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僕たちの嘘と真実Documentary of 欅坂46 を観て

前書き

欅坂46は、ドキュメンタリー映えするアイドルグループだと、ずっと思っていた。

欅坂46は、アイドルとしては異色の経歴を持つ。まずデビュー曲では異例の大ヒット。デビュー1年目にして紅白にも出場、一気にスターダムを駆け上がる。"大人への反抗"をテーマとしたアイドルらしからぬ楽曲の数々を世に送り出し、独自の欅坂らしい世界観を確立した。

そのパフォーマンスは"命を削る"と称されたが、一方で文字通りに何度もメンバーが怪我で倒れたことも話題となる。作品づくりやパフォーマンスに拘る姿は異様にも映り、度々週刊誌でスキャンダラスに取り上げられては世間を騒がせた。

そして、今年の初めに絶対的センター平手が、理由も明かさず突如脱退。7月にはグループの改名が発表され、欅坂46は、5年間の濃く短い歴史に幕を閉じる。

正直ファンとしては非常に心臓に悪いグループであったが、良い意味でも悪い意味でもドキュメンタリーの題材としては面白いグループだと思っていた。公開が決まった時は、嬉しい半面どんな内容になっていたとしても覚悟を持って受け止める気でいた。

しかし、実際に観終わったあとは、あまりの重厚感に圧倒され、涙すら出ず言葉を失った。

内容としては週刊誌等で既出の情報ばかり、舞台裏のメンバーの様子も大体がファンなら容易に予測できるものだった。しかし、実際の当時の映像や迫力のあるライブ映像の数々に、欅坂46の歴史の重みが凝縮されていた。

前置きが長くなったが、本作に関して自分なりに感じた想いを纏めたくなり、noteを書いている。


1."孤高の天才"と"凡人"という構図

予告編では「平手は天才」「他のメンバーは平手がいないと何も出来ない」等の部分が強調されていたため、平手礼賛一辺倒のストーリーではないかと危惧していた。
しかし、実際のメインテーマは、むしろ天才平手に振り回されながらも成長していく、"欅坂46メンバーの成長物語"である。

「センターは平手にしかできない」と思い込み、2017全ツで平手休演した時に何も出来なかったメンバー達が、翌年2ndアニラでの初の代理センターライブを経て、2019年全ツでは平手に囚われずそれぞれの持ち味を活かしたパフォーマンスを堂々と披露しライブを成功させる。そして、平手脱退に向き合い、新たなグループに歩み出すメンバーの様子が描かれる。

本作の特徴として、ドキュメンタリー映画の要であるナレーションが一切入らない点。
そして、アイドル映画の定番であるメンバー同士の衝突シーンはほぼない点が挙げられる。

舞台挨拶に登壇した高橋監督が「当初はライブ映画にしたいと思った」と語っていたとおり、本編でのインタビューは最低限に絞られ、ライブ映像を中心に淡々と進んでいく。

『最初はライブだけでドキュメンタリーが作れるんじゃないかと思ったくらいでした。(中略)身近で観ていて、彼女たちは互いに支えあっているグループだなと思いました。映画から見られるそういう部分から、自分なりの真実を見つけていただけたら。』―舞台挨拶より、高橋監督の言葉

ドキュメンタリーでは、映像やコメントの取捨選択で様々な描き方ができるが、本作では敢えて詳細に語らず、受け手に想像させる演出が多かった。

例えば、平手は発煙筒で襲撃された事件を含め、数多くの過激なアンチに苦しみ、声も発せないような時期があった。
このような心閉ざすきっかけと推測される事件を丁寧に描くことで、"悲劇のヒロイン"として描くこともできた。
一方で、平手の不安定さに振り回され苦しむメンバーの映像を多く流すことで、"不遇なメンバー"という構図に描くこともできたであろう。

しかし本作では、視聴者が双方のどちらかに感情移入することを、敢えて避けたように感じる。
平手がMV撮影に来ない、「パフォーマンスができる自信が無いから」という理由でライブに出ないという異常事態をも、淡々と事実のみ流す。それに対するメンバーのリアクションも、必要以上には映さない。

あくまで"作品作り""表現"に固執した平手の異質さを強調し、"孤高の天才平手 vs 凡人のメンバー"という対立構図を一貫させている。

2.フィクションとノンフィクション

しかし、このような対立構図を強調するために、かなり情報を削ぎ落としている印象も受けた。
本作のことをFFが「ノンフィクションから作られたフィクション作品」と表現していたが、まさにその通りだと思った。

もちろん、2時間半という映画の尺にまとめるには、情報の取捨選択は当たり前ではあるが、実際よりかなり関係性がデフォルメ化されている印象を受けた。当たり前だが、現実の人間関係はそんな単純な構造では成り立っていない。

例えば、平手がメンバーと話しているシーンが2017年以降は一切なくなり、完全に孤立しているような印象となる。
しかし、"KEYAKI HOUSE"(黒い羊特典映像)をはじめ他の当時の映像を見ていても、メンバーとコミュニケーションを取っている瞬間はあった。劇中でも、ライブ時や歌番組時には常にメンバーが寄り添っている様が映される。
もちろん精神的孤立が大きかったのは間違いないだろうが、映し方としてはかなり偏りを感じた。

また、卒業メンバーに対してほとんど言及されない。他のメンバーは皆センターをやりたがらず、平手の不安定な状況を受けいれたように描かれていたが、卒業メンバーはそうではなかったのではないだろうか。
例えば今泉は、一時期雑誌等で「センターをやりたい」と発言しており、明らかに他のメンバーと衝突していた様子が伺える時期もあった。本編では描かれなかったメンバー同士の衝突や葛藤の部分が、欅坂46にどのように作用したのか気になった。今回インタビューを受けたのは、結局は"活動し続ける"という選択をしたメンバー達なので、似通った回答が多かった。しかし、卒業メンバーならきっと全く違う回答をしたのではないだろうか。

