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人生最後の日を迎える人にどんな声をかけますか?

ある日の朝の申し送り「15号室のCさん、安楽死をされることになりました。」

いつもと変わらないシフトが始まる予定だったのに、こんな申し送りがあって、朝からパニック。

その日ボクは安楽死を選んだ利用者さんに出会いました。

普段はオーストラリアの介護施設で看護師をしているヤマタです。オーストラリアでアシスタントナースになりたい人に向けて情報発信をしています。

正直、どんな言葉をかけたらいいのか、まったく想像がつかない。安楽死はニュースでは聞いていたけど、日本にはない制度。ボクにとってはオーストラリアで働き始めてから初めての経験でした。

この後いつもの薬を渡すのでどうしても話す時間がくる。「どうしよう。何て声かけよう。気まずい」

まず最初に思いついたのは「これまでの人生、お疲れ様です。良い決断をされましたね。」とかかな。でも何か上から目線かな。そんな簡単に言葉で片づけられるものではないだろうし、迷う。

その利用者さんは、みんながイメージするような典型的な外国人。普段はジョークを飛ばして明るい人で「死」というイメージとはかけ離れた人。

、が静かな空間で、穏やかな音楽を流していました。

「Cさんおはようございます。調子はどうですか?」と尋ねると、

彼は笑顔で「ありがとう、安楽死をすることにしたよ。いつもはこの時間はテレビを見てるんだけど、リラックスできる雰囲気を作ってみたんだ。ムード出てきただろ」とニヤリ。

ボクはどのように反応すべきか迷って「何て言ったらいいのかわかりません。今の気持ちはどんな感じですか?」と絞り出す。

彼はしばらく沈黙した後「人生の終わりが近いと感じると、不思議な気持ちだ。これまでの人生を振り返ると家族、友人、色んな経験に感謝してるんだ。いい人生だった。」

「ボクもそう感じれるような人生にしたいです。大切な時間をどう過ごすかが大事ですよね。」と返す。

「ありがとう。普通に話してくれて助かるよ。みんな腫物を扱うように優しくするから気を使うんだ。ご飯も大盛にしてくれてさ、太っちゃうよ。ま、最期ぐらいいいか」とオーストラリアンジョーク?が飛び出す。

これ以上は気まずいから「もし何か話したいことや、感じていることがあれば、いつでも話してください。」と切り上げることにした。

やっぱり何て言っていいのか、気の利いた声をかけられなくて悩みました。そのときにふと「もっと英語を話せたらちょっとはマシな対応ができたかな」と思いつきました。

たぶん完璧な答えは見つからないと思います。でも、その答えを探していくことには価値があると感じました。そのためには、まず英語力を鍛えてネイティブに近づかないと。

なぜならオーストラリアで働いていてもペラペラに話せるわけではないからです。家の建設で例えるなら、ボクの英語力は「骨組みと壁があるぐらいのレベル」

窓ははまっていないし、家具なんて置かれていません。雨が降れば床が濡れるし、お皿をしまっておく戸棚もない状態なんです。つまり日本語なら表現できる微妙なニュアンスが英語ではできないんです。

実際、この状態でも仕事をする上ではそれほど困らないし5年近く働いてきました。

でも今回のような「感情と言葉を直接つなげて表現したい」場面に出会って、言葉が出てこない経験をして、もっと英語ができれば深く考えたり、いい感じの言葉を伝えられたのではないかと思いました。

日本の看護学校では「一緒にいること、時間を共有することに意味がある」と教わりました。確かにそれは大切です。

でも10年以上看護師として働いてきて、こんな貴重な経験をしたとき、もう一歩踏み出して何かできるのではないか、それができなかった理由が英語なんじゃないかなと気付きました。

前から薄々は気づいてはいたんです。自分の英語はまだまだ伸びしろがあると。

だからこそ、英語の勉強にもっと時間を使おうと決心しました。次にいつ同じような場面に出会うかわかりませんが、その時に前回よりも良い関わりができるように、今から準備をしておこうと決心したのです。


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