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好きの不在

時々、趣味を尋ねられることがある。
読書、と答える。本心、ではない。そう答えたいわけではない。
もちろん、読書に費やす時間と金額からすると世間的には趣味というべき行為となるのだろう。
だが、趣味だと素直に思えない自分がいる。

以前は趣味といえば絵を描くこと、楽器をすること、ゲームをすること、動画を見ること、音楽を聴くこと等々。写真も好きだったし、料理も好きだった。バスケもバドミントンも好きだったし、万年筆やインクも好きだった。海や魚が好きだった。世界には好きが溢れていて、溢れた好きに浸って幸せに生きていた。

好きが自分のそばからいなくなったのはいつからだったんだろう。

気が付くと、好きという感情が分からなくなった。習慣的に口に出す好きには無理が付きまとう様になっていた。好き、が苦しみを伴う様になった。

大人になってしまったのかもしれない。世界はそんなに美しくないと気づいてしまったのかもしれない。でも、それなら何のために生きればいい?
途方に暮れてしまった。

ひとつ思い当たるのは、心のエネルギーの枯渇。ある時から心がとても乾いてしまったと感じる。何かを始めるのにとんでもない行動力を要するようになってしまった。好きを感じるにもエネルギーがいる。好きは無尽蔵ではないらしい。

そのなかで唯一できた行為が読書だっただけの話で。文字の海に飛び込んで時に波に乗り時に溺れかけ、無我夢中で泳ぎ回る。いや、そんなにアクティブではないかもしれない。ただ流されるままに行間を漂っているだけの気もする。ただ、何もできない時、本が救いになってくれたことだけは確かなのだった。

本当は絵が描きたい。音楽をやりたい。ただ、できない。なぜ?と言われたってこちらが聞き返したい。なんで?どうしてできないの?と。
呼吸のようにしていた行為を取り上げられた途端世界は驚くほど息苦しくなった。


大人というものはもしかしたら皆ドライに生きているのかもしれない。でも、もし大人になるというのがこういうことなら一生大人なんかになりたくない。

いつか、心からの趣味を胸を張って言えるようになることを願って、願って、願ってやまない。
世界に色を、心に潤いを与えてくれる好きが帰ってきますように。


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