見出し画像

オンラインサロン「水曜英語」クリスマスプログラムを終えて

 誰もが無料で英語でおしゃべりできるサロンみたいなのをできないか、と思ってやり始めた「水曜英語」、この12月で5年5ヶ月を終えました。僕は親友の西山哲郎くんと「暁の会ネオ」という英語の勉強や教育研究の会を共同で主催していまして、水曜英語はその活動の一貫で続けているものです。

 インターネットの普及発達のおかげで、自宅にいながら世界中の様々な方々と交流が持てる事は本当に素晴らしい事でして、僕のやってるサロンも、日本全国、北は青森から南は沖縄まで、またグローバルに見ますと、オーストラリア、アメリカ、台湾、中国、ベトナム、ミャンマー、イギリス、などからも参加者がお見えになります。老若男女、年齢、性別、ご職業も様々、社会的ステータスもバラバラです。

 今年は変則で、通常ですと年末はクリスマスの週がラスト、2週間お休みをして新年は1月2週目から、というのがプログラムの流れなのですが、今年は今週の水曜日、僕が用事があったため、ずらして木曜日に開催したこと、加えて、前週のプログラムの続きをやろう、という事で、ファシリテーターの方にパート2をやって頂いて、木曜日にラスト、という流れになった次第です。

 このプログラムは通常、ホストは僕が務め、毎回会の司会、英語ですとファシリテーターと申しますが、そのファシリテーターの方は毎週異なる方にお願いをして担当をして頂いています。僕も年に何度かは担当します。
 毎回、そのファシリテーターの方が興味があることや、面白そうなテーマなどを持ってきて頂いて、プレゼンソフトでスライドをご準備頂き、参加者の皆さんにあるテーマに沿ってお題を出していただく仕組みです。参加者の方は、例えて申し上げますと、テレビの参加型トーク番組に出ているような気持ちで参加していただける仕組みになっている、というわけです。

 毎週水曜日の夜になりますと、僕は自宅のパソコンの前に座って、zoomというアプリでオンライン会議室を開き、Facebookで告知を流して参加者の方をお待ちする流れになります。これまで300回近くこれを繰り返してきました。たまに疲れている時なんかは、「ああ、今日、なんかめんどくせえな。」と思ったりすることもあります。それでも一人ポツリと、自宅のパソコンの前で毎週水曜日になると、どなたかがお見えになるかもしれない、と思い、待っているわけです。

 以前、このプログラムで一度だけ、1時間待ってもどなたもお見えにならなかった事があります。正直申し上げて、この時はかなり堪えました。無料でやってるから誰も来ないのか、コンテンツが悪いのか、僕が不躾で不用意だからいけないのか、いろんなことを考えて落ち込みました。そろそろ閉じようかな、と思った矢先に、お一人お見えになりました。「あら、先生、今日やってるんですねー!私一人か。そっか。じゃあ、帰りましょうかね、先生もお忙しいでしょうし。」というような趣旨のことを仰ったと記憶しています。僕はすかさず、「いえ、せっかくですから、やりましょう!」と告げて、二人だけでマンツーマンで英語を話したことを記憶しています。

 僕はこの時に、神様から一つ、教えられたような気がしました。お迎えする、と思って待っていても、どなたもお見えにならなければ会なぞは成立し得ない。俺が運営してやってるのになんで誰も来ねえんだ、という姿勢でいてはいけないんだ、人をお迎えして、初めて人との関わりと繋がりが生まれる。そんな人間の真理を、この出来事を通じて神様から学ばされたんだと思います。僕は自分の傲慢な態度や、横柄な自分の在り方を神様に諌められたような気がしました。学校で教員という仕事をやっていても同じことですね。生徒がいなければ授業などは成立しない。学びたい、教わりたい、という人がいて、教えたいという人がいるから、初めてそこに小さな教育の場が生まれる。その教育の真理を、この出来事を通じて学び直したんだと思います。この出来事がきっかけで、僕はオンラインサロンでの出会いや、人との繋がりを、できるだけ大切にしよう、と思うようになりました。それはビジネス的な意味合いでの気持ちではなく、お会いした方々を大切にしよう、その方々とのふれあいを通じて、僕も一人の参加者として、あるいは友人として、大切な家族として、そして今夜遊びにいらしてくださったお客様として、とりわけ、目の前にいる人は僕にとってかけがえのない人なんだ、と思う気持ちのそれです。今でもこの考え方はずっと続いていますし、これからもサロンが続く限り、僕はこの真理を尊く守り抜こうと思っています。

 サロンを運営していると、様々多様な方がお見えになります。パソコンに詳しくない方、仕組みがよくわからなくて混乱される方、英語が苦手でなかなか話がうまく進まない方、様々です。サロンで大切にしている約束事があって、毎回、会の始まりに僕が皆さんにお願いする事があるんですが、それは、「明らかに自分よりも英語が苦手な方とペアワークなり、グループワークなりでご一緒した際は、ご自身が英語を話すのを少しセーブして頂いて、その方が少しでも英語を話せるようになるように、なんて言いたかったんですか、それはこういう風に言うといいですよ、と教え合ってください。」という事です。すべての方にこれをお願いして徹底できるか、と言えばそれは不可能だと思います。ですが、毎回、これを会の初めに申し上げてお願いするようにしています。どんな方でも、英語を通じてコミュニケーションできる場があればいい、英語力なんて高くても低くてもいい、英語を話すって楽しい、考えたり、思いを馳せたりする時間に浸れると気持ちがいい、そんな場であればいい、と僕は思ってこの場を運営しています。

 英語が得意な人がもっと得意になれるサロンはお金を払えばいくらでもあると思います。僕が作りたいコミュニティはそういうのではなくて、どんな人でも来れる、誰でも気軽にいろんな方と出会える、そこには損得も、上下関係も、学歴や社会的ステータスを見たときの自己満足やあるいは自己卑下すらも存在し得ない、そんな会にしたい、そう思ってやっているんです。英語、というツールは介しますが、誰でも安心して、いろんな方とお付き合いや繋がりができる会ができればいい。元気な人はその元気を分けていただければいいし、元気を失ってある方は元気のお裾分けを貰って帰って頂いて、また元気になっていただければいい。英語を介するのは、日本語が持つ日本文化バリヤを取っ払いたいから。ここには日本人の持つ社会バイアスは必要ありません。誰でも自由に、お互いを尊重し、多様性を受け入れる土壌があればそれでいい、僕はそう思っています。

 上記のような関係上、会の開催途中では様々なトラブルが生じます。ネット回線の中断、パソコン環境の違いから生じる不具合、ファシリテーター(司会)とオーディエンス(参加者)の理解の不一致などです。不具合が生じた時、僕は毎度自分が試されている、と思っています。このトラブルや不自由に対して、お前はどう接するか、と神様から問われている気がするんです。もし不具合が生じた場合、今日はこれで打ち切ります、と僕が告げると、ファシリテーターやオーディエンスはどんなことを感じるだろうか、と僕は思うんです。悲しい気持ち、怒りの感情、不具合や不満足を避けられる喜びのような安堵、様々な感情が渦巻くと思うんです。その時に、「大丈夫、なんとかなるから、心配しないで!」と常に言える自分でいたい、と僕は思います。心配しなくていいよ、大丈夫だよ、みんなでなんとかなるから、乗り越えられるから、って笑顔でいられるコミュニティの方が、誰かが不機嫌になってしまうよりマシだと思うからです。人が安心できる場って、失敗できて、失敗しても待ってもらえるし、叱られないし、明るく笑顔で受け入れてもらえる場だと思うんです。

 不具合が起こってしまったり、トピックが面白くなかったり。毎週色々な形があります。でも、僕はその都度、そこに伴なる人たちとの時間を大切にしたい、と思います。人生はうまく行っている時よりも、うまくいかなくなった時に自分がどのようにそれに向き合うかの方が大きく問われているんだと僕は思っています。だから、毎週、いろんな事がいろんな形で起こる時、その都度神様がニヤッとしながら、さあ、お前、どうするよ、って見てるんだと思うんです。そして、そのようなすべてを含めて、そこにいる人たちとの時間をembraceできる自分でいたい。それこそがこのサロンを毎週続けている由縁なんじゃないか、と僕は信じて、毎週水曜日の夜、デスクの前に座り続けているんだと思います。このサロンで一番学びが深く、一番喜びに満ち溢れる恩沢に浴しているのは間違いなく僕だと思います。有難いことです。

 これまでに出会うことができた多くの皆さんに感謝し、これから出会うかもしれない方々との新しいひとときも楽しみにしつつ、体力と気力が続く限り、できるだけこのサロンを長く続けていこう、と思っています。皆さん、いつもありがとうございます。どうぞお体ご自愛なさって、来年も素敵な笑顔でお会いしましょう。まだ来られたことのない方、ぜひ来年はお運びいただければ、と思います。敷居の低い会です。何卒、鷹揚に、よしなに、一つ、宜しくお願い申しあげます。

 今年もありがとうございました。来年もいろんな企画を考えていこうと思っております。コロナに翻弄され続ける日々が続きますが、みんなで支え合って、冷静さと寛容さを失わずに、労り、愛しみあって共に生きていきましょう。

I wish you a very Merry Christmas!🎄🤶🎅🎁


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?