程度のゆとりがすきだ。

文章力向上のための勉強道具に使わせていただきます。よろしくお願いいたします。