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鎌倉街道 現道を走る 上大岡~北鎌倉

 今まで古道としての鎌倉街道を走ってきましたが、今回は番外編として、現在の「鎌倉街道」を走ります。
 正式名称は神奈川県道21号横浜鎌倉線、通称「鎌倉街道」です。その他にも「鎌倉街道」と呼ばれる現在道路が各地に存在しますが、ちゃんと鎌倉まで繋がっている鎌倉街道はこの道路だけだと思います。

 タイトル画像の全線完成記念碑によると、全線が完成したのは意外と最近の平成18年(2006年)のようですが、明治時代から(おそらく江戸時代から)この道は「鎌倉街道」と呼ばれていたようです。下記に現在地図と迅速測図を対比させましたが、明治初期に作成された迅速測図に「鎌倉街道」の表記があります。

鎌倉街道の現在と明治

 完成した現在の鎌倉街道は、片側2車線の大規模道路であり、走っても味気ないので、明治の鎌倉街道が旧道として残っているルートを選んで進みました。現地を走ることにより、このルートが古道としての鎌倉街道にならなかった理由も解明できればと思います。
 時間が限られていたので、これまで走ったことが無い区間として、上大岡から北鎌倉までを走りました。



上大岡~北鎌倉 11.9km

 日野川に沿って南下し、三浦半島を横断して鎌倉に至る。これまで走った鎌倉古道のルート(赤点線)より、起伏と迂回が少ないように見えるが、実際に走って検証する。

上大岡~北鎌倉

 午後出発し、上大岡駅を出て2時頃走り始める。関の下交差点より、少し南の交差点から古道に入る。

横浜市港南区上大岡付近

 出発して直ぐ、笹下川に架かる岡本橋のたもとに記念碑があった。記念碑の解説板には、「岡本橋記念碑は、明治23年に建立されました。当時の鎌倉街道は、ひとたび雨が降ると歩けないほどの悪路でしたので、沿道の十一ヶ村の人々が協力し、改修工事に従事して完成させた」との記載がある。
 ここから、明治から鎌倉街道と呼ばれていたことと、雨天時は走行が困難な道筋だったことがわかる。

横浜市港南区・岡本橋記念碑

 旧道から現在道に合流する。現在の鎌倉街道は、片側2車線の大規模幹線道である。

横浜市港南区・港南中央通付近

 途中、山がせり出し、歩道が洞門になっていた。旧道は山を避けるため左に迂回する。

横浜市港南区日野南付近

 この辺りで三浦半島の分水嶺を越える。現在の道は両側が大きく切り通され勾配も抑えられているが、当初は、このルートの一番の難所だったのでは。

横浜市港南区港南台付近

 タイトル画像の完成記念碑から旧道区間に入る。現道は右手の高台を緩やかに下るが、当初の旧道は谷底にまっすぐ下る道だった。

横浜市栄区鍛冶ヶ谷付近

 㹨川(いたちがわ)を越える。鎌倉古道の中道は、もっと西側の新橋を渡り、日限山の尾根を進んだ。

横浜市栄区公田・上耕地橋

 公田の旧道区間が、気持ちのいいせせらぎ緑道になっていた。

横浜市栄区公田・洗井沢川せせらぎ緑道

 大船付近は、駅前から離れた山際を進む。鉄道が走る前は、この辺りが大船村の中心だったようだ。

鎌倉市大船付近

 横須賀線の踏切を越えて、ようやく鎌倉古道の中道のルートと合流する。

鎌倉市台・横須賀線踏切

 15時半ごろ北鎌倉駅に到着し、電車で帰宅する。鎌倉駅まで行くと、観光客でごった返していると思われるので、ここをゴールとした。

北鎌倉駅


 地図や地形図を見ると、今回のルートが、一番最短で、勾配も少ないように思われましたが、実際に走ってもその印象通りでした。ただ、岡本橋記念碑にも記載があったように、川沿いなので、雨が降ったときは、通行が困難だったと思われます。そのため、安定して利用できる街道として発展したのは、治水対策が進んだ明治期以降だったのでは。
 そもそも、横浜が発展するのが明治以降なので、江戸期に鎌倉に行くなら、浦賀道西ルート(東海道→戸塚→大船→鎌倉)が自然だったとも思いました。

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