さらに、"ひらがなけやき"の存在にも全く触れられない。個人的には"陽"のひらがなけやきに対する"陰"の欅坂という対照性がコンセプトとなり、欅坂の方向性が硬直化するきっかけになったと考えている。そして2018年にセンター不在で武道館公演をやることを諦め、ひらがなけやきに渡したことも重要な出来事だと思っている。

平手は本作について、ロキノンのインタビューで「これだけが真実だと思わないで欲しい」と語っていた。あくまで映画というエンタメ作品として、ドキュメンタリーが仕上がっていることには留意しなければならない。

『私もこれまで届けてきたものが嘘で、ここに映っていることが真実というように思われてしまうと悲しいなって思います。』                  ―ROCKIN'ON JAPAN 2020年10月号より

一方で、ストーリーの焦点を絞って簡単な二極化構造にすることで、ライブ映像をふんだんに盛り込み、かつ纏まりのある完成度の高い映像作品に仕上がっていると感じた。

3. "大人"の責任とは

『子どもに対する、大人の責任ってなんでしょうかね』

これは、振付師TAKAHIROに対して高橋監督が発した問いかけである。
「"見守る"ことではないでしょうか?その時だけではなく、点ではなく線で」と答えるTAKAHIROの目線は泳ぐ。そして、サイレントマジョリティー撮影時の映像が無音で数秒流される。とても示唆的で心に響くシーンだった。

本作では、前述した通り"孤高の天才平手 vs 凡人のメンバー"を明確なテーマとして描いている一方、その後ろに確かに存在するはずの運営側の動きが全く描かれない。
表現出来ないことに苦しみ、明らかに壊れ始めた平手をセンターに立たせ続けたのは心の弱いメンバーだけではない。
TAKAHIROが"背負い人"と表現した"僕"、残酷なまでに平手に対する当て書きの歌詞、全てが"大人"が与えたものだ。
デビュー当初、普段は明るく可愛い少女が曲中はかっこよくパフォーマンスする面が魅力的であったが、いつの間にか現実までも楽曲に支配されていく。

有明ワンマンライブ後に、秋元康は「まだ既存のアイドルらしさに囚われている、欅坂にはもっと新しさが欲しい」と伝える。
そして、その数ヶ月後リリースされた"不協和音"では完全に既存のアイドル性を捨て、欅坂46は秋元の求めた"新しいアイドル"となる。
当時を振り返った渡邉の「表現するためには何かを犠牲にしなければならないのかもれない………感情とか」という答えが心に刺さる。

個人的に一番印象に残ったのは、黒い羊のMV撮影時に、鈴本が呆然と立ち尽くす姿である。
当時の鈴本の心境は彼女にしかわからないが、映画の中に差し込まれたワンシーンにより、欅坂46の一種の異常性に対して視聴者は一歩引いて俯瞰しているような感覚に陥る。
表現に拘り続けた欅坂46の姿を見て何を思うかと、問いかけられているように感じた。

そして、とうとう平手は"脱退"を選択する。
映画の序盤、デビューカウントダウンライブのインタビューで、平手は「自分がパフォーマンスに納得できた時にはきっと涙が出るはず、いつかそんな日が来ますかね?」と笑顔で言う。
2019年紅白の後、疲弊しきった平手の頬に涙が伝う。それは本当にパフォーマンスに対して納得出来た証なのかはわからない。
ただ、2019年紅白の不協和音は今までの全てが凝縮された最高のパフォーマンスだと思っているので、完璧にでなくとも、平手は少しでも納得してそのアイドル人生を終えたのではないかと思いたい。

これは平手のアイドル人生をハッピーエンドで終わらせたい、単なる私の願望なのかもしれない。

さいごに

欅坂46に対する"大人の責任"とは、2017年の紅白で数人が倒れた際にも既に問題提起されていた。ファンや有識者の間では、語り尽くされた論点だと思っている。

"大人への反抗"を謳うアイドルが、"大人"によって壊されていく。欅坂46をデビュー当時から好きだったファンの中には、不協和音の頃位から違和感を感じる者が増えて離れていった印象がある。

しかし、今もなお欅坂46を応援しているファンで、このような状況を理解していなかった人などいないだろう。
どんなに異様なグループであると頭で理解していても、ライブに行ってそのパフォーマンスを生で見た瞬間、いつだって全てが吹き飛ぶくらいの感動を与えてくれた。それが、欅坂46のファンであり続けた理由だった。

私の最も好きなパフォーマンスは"黒い羊"である。欅坂46の音楽性・パフォーマンスの真骨頂が"黒い羊"であると思っている。

特に、劇中にも流れた武道館公演の"黒い羊"はまさに圧巻であった。当時の平手の状況や脱退を考えると残酷な歌詞と振付ではあるが、そんな思考も浮かばないくらい、ただただ当時のパフォーマンスは最高に素晴らしかった。

ドキュメンタリーとして纏められたとしても、今まで見せてきた彼女達のパフォーマンス、私達に与えてきてくれた感動は変わることがない。むしろ大画面のスクリーンに映し出されたライブ映像を見て、欅坂46のパフォーマンスの素晴らしさを実感した。
彼女達の作品にかける想い、胸に響くパフォーマンス、その全ての瞬間に、全てのメンバーに感謝の気持ちを伝えたい。

最後に、推しメンのこの言葉が好きなので置いておく。

本当に欅坂46というアイドルグループが大好きだと実感し、応援してきた日々を大切に想い出として残しておきたいと、そう思えた映画だった